第4話 シエラトゥール第3階層・凪の風道――リリィ・ライゼ15歳、旅立ちⅣ

 振り返ると、飛び立った東の大島が後方へと流れ、みるみる小さくなっていきます。

 頬に当たるさわやかな風の感触も、澄んだ青空と真っ白な日差しも、全てが心地よい、旅立ちの朝。

 風力十分、風向安定。この分なら、2時間ほどの飛行で目的地である風車の島が見えてくるはずです。


 東の大島と風車の島を繋ぐ風道――通称「凪の風道」。季節や天気、時期に関係なく、強すぎず弱すぎずの安定した風が吹いていることからそう呼ばれており、世界で最も飛びやすい道の一つにも数えられる大風道フルーヴです。

 東の大島を飛び立った私は、針路を西南西に取りました。風に乗ると高度はゆるやかに上昇、現在基準高度+1640フェート、時速250メルトで巡航中です。

 凪の風道は東の大島と風車の島それぞれの上空を通過点に持ち、おおよそ楕円状に流れています。南側は常時西向き――風車の島に向かう方向に風が吹いていて、逆に北側は常に東向きに流れています。こういった、いつでも一定の方角に風が吹いている風道は偏方風道と呼ばれており、おおむね飛びやすい、等級の高い風道になっているわけです。


「……やっぱり、空はいいなあ。気持ちいい」


 ちょくちょく風切板セイルには乗っていたものの、最後に飛行器エアバレルで飛んだのは学院の卒業検定実技の時ですから、もう一か月以上前のことになります。頭の上も、足元も、両方を空に挟まれる感覚。


 世界と世界のその隙間を、風に乗って縫う針になったみたいな。そんな感覚。


 久しぶりのことでした。とは言えこの凪の風道では、よほどまずい操縦をしない限り風の流れから外れることもありません。一度流れに乗せてしまえば、あとはそのままのんびり乗っているだけ。飛んでいるというよりは、おもちゃの紙風船のようにふわり浮いている、と言った方が適切かもしれません。


 一面の青に向かって飛んでいると、一瞬に空が陰りました。はっとして上を見ると、上空――どれほどの高さでしょう? 巨大な浮島の下に入ったのでした。

 ここよりずっと上、第4階層の島です。私には技術も経験も、まだまだ行くことの叶わない場所ですが、いつか必ず行ってみせる。そう決意を新たにすると、島影が切れ、また祝福するように朝日が私を照らしてくれます。

 転じて眼下を見下ろすと、白く分厚い雲が絨毯のように一面を占めています。ところどころは灰色や、もっと深く黒に近い色の部分もあり、そういった場所では恐ろしい強風が渦を巻き、溢れたエネルギーの放出――雷が轟いているのだそうです。

 しかし、下には雲ばかりが敷き詰められているわけではありません。この雲下にも更なる階層――第2階層があります。時折、雲の切れ間があってその様子が見えるといいますが、私は一度も見たことはありません。

 第2階層はとても危険な場所で、ごく限られた高等風乗士でなければ行くことすら許されません。しかし父さんは第2階層も、そして驚くことに、その更に下にあるという第1階層も飛んだことがあるというのです。

 第1から第5まである空の世界の成り立ちは、どんな子供も幼年学院の史典で習います。しかし第1階層とか第5階層などというのは、実際に行ったことがある人など身の回りには普通誰もいないわけで、これはお話の中だけにあるもので本当は存在しない、という人もいます。


 けれど、私は知っています。全ての世界は実在するのだと。そして、父さんと母さんは今も、この広く大きな空のどこかに、いるはずなのだと。


 だから私も、全ての空を飛べる最高の風乗士にならなければ。この初仕事は、とても小さなものかもしれないけれど、私にとっては確かな一歩。


 そう、一歩ずつ前へ進んで行けば、たどり着けない場所なんてないのだから。


 飛行器のクロノメーターを見ると11時。予定通りです。

 風車の島が見えてきました。

 東の大島では島の中央から飛び出したように見えるネストが、風車の島ではそれほど高くは見えません。島中に乱立する大小の風車のせいです。風車は風の通る高さに作らなければ効率良くは動いてくれませんから、自然、ネストの位置も風車の位置も同じくらいの高さになるのです。

 まずは島の上空まで風の流れに乗ります。徐々にブレーキを掛けると、風力炉ウィンドドライブが取り込む風の量が絞られ、減速していきます。

 ネストの上まで来たら、機体のバランスが崩れないよう慎重に、左側のペダルを前へ、右側のペダルを後ろへ、互い違いに踏みます。すると、機体の左は浮くように、右は前へ進むように動くので、自然、機体の顔は右下を向いていき、下降しながら機体は右に旋回していきます。こうして凪の風道から降りて、風車の島上空の緩い風を掴みます。

 ネストの上空をゆっくりと旋回して「着陸したい」という合図を送ります。それに気づくと、ネストの管制塔からこちらに向けて発光信号。


 ――登録番号と着陸目的を送れ


 私は飛行器の用具入れから携行信号灯を取り出すと、管制塔に向かって登録番号――「イースト・コンチネント・336」と、ギルドの依頼を表す略信号を送り返します。登録番号は風乗士が登録している島渡りギルドのある島名号と、各ギルドが割り当てる登録順の連番号の組み合わせで出来ています。これらの情報は風乗士が島を行き来する際にギルドから仕事と一緒に預けられて島から島へと行き渡り、各ギルドで随時更新されていきます。

 しばらく旋回を続けると、発光信号が再度送り返されます。


 ――6番滑走路への着陸を許可する


 では、上陸です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る