第10話 一縷の”望み”

 ――どのくらいそうしていたことか。


 扉を見つめ続けるフィリアの視界が、突然揺れた。

「んなとこで、いつまで突っ立ってんだ」

「も、うしわけ、ございません……」

 後頭部を殴られた。

 そう気づいたのは、不鮮明だった視界が少し明るくなったため。

 華奢な肩に腕が回され、重みによろける身体を堪えていれば、ベッドにいたはずの男がフィリアの見つめていた扉を見て笑う。

「よしよし、追い出せたようだな。いいぞ」

 褒めているつもりなのか、肩にかけられた手が無遠慮にフィリアを撫で回す。これに対し、「ありがとうございます」と口にするが、思考は少女の残した言葉に囚われたまま。

 すると開かれる扉。

 ついつい期待を込めて見てしまったが、現われたのは客人の内の一人だった。

 食料入りの紙袋を抱える男の姿に、フィリアを抱く男が怪訝な顔をする。

「あ? お前一人か? あいつはどうしたよ」

「ああ。それがあの野郎、男連れの女ナンパして見事にフラれてよ。それだけでもウケるってのに、男に喧嘩ふっかけてボッコボコ。で、爆笑したらスネちまって。しばらくボクちゃん一人にして、ってよ」

「アホか。ったく、目立つことしてんじゃねぇよ」

「まあまあ、許してやれよ。アイツにもソレが役立ちゃ良かったんだがなあ?」

 フィリアに注がれるいやらしい笑み。

「申し訳ございません」

 謝罪を述べればくぐもった笑いが男の喉を鳴らす。

「全くだ。俺らにしても、つまんねぇ身体過ぎて、三日も持たずに飽きちまった」

 ゴスッとフィリアの頭に打音が響く。

「おいおい、いじめんなって。お陰で俺だけはいつでも愉しめてんだからよ」

 せせら笑う男の唇が、フィリアのこめかみに押し当てられる。

「ありがとうございます」

 褒め言葉と受け取った頭が空虚な礼を言ったなら、顔を見合わせた男たちが耳障りな大笑いを玄関ホールに響かせた。

「――ところで、代わりのガキが見つかったって?」

 不意に紙袋を持つ男が話を振った。

「ああ、この先でふん縛っている。興味本位に俺の後ろをついてきやがってな。なかなか活きがイイもんだから殴って黙らせたんだが、大丈夫だよな?」

「お前な……」

 男が顎で示した「この先」は、玄関ホール正面奥にある大広間。

(縛って……ガキ。……それは――)

 フラッシュバックする、客室に引きずられる前に見た、小さな手。

 そして浮かぶ、少女が探していた少年の話。

(ああ、そうでした。あの時は色調が不良でしたから、あの手の質感や色までは分らず、その可能性すら浮かびませんでしたが……。あの手の持ち主は、恐らく)

 男たちが歩き出すのに合わせて、引きずられながら大広間に入ったフィリアは、そこで両腕両足を縛られた、鮮やかな青い鱗肌の少年を目撃する。

 あの少女がフィリアに見せた写真と同じ少年を。

 ただし、笑顔だった写真とは違い、この状況下にも関わらず強い光を瞳に宿した少年は、咬まされた轡も構わず、監視役の男へ何事か喚き散らしていた。

 これをうんざり顔で見ていた男は、フィリア横の男に気づくなり、非難たっぷりのため息をつく。

「お前よぉ。ガキが全員、殴りゃ言うこと聞くとか、どんだけ単細胞だよ。見ろよ、ずっとコレだぜ?」

「ケッ、もう一回殴ればいいじゃねぇか」

「だから単細胞っつってんだろ。俺らには後がねぇってのに傷つけてどうすんだよ。健康なガキってのが第一条件だろうが」

「チッ……ああ、じゃあ、これならどうだ。おい、ガキ」

 乱暴に子どもを呼びつつ、フィリアから離れる腕。

 しかし、すぐさま髪の毛ごと頭を掴まれ、引き寄せると同時に殴られた。

 床に強打した視界が驚く少年を写せば、顔が踏みつけられる。

「いいか、お前が黙って従わねぇなら、この女が痛い目を見る。……まあ、見ず知らずの他人だ。どうなろうと知っちゃねぇだろうが、なっ!!」

 退いた足が容赦なくフィリアの腹を蹴った。

 鈍く低い響きに、一瞬飛び跳ねた少年が黙って首を振る。

 単細胞男の目論見は成功したと言えるはずだが、一度こうなってしまったら、しばらくは暴力の的として扱われることをフィリアはよく知っている。

 重い一撃を受ける度、顔を歪めて呻く傍ら、涙ぐむ少年を見て哀れんだ。

(このような見世物とは縁遠いお姿をされていますのに、さぞかしお辛いことでしょう。ですが、ご安心ください。貴方をお捜しの方が再訪を約束されました)

 フィリアの記憶の中で再生される、緑がかった灰色のオールバックの髪に灰色のスーツ姿の男と、くすんだ金髪の長い髪に青いカーディガンを羽織った少女の姿。

 フィリアにとっては、久方ぶりの「まとも」な来客。

 特に少女の方は、フィリアでさえ存在自体を忘れていたベルを鳴らし、この屋敷を「こんなところ」と呼ぶ男を窘めたばかりか、メイドに徹するフィリアへ理解ある接し方をしてくれた。

 少女には間違いなく、この屋敷が本来迎えるべき客人の品格がある。

 ――この「客人たち」など足下にもばないほどの。

 何より彼女は言ったのだ。

 フィリアの主に許可を得てくる、と。

(あの方ならば主の許可を得られるでしょう。そして、この場をご覧になられたなら……わたくしが多少”壊れ”ても、お許しくださるはず)

 フィリアの感覚が、広間にいる男たちの位置を寸分違わず捉えた。

 己の力に酔いしれる者と、その様を愉しげに眺める者たちと――。

 絶え間ない振動の裏で描くのは、自分と「客人たち」の「本来あるべき姿」。

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星詠む君の願う日に かなぶん @kana_bunbun

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