第8話 隠し「面」

 ソレを発見したのはルクスだった。

 建設途中と思しき薄暗い建物内で、突然途絶えた手がかりの足跡。

 何か見落としたのかと見渡せば、一点を見つめるルクスが指差し言った。

「面、でしたかな? しかし、そこら中にあるものとは違うようですね。あれは整然としていましたが、コレは歪だ」

 この発言により、ルクスの見え方が自分とは違うと初めて気づいたヘキサ。

 ルクスに倣い、同じ箇所を見てみるが、ヘキサの目には薄暗い空間しか映らない。

(二つしか目を持たないオウルと、八つの目を持つ竜なら、視野の範囲とは別に、見え方の違うところがあっても不思議ではありません。では、やはりここの面には何かがある……)

 ルクスが言うように、クロエルを構成する「面」は規則正しく造られている。一市民に竜を任せるような市長だが、こと都市造りにおいては正確性を重んじており、歪な「面」を放置することはもちろん、造ることすら考えにくい。

 つまり、そんな「面」が存在するなら、後発的に誰かが加えたモノになる。

(ですが、真似るだけでも大がかりな面を、市長に気づかれずにどうやって?)

 疑問は尽きないが、今は考える時間も惜しい。

 光球を向かわせても素通り、先にある内壁しか視認できない空間へ手を伸ばす。

「この辺……ですか?」

 一度ルクスを振り返る。

 頷きを得て、薄く魔力を纏わせた右手で宙をひと撫で。何もないはずの空間だが、そこに僅かなズレを感じたヘキサは、本のページを捲るように指を動かした。

「!」

 薄暗い内装の景色はそのまま、捲られた先にだけ別の空間が現れる。

 こんな場所があるにも関わらず、先に見回っていた警邏が印だけを残して去っていくのはおかしい。考えられる可能性は、警邏の目を欺く、何らかの仕掛けが施されているということ。

 警邏、引いては市長を欺き遠ざけるための場所など、碌なモノではないだろう。

 思わず鳴りそうになる喉を律し、目だけで「行きましょう」とルクスへ伝えたなら、返答を待たずに足を踏み入れた。

 明るい灰色の地面へ着地すると同時に、目の前の光景が一新される。

 建設途中の内装は一切が消え、薄暗さに慣れていた目が「下層」の陽光に細められた。手で作ったひさしの下、周囲を見渡す。そこには建設途中だった建物の外周と同じ景色があり、ヘキサは一時的に自分の立ち位置に混乱した。

 「面」の歪みを捲った先にあったのは、これまでいた建設途中の建物だけがなくなった場所――いや、違う。

 灰色の地面に見失った足跡の感覚を見つけたヘキサは、続く先に見たことのない、年代を感じさせる造りの屋敷があることを知り、今度こそ大きく喉を鳴らした。


「警邏に連絡されますか?」

「そう……ですね」

 ルクスからの問いかけに我を取り戻したヘキサは、携帯端末を取り出した。

 画面には圏外と表示されている。

「ここでは通じませんね。……まあ、分ってはいたことですが」

 携帯端末の詳しい仕組みは専門でもないため大して知らないが、動力や機能には電気や魔力などが使われており、クロエル内ではそう簡単に通信不能になることはない。――そこが「普通」の場所である限りは。

 「普通ではない場所」という、ありがたくもないお墨付きを頂戴し、無用の長物となった携帯端末をしまう。と、ルクスが屋敷とは反対側を指差した。そこにあるのは敷地を囲う鉄柵と門扉、その向こうに見える「下層」の通り。

「一度ここから出ますか? あそこの通りなら、その機械も使えるでしょう」

 難なく言われた提案だが、つまり、ルクスの目から見ても、あの門扉と通りの境は「普通」に繋がっている状態ということか。

(ですがきっと、あそこから出たら、建設途中の建物の前に出るのでしょうね。そして、ここへ戻るには、あの建物の中からまた歪な「面」を探る必要がある、と)

 探すこと、ソレ自体はヘキサにとって難しいことではない。一度存在を知ったなら、ルクスの目に頼らずとも、あるいは歪みが移動したとしても、恩恵の力で簡単に辿り着ける。

 問題は、再び戻るまでの時間だ。

 外に出て警邏に通報できたとしても、この場所を素通りした彼らには、感知するための準備が必要になる。急を要すると言っても、証拠らしい証拠がない中では、手順を省くのは難しい。

 かといって、カタリナに助力を頼むのも得策とは言えないだろう。

 話を聞く限り、クロエルでもそれなりの地位にいそうなカタリナ。そんな彼女からの情に訴える形での要請は、クレオ捜索の通報もあるため、警邏の動きを早める効果はありそうだ。だが一方で、別の問題――たとえば、子を案じる母の、予測できない暴走――が起こる可能性は極めて高い。

(それに、私たちが今ここにいること自体、この空間の主にすでに知られているとしたなら……)

 寧ろ、知られている方が自然だ。

 こんな空間をわざわざ隠すような相手が、侵入者に気づかない方がおかしい。

 ならば当然、ヘキサたちの探すクレオも――。

「行きましょう」

 ルクスへ声かけ、ヘキサが向けた靴の先は、通りではなく、屋敷。

「このまま乗り込まれるのですか?」

 どこか楽しげに聞こえるルクスの問いに、ヘキサは苦笑した。

「乗り込む、というか、クレオさんを探すだけですよ。もしもどなたかいらっしゃるなら、行方を尋ねることもできますから」

「なるほど」

 ルクスの頷きに、若干の不満が滲んだように聞こえたのは、きっと気のせい。

 それでも一応、ヘキサは自分の考えを口にした。

「私たちが最優先に考えるべきは、クレオさんの身の安全です。警邏へ通報せず屋敷へ向かうのも、そのため。この空間の主が警邏の目を嫌うなら、このまま接触した方が良いでしょう。場合によっては、警邏に通報しないと契約を交わしても構いません。市長が期待する「可愛い市民」からは外れてしまいますが、クレオさんの命には代えられませんから」

 ルクスが口を挟む暇も与えず、一気に述べたヘキサ。

 屋敷の扉まで辿り着いたなら、来客を知らせる古ぼけたベルへ指を置き、押す前にルクスを振り返る。

「ただ、それはあくまで、この空間の主が友好的だった場合の話です。もしも……もしも、そうでなかった場合、多少手荒な状況になることが予想されます。ですから、ルクスさん、大変申し訳ないのですが」

「ええ、お任せください。破壊も脅しも大の得意――」

「くれぐれもモノを壊さないようにしてください。モノというのは、生き物に限らず、このお屋敷のモノ全て、です」

「……ええ、もちろんですとも」

 自信満々に胸を張る不穏な台詞は聞かなかったことにして、返事まで一拍開いた間も知らないことにして、ルクスの了承にヘキサは頷く。

 市長に隠されたこの空間は、クロエルの「面」に障っている。ルクスの技量を信じていないわけではないが、原盤の竜の力が複雑な都市構造にどう影響するのか、ヘキサには想像もできなかった。

 だからこそ改めて受け取った返事を頼りに、ヘキサはベルを押した。

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