第30話 修学旅行その2

 公子は頼井の顔を横目で見ている内に、昨夜のことを思い出した。

(畠山さんと剣持さんの二人、頼井君のファンだって言ってたな。ユリは中三のときから付き合っている相手がいるけど、その人がいなかったら、頼井君や

秋山君もいいなって言ってたし。ミナだけ、相手の名前を言わなかったっけ。私もだけど)

 見ると、頼井の周りにいつの間にか女子数名が集まっていた。畠山と剣持の姿もある。

 公子は悠香が気になって、その姿を探すと、こちらもいつの間にか、遠くに離れていた。素知らぬ顔で、土産の品物を手に取って眺めている。

(相変わらずだね)

 くすくす笑っていると、今度は白木麻夜の声が耳に入ってきた。

「秋山君、それ買うの?」

「いや、買わないと思うけど。ただ、灰を商売にしてしまうのは感心するなあって」

 秋山は、火山灰を親指ほどの大きさのガラス瓶に詰めた物を手に取っていた。キーホルダーになっているそれをつまみ上げ、ぶらぶらさせる。

「星の砂とか鳴き砂ならともかく……」

「鹿児島って、少し感覚が違うみたいね。『かるかん』っていうお饅頭があったけど、猫の餌と同じ名前じゃない。おかしいわ」

(お菓子の『かるかん』の方が先だと思うけど。それに、鹿児島の人達の前で、そんなこと言わなくたっていいのに。冗談にしたって、大して面白くない)

 しきりと秋山に話しかける白木を見て、公子は言ってやりたかった。でも、もめたくない気が先に立つので、思うだけにしておく。

「白木さん、部へのお土産、買った?」

 思い出したような口振りで、秋山が白木に聞いた。地学部の二年生六人がお金を少しずつ出し合って、買うことにしている。白木がそのお金を預かっているのだ。

「まだよ。私一人で決められないから、六人そろって、考えたらいいんじゃないかしら」

「うん。そろそろ旅行、終わっちゃうからね」

 こういう話の流れなら、割って入ってもいいだろう。公子はそう判断して、秋山に声をかけた。

「地学部のお土産の相談でしょ? 頼井君とか、呼んで来ようか?」

「あ、公子ちゃん。頼むよ。時間があるから、ここで決めてしまおうって」

 秋山に言われて、頼井の他二人の地学部部員を見つけに行く。

 五分足らずでみんなを見つけ、秋山らの姿が見える位置に来たとき、その会話が公子に聞こえてきた。

「朝倉さんのことだけ、どうして名前で呼ぶの?」

 白木の声。秋山の方は、困惑した表情を浮かべている。赤面しているように見えるのは、公子の気のせいだろうか。

「ね、どうして?」

「別に……人の自由だろう」

「理由を聞きたいのよ」

 白木が調子を高くした。が、秋山はそれには答えず、戻って来た公子達を見つけた。

「やっとそろった。部への土産、ここで決めよう」

 近寄っていく途中、公子は白木の視線を痛いほどに感じた。


 その日の夜。

 公子は寝付かれないでいた。

(おかしいな。疲れているはずなのに……。昼間のこと、気にしてるのかな、無意識の内に)

 補助灯一つの薄闇の中、布団を鼻先までかぶって、天井を見つめながら、公子は考えていた。

(まさかとは思うけど……秋山君、私のこと、今でもまだ想ってくれてるの? 二回もふった、ひどい私を。――ありっこないわ。変に期待しなさんな、朝倉公子っ。一応だけど、カナちゃんと付き合ってるのよ、秋山君は。ぎりぎりまで転校のこと隠して、さっさと遠くに行って、また突然帰ってくるような子は、お呼びじゃない。小さい頃から友達だから、これだけ親切にしてくれるんだ)

 自分の中で結論を出したものの、一向に眠くならない。頭を使っていたせいで、目が冴えてしまったらしい。

(……しんどい)

 上半身を起こした。それから辺りに目を凝らす。窓ガラス越しにわずかに射し込む外灯の光で、富士川らの様子が確認できた。四人とも、静かに眠っている。

 時計を探したが、どこにあるのか見つからない。

(起きようかな。この三階から出なければいいはずだから、見張っている先生もいないだろうし、見つかっても、のどが渇いたとかトイレとか言えばいいのよね)

 決めたら、布団にくるまっているのがばからしく思えてきた。音をさせないように立ち上がると、手櫛で髪を直してから、ドアに向かった。スリッパを履いて、そろそろとドアのノブを回す。

 かちゃっ。ドアが開く瞬間の音が、やけに大きく聞こえた。

 室内を振り返る。誰も気づいていないみたい。公子はほっとして、今度はドアをゆっくり開けていった。すき間から廊下の様子をうかがう。

(誰も……いませんね?)

 左右を見渡す。しんとしているように感じたのは最初だけで、空調設備からのものらしき音が聞こえてくる。でも、他に音はなし。ベージュ色の絨毯の上に人の姿はない。

 廊下に回って、公子はドアを慎重に閉めた。

 スリッパがぱたぱた音を立てないよう、ゆっくり歩く。別に行く当てはない。何とはなしに、各フロアーにある小ホールに向かった。

 ホールは非常灯の緑がかった光に照らされ、ソファの輪郭がいくつか浮かび上がっている。あとは、大型テレビ、そのリモコンが置かれたガラス製のテーブル、南国風の植木、少し離れてジュースの自動販売機があった。

 確か掛け時計があったと思い、壁をぐるりと見渡す。アイボリー調の四角い時計が見つかった。読み取りにくかったが、二時三十分ぐらい。

「こんな時間……。全然、寝てなかったかしら?」

 予想外に真夜中の時間帯だったので、公子はつい、つぶやいた。それでも眠い感じは起こらない。あまりの所在なさに、ソファに座ってみたものの、退屈さはさして変わらない。

 テーブルに肘を左右ともついて、目を閉じた。何か考えようとすると、浮かんでくるのは秋山のことだった。

(忘れなさいよ)

 小さく、しかし強く首を振って、自分自身に命じる。

(一人で考えていたって、どうにもならない)

 では、他のことを考えようとしても、空転するばかりだった。

 立ち上がり、壁に掛かる館内案内図を見た。プラスチック版のせいか、光が当たって反射し、一部読みにくい。目を近づけて、どうにか読める。

(――あ、ここ、ベランダに出られるんだ)

 外に出たい気分だった公子は、順路を確認すると、そちらに向かった。気が急いているのか、少しばかり足早に。

 鍵は内側から施錠できるもので、当然、閉められている。鍵を開け、ガラス戸を横に引いて、公子はベランダに出た。スリッパ履きのままはちょっと気が引けたが、致し方ない。

 空気が風となって、さすがにひんやりと感じられる。

(風――いい気持ち)

 後ろに流れる髪をなで上げる。

 自然と空を見上げる。

「わあ」

 星であふれていた。降ってきそうなぐらい、たくさんの星が光輝いている。

「凄い……急に目がよくなったみたい。向こうじゃ、こんなに見えるなんてこと、まずない」

 知らず、息をつき、じっと見入る。どちらを向いても、星、星、星。

(五月だけど、この時間帯なら夏の星座が見える)

 早速、はくちょう座を見つけることに成功。さそり座が続く。

(いつだったかな。秋山君がカナちゃんに教えていたっけ。プラネタリウムでの矢印があれば簡単だけど、本物の夜空を使って星座を教えるのって、大変だろうな。最初に、赤いアンタレスを見つけてから、弓なりに星をたどって)

 さそり座を見ている内に、この星座にまつわるギリシャ神話を思い起こした公子。

(神の怒りに触れたオリオンをこらしめるために放たれたさそり。オリオンを刺し殺したのよね。だから、夏、さそり座が天にある間は、オリオンは隠れている。さそりがいなくなる冬に、ようやくその姿を現す……)

 ふっと、自分の身にオーバーラップした。

(逃げてばっかりなのは、私も同じだね。さそりは……カナちゃんがさそりってわけじゃない。秋山君でもない。自分自身かもしれない)

 そこまで考えて、次に思い付いたことに、自分で笑ってしまった。

「あははっ! 白木さんならさそりのイメージ、ぴったりだわっ」

 声に出して笑った。それに反応するかのように、何かの物音がした。

「? 誰かいるの」

 声を低くし、そっと下を覗く。誰もいない。念のため、上も見てみる。けれど、ただコンクリートが見えるだけで、確かめられない。

「公子ちゃん?」

 急に声がした。上からだった。二、三階は女子、四、五階は男子という風に分けられている。

「え?」

 再び見上げる。

 秋山の顔が見えた。手すり越しに覗き込む格好。

「ど、どうしたの、秋山君。こんな時間に」

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