「失礼致します」

 控えめに叩かれた扉の音に、蘇威そいが顔を上げた。彼は謁見の場で、激昴する楊広を宥めたあの男だ。緩く編まれた髪を揺らすと、「どうぞ」と訪ね人を促す。そこにいたのは蘇威と同じく楊広に仕える側近・虞世基ぐせいきであった。彼は謁見の場に姿を出さなかったものの、今日蘇威に呼ばれた理由が倭国わこくについてだとは聞いていた。

「何やら見て欲しいものがあるとか」

 虞世基が愛嬌のある顔で首を傾げる。相変わらず人の良さそうな男だ。蘇威は椅子に座るよう促して、彼に一つの巻物を手渡した。

「これは?」

「例の倭国の国書ですよ。虞世基殿は書道の心得があるとお聞きしましてね」

「ええ、さほどではありませんが、書を嗜むのは趣味でして······」

「どうかご謙遜なさらずに、確かな腕を持った貴方様に見て欲しかったのです」

 この虞世基には、全国からの上奏文百枚をたった一日で写しとり、加えて書き損じが無かったとの噂があった。蘇威はそれを確かめたわけではなかったが、それだけの噂が出るなら腕は確かだろうと思っている。国書を開くよう促すと、虞世基は巻物を広げてその中身に目を落とした。

「これは、また大胆な······」

「そうでしょう? その書き出しが主上の逆鱗に触れたわけですが、実は今回私が目をつけたのはそこではないのですよ」

「ほう」

 蘇威の言葉を聞いて、虞世基は再び国書を眺める。そして全て読み終えたあと、深い息とともに「なるほど」と呟いた。

「蘇威殿のおっしゃりたいことが分かりましたよ。これは見事な文ですな」

「やはり貴方様の目から見てもそう思われますか」

 虞世基はそこで感心したかのように顔を上げる。その瞳は美しい芸術を見た時のように輝かしかった。

「文字の造形はさることながら、間違った文がまるでない。この国書は本当にあの倭国のものなのですか? 前回のの国の国書はあれほど奇々怪々だったのに」

 虞世基は信じられないと言いたげに蘇威を見つめる。蘇威は予想通りの反応に眉を下げると、「それがその通りなのですよ」と苦笑する。虞世基はますます国書に魅入った様子だった。

「ああ、一体あの国は何を行ったのだろう。国家というものは、たった十年足らずでここまで成長するものか」

 前回の遣隋使派遣は西暦六〇〇年。そして、当時の国書は隋の皇帝や側近たちにとって理解し難い文章だった。

 ──天をもって兄となし、日をもって弟とする。いまだ夜が明ける前に座って政治を聴き、日が出ると仕事を止めて弟に委ねる。

 つまり簡単に意訳すれば、「天である兄が夜に政治をし、日が昇れば全て弟の太陽に任せる」といった内容になる。恐らく倭国の権威を示そうとしたのだろうが、その文章はあまりにも難解だ。これを力無しと見た当時の皇帝・文帝は、倭国の使者と謁見することさえしなかった。

 しかし、あれからたったの七年。今回倭国が献上した国書は、その出だしこそ過激なものの、文字は美しく文法も正しい立派なものであった。それに蘇威は目をつけた。そして虞世基も心をつかまれた。楊広は内容にしか目がいかなかったようが、側近たちは倭国の実力そのものに目を向けていたのである。










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