可能性


「やはり確信しました。あの国を侮るのはやめた方がよろしいかと」

 虞世基が意味ありげに眉を寄せた。蘇威は「やはり? ということは他にも何か?」と問いかける。

「先程、裴矩はいく殿と会っていたのですが······」

 裴矩とは、以前虞世基と青年と共に密談をしていた男である。彼は謁見の場でも蘇威と共に楊広の傍についていた。虞世基によれば、その裴矩がこのようなことを言ってきたのだという。倭国の大使を甘く見ない方が良いかもしれぬ、と。

「それはどういう」

 蘇威が問えば、虞世基は裴矩の話を彼に伝えた。

「蘇威殿も不自然に思いませんでしたか? 彼が主上の眼前で赤色の服を着ていたこと」

 それを聞いて、蘇威は「それは私も気になりましたね」と頷く。中国では、古来から黄色が皇室を表す高貴な色とされているが、それと同様に赤も縁起が良いと言われてきた。そのため黄色の服はもちろんだが、皇帝の前で赤い色の服を着ることを恐れ多く思う者もいた。だから、裴矩の指示で中堅の役人が妹子に問いかけたのだ。臣下に下る朝貢をお考えならば服の色を改めるべきだ、と。

「しかしその時、大使である彼はこう返したのだそうです」

 ──自国において、私の身分に見合った正装がこれなのです。確かにこの色が貴国において意味のあるものだとは伺いましたが、朝貢するものとして、天子様の眼前で身分を偽ることは出来ませぬ。どうかお許しを。

 その話を聞いて蘇威は唖然とした。有無を言わせぬ凛とした切り返し。それを初めての大舞台でやってのけたと言うのか、あの大使は。蘇威が感銘を受けていると、虞世基が「さらに」と続けた。

「あの謁見の場で主上が彼に刃を向けたとのことですが、その時貴方は主上がお投げになった国書をこっそり読んでいたとか」

「······」

 それに蘇威が押し黙る。どうやら真実のようだ。

「いえ、決して貴方を責めようというわけでは······ただ、裴矩殿が言うには、その時にの大使が主上ではなく貴方の様子を窺っていたというのです」

 蘇威は眉を顰めた。あの時、彼はまさに切りつけられようとしていたのだ。そんな危うい空気の中で、周りを冷静に観察する余裕などあるものか。蘇威がそう返せば、虞世基は「それは私も思いましたよ」と息をつく。

「しかし、裴矩殿から聞いた話では、その大使が貴方への謁見を申し出てきたのだと言うのです」

「謁見?」

「ええ、どうしても貴方とお話がしたいと。それも、主上には知らせず内密に。これは裴矩殿の言う通り、貴方の動きを見ていたとしか······」

 蘇威は苦い顔で唸った。正直、倭国など高々世界の隅の小国だとしか考えていなかった。それがこれほどまでに手強いとは。

「分かりました。会いましょう、その大使と」

 蘇威は重々しく口を開いた。主上に知らせずに異国の使者に会うなどどう疑われるか分かったものではない。しかし、蘇威は純粋に気になったのだ。これほどの実力を付けて帰ってきた一つの小国のことが。そして、その先頭に立って海を渡ってきたあの青年のことが······。

 虞世基は蘇威の返事を聞いて「本当に良いのですな?」と念を押す。蘇威はそれに「ええ」と頷いた。

「分かりました。ではその旨は私から裴矩殿にお伝えしておきましょう」

 虞世基はそう言って立ち上がると、国書を蘇威の手に返して一礼をする。

「あ、虞世基殿。最後に一つだけよろしいでしょうか」

 蘇威がそう呼び止めると、虞世基は「何でしょう」と首を捻った。

「その、例の大使の名前ですが、私は隋における名前しか知らぬのです。確か蘇因高そいんこうと名乗っていたはずですが······」

「ええ、そうですとも。彼の倭国における名前を知りたいと?」

「はい、差し支えなければ」

「良いですよ」

 虞世基はにこやかな笑顔で蘇威に向き直る。そして、質問の答えである彼の名を、異国の響きと共に紡いだ。

「確か、小野と名乗っていましたよ。私は小野妹子おののいもこだと」









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