第9話 屋敷のメイド

 数回ベルを鳴らしてみたものの、いつまで経っても扉向こうに動きはない。

 扉越しでも音は聞こえていたため、ベルは壊れていないはずだが。

(……困りました。この空間の主が不在という可能性は、考えていませんでしたね)

 こんな空間を造れるような相手なら、我が物顔で出てくると思い込んでいた。実態はどうあれ、ここにいるのはしがないオウルの二人組で、見た目の実力は取るに足らないはずなのだから。

 いや、もしかするとすでにルクスの正体に勘づいて、居留守を決め込んだかもしれない――とヘキサが考えを改めようとした矢先、キィ……と小さな音を立てて扉が開かれた。

 ――ルクスの手によって。

「ルクスさん!?」

「無施錠とは不用心ですな。しかし好都合。ささ、行きましょう、ヘキサ殿」

「いえ、それは、あの」

 止める間もなく、するりと中に入られては後に続くしかない。

「す、すみません、どなたかいらっしゃいますか?」

 それでも無許可で立ち入った罪悪感は強く、ヘキサは恐々声をかけた。

 屋敷というものに縁遠いため、この玄関ホールが広いのか狭いのかは分らない。しかし、吹き抜けの二階まで続く空間は、ヘキサの小さい声をよく拾って響かせた。

 さほど時間を要さずもたらされた返答は、

「ヘキサ殿、こんなところに、わざわざ声をかけてやる必要もありませんよ」

 ルクスのにべもない物言いにヘキサは首を振る。

「いいえ。姿を見せないからといって、声かけもなしに人様のお屋敷に立ち入って良いものではありません。……まあ、こうして入ってしまった後では、声をかけたところで今更の話ですが」

 結局のところは自己満足。

 そう思ったからこそ、小さく呟いた最後の言葉は、

「そのようなことはございません!」

 澄んだ女の声に拾われた。

「え?」

 偶然重なったにしては真っ直ぐ届いた声。再び吹き抜けの二階へ目を向けたヘキサは、そこで見た姿に四白眼を大きく見開いた。

 玄関ホールに取り込まれた淡い光でも、虹色の光沢に彩られて輝く銀の髪。整った顔立ちを彩る瞳は空色の中に金を宿している。古ぼけた手すりにたおやかな手を添えた姿は、一幅の名画のようであり、歩き出してもしばらくは見蕩れるしかなかった。

 近づくほど鮮明になる美貌の持ち主に、守るようなルクスの背を視界に入れながらも、魅せられたヘキサは呟く。

「フィリア……」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、女の動きが止まった気がした。

 しかし、見間違いだったのか、ヘキサたちの前まで来た女は、何事もなかったかのように身体を曲げて礼の形を取った。

「お待たせして申し訳ございません。わたくしはこの屋敷のメイドでございます。あいにく主は不在なのですが、どのような御用向きでしょうか?」

(……メイド?)

 姿勢を正し、返事を待つ様子に、目を瞬かせたヘキサは改めて女を見た。

 屋敷にメイドがいるのは何ら不思議なことではないのだが、メイドを名乗った女の格好は役目に反してみすぼらしかった。

 おざなりに結った長い髪。ほつれの目立つ質素な黒いワンピース。素足に履くのはくたびれたローヒールの靴。

 メイドではなく、屋敷に取り憑いた亡霊と言われた方が説得力がある。

 加え、女――メイドの動きはどこかぎこちなかった。具体的にどこがどうとは言えないものの、ヘキサと同じ二足歩行の種族にしては、ぎこちなさに対して庇う、補うという動きが欠如しているように思えた。

 まるで、身体の構造の全く異なるモノが、外見だけ取り繕ったような――。

(この容姿にこの動き。もしかして、この場所は……)

 ヘキサの目が再び古ぼけた内装にも及べば、一つの可能性が浮かんでくる。

 と、いつまでも見つめるばかりのヘキサに、メイドが声をかけてきた。

「あの?」

「ああ、いえ。こちらこそ、勝手に入ってすみません」

 ひとまず思考を脇に置き、ルクスの隣に並んでは当初の目的通りに問う。

「実は人を探していまして、この少年がこちらのお屋敷に訪れてはいませんか?」

「少年、ですか?」

 併せてクレオの写真を見せつつ、足跡状の手がかりを感覚だけで追った。

(あの扉の先に続いているようですが……)

 玄関から正面奥に見える、両開きの扉。この手の屋敷が出てくる物語なら、大広間に続くであろう重厚な造りは威圧的だが、小さな冒険者の軌跡は間違いなくそこに向かっていた。

 だが、メイドは言う。

「申し訳ございませんが」

 予想はしていた返答に、今度は少し角度を変えてみる。

「そうですか。もしかすると、忍び込んでいるかもしれないのですが」

 この屋敷の者を疑っているわけではない、というニュアンスを込めた言葉に、しかし、メイドの反応はヘキサの予想とは違っていた。

「忍び……?」

 てっきり、それでも首を振るだけと思っていたのだが、束の間止まるメイド。

 心当たりがあるのか、それとも別のことを考えているのか。

(忍び込む、で別のことというと、あまり好ましくない気もしますが)

 どうかクレオの件とは別件であって欲しい。

 願いながらも、悪くない感触にヘキサは思い切って提案した。

「良ければ探させては貰えませんか? ほんの少しで――」

 しかし、ヘキサの言い終わりを待たず、メイドは頭を下げてくる。

「申し訳ございません。主からは、主の許しなく屋敷内へ誰人も招かぬよう申しつけられておりますので、ご希望には添えかねます」

「そう、ですか……」

 先ほどの迷いのような間は何だったのか、きっぱりと言い切ったメイドに、ヘキサは心の中でその言葉をなぞる。

(……つまり、主の許しがあればいい、と)

 ひっそり、メイドの言う”主”を探る。

 返ってきた感覚に伴うのは、寂寥感。

 いつかの日、ふとした時になぞった、シハンとの思い出に混じる――。

 すると、考え込むヘキサをどう思ったのか、急にルクスがメイドへ言った。

「ならば、そちらで探してはいただけませんか? この少年は確かに、間違いなく、ここにいるはずです」

 断言できるのは、ヘキサの恩恵を知っていればこそ。

 そんなことを知る由もないメイドは怪訝な顔をした。

「失礼ながら、この屋敷のことでわたくしに分からないことはございません」

 事務的な口調はこれまでと同じだが、表情がついたために怒気が滲む。が、すぐにメイド自身もそのことに気づいたのだろう。一拍の間を置き、ぎこちない動きで頭を下げた。

「申し訳ございません。言葉が過ぎました」

 ただし、謝罪は過ぎるほど丁寧で、どこか機械的ですらある。

(いえ、どこかではなく、むしろ……)

 ヘキサの中で、浮かんだ可能性が確信に変わっていく。

 直後、ルクスが言い募るように言葉を発した。

「しかし」

「ルクスさん、止しましょう」

(この方には何を言っても無駄。この方が従う相手は”主”だけでしょうから)

 続く言葉は胸内に留め、ルクスへ首を振ったヘキサはメイドへ謝罪する。

「すみません、藪から棒に。気を害されるようなことばかり」

「いいえ。わたくしにそのような気遣いは」

「つまり、こちらのご主人に許可を得られれば良い、ということですね」

「!」

 出会って初めて、メイドの表情が大きく動いた。

 それは今までのぎこちなさが全て嘘だったようになめらかで、ヘキサは一瞬、自分の確信が揺らぐのを感じた。

 しかし、メイドの衝撃の度合いは彼女に一切の動きを許さず、これにより確信を取り戻したヘキサは、

「では、後ほど改めて」

 という言葉だけを残して、不満げなルクスを伴い屋敷を後にした。

 扉を閉める直前、同じ場所、同じ格好で動かずにいるメイドを視認しつつ。

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