存在

 賑やかな市の喧騒を抜けて、大和やまと洛陽らくよう洛水らくすいの畔を歩く。洛水とは、洛陽を東西に横切る河川である。かの有名な黄河こうがとも繋がるこの川は、洛陽の人々にとって重要な水源となっていた。

 その広さは倭国やまとの川の比ではない。悠々とした豊かな流れは、いつ見ても大和の心を震わせた。しかしこの洛水も、ずいの他の大河に比べれば決して広くも長くもない。洛陽まで船で河を遡ってきた大和もそれは薄々感じていた。しかし都の中にこれだけの河が流れているのだ。大和にとって、それが他でもない驚きだった。

 そんな静かな河の畔を大和と洛陽は並んで歩く。ちょうど昼時なためか人々の姿はまばらだった。

「ざっとこんなもんかなぁ、僕が紹介出来るのは」

 にこやかな顔で洛陽が言う。

「どう? 少しは力になれたかな?」

「それはもちろん! 他でもない洛陽さんに案内していただけたなんて光栄です」

「えへへ、そう言われると照れちゃうな」

 洛陽ははにかむように微笑むと、河を渡る船人を見つめる。彼は本当に穏やかな人だった。まるでこの洛水のような、ゆったりとした温かさを持っている。

「そうだなぁ、最後に大和くんの質問に少しだけ答えておこうか」

 唐突に洛陽が言った。大和は理解が追いつかずに、きょとんとした顔で彼を見つめる。

「僕たちは何者なのか。その答えだよ」

 そこで大和も理解した。それは先程屋敷で聞いたあの質問の答えかと。

 洛陽は川縁に座ると膝に腕を乗せて頬杖をつく。大和も彼に促されて、隣に腰を下ろした。柔らかな大地が身体を受け止め、二人の髪を風が揺らす。洛陽は碧い川面を見つめると、ぽつりぽつりと大和に問いかけた。

「大和くんの国にはさ、神様っている?」

「神様? はい、倭国やまとには昔から八百万の神がいると言われています」

「そっか、じゃあ話しやすいね。僕たちは神様と人間の仲介人として生まれたんだよ」

「仲介人?」

「うん。大和くんは、土地を守る神様って見たことある?」

 大和はそう問われて首をひねった。土地を守る神様ということは、産土うぶすな神の類だろうか。残念ながら、大和は神様のことを一度も見たことがない。

 そう伝えると、洛陽は「声は?」と聞いてくる。大和はそれにも首を横に振った。

「聞いたこともないのかぁ。うんうん、何となく倭国の現状が分かってきたよ」

 洛陽は一人で勝手に納得したようだ。大和からすれば何が何だか分からないのだが、彼はにこにこと笑みを浮かべている。しばらくふんふんと言葉を選んでいたが、「じゃあ、僕からはここだけ説明しておこうかな」と目を細めた。

「僕で例えるなら、洛陽には洛陽の神様がいるんだ」

 そう言って立ち上がると、洛陽は豊かな洛水を背に両手を広げる。彼のよく澄んだ茶色の瞳に、晴れた空がキラリと光った。

「その神様は、この土地に生きる全ての命を見守ってくださる。でもね、彼らは人間たちとお話が出来ないんだ。姿も見えなければ、声も聞こえない。だから人間に認知されないこともあった。それが神様たちにとってもどかしかった」

 ──だから僕らが生まれたんだ。

 洛陽はそう言って空を仰いだ。

「干渉しえない神様と人間を繋ぐために、僕らが生み出された。だから、僕らは神と人の架け橋なわけだ。普段は人間と一緒に生活をして、神様からお願いされればその言葉を人間に伝える。でも、だからこそ厄介なところがある」

 洛陽の瞳の先に悠々と飛び回る鳶の姿が見えた。彼はそれを目で追いながらどこか声音を落ち着ける。

「神様と繋がりがあるってことは、政治に悪用されやすくなるってこと。それに、神様は神様でも皆が皆人間と繋がりたいわけじゃない」

 洛陽は大和を見下ろした。その瞳には、 どこか人間とは違う光が宿っている。ああ、あの日妹子が言っていたのはこれか。その光は自分の目にも宿っているのだろうか。ふとそう思った。しかし、そんな洛陽の瞳がしゅんと項垂れる。

「大和くん。残念だけど、ここから先はまだ話せないんだ」

 突然そう言うと、洛陽は瞳に呼応するように寂しげな笑みを浮かべる。

「でも近々分かるはずだよ。僕が教えるわけじゃないけれど、きっと誰かに教えてもらえる。僕らが守るべきについてね」

「おきて?」

 大和は首を捻った。しかし洛陽は優しく微笑むばかりでそれ以上何も口にしなかった。














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