第3話 誓い

 「層」を渡るため設けられた仕組み一般的に”はしご”と呼ぶ。

 ”はしご”は主に街の路地裏など目立たない場所にあり、大半が金網などで仕切られていた。仕切りの向こうで金網の扉を閉じれば、見える往来に変わりはないのに消える雑踏の音。特殊な役割を持つ”はしご”の空間が、「層」の中でも独立しているためだ。

 ”はしご”の操作は、空間の端にひっそり佇む、材質不明の円柱の頂にある玉で行う。そこに住民や許可を得た来訪者が触れたなら、玉の表面にパネルが浮かび、行き先と人数を入力後、近くに描かれた白く淡く光る円内に入ることで、別の「層」への移動が可能となる。

 ――ポッドの代わりとして、そんな説明を一通りルクスへしたヘキサ。

 本格的に「下層」を巡る直前で、すでに利用した機能をわざわざ口にしたのは、続く約束を促すためでもあった。

 市長の無茶ぶり――ヘキサ自身が体験するのは初めてだが、実のところ、何度かその場面に出くわしたことはある。被る相手はもちろんシハンで、彼は心配するヘキサへよく言っていたものだ。

 無茶と思われる要求は必ず相手が叶えられる範疇のことで、より姑息だ――と。

 つまり、ヘキサが負わされた、ルクスに関する全責任も叶えられる範疇にある、と市長が考えていることを意味する。そしてそこには「出来うる限りの手を尽くしたなら」という余計な一文が付随した。

 だからこそ、ヘキサはルクスに言わなければならない。

 星詠みとの契約という、不安定な彼の状態を保つものを崩さぬよう、拘束力のない約束を取り付けなければならない。

 自分と、何より彼自身のためにも。

「クロエルの多面重層は、市長の科学と魔法で絶妙なバランスが保たれています。……それでですね、ルクスさん」

「はい」

「大変申し上げにくいのですが、ここから先は私の指示に従って貰えないでしょうか。もちろん、原盤の竜たる貴方が自身の力を加減できないとは思っていません。しかし、貴方の力がどういう形でクロエルに影響を与えるのか、未知数なんです。そうでなくても、クロエルにはクロエルの法があります。そして、僭越ながら私の方がルクスさんよりソレを心得ている。……ですから」

「ええ、構いませんよ」

「――え?」

 歯切れの悪い言い方しかできないヘキサを遮るように、あっさりルクスが頷いた。

 ヘキサが聞き間違いかと目を丸くしたなら、目尻のシワを深めて老紳士は笑う。

「大方、先ほどの言伝で、そういう指示があったのでしょう? 察するに、あの羽虫はこの街を歩き回るための許可証であり、これを受け付けない私に業を煮やしたクロウ殿が、ヘキサ殿に責任を押しつけた、というところでしょうか」

「…………」

 察しで収まらないルクスの考え。図星といって差し支えないソレにヘキサが何も言えずにいれば、ルクスの笑みが苦笑に変わる。

「何度も申し上げているように、私にとってヘキサ殿は恩人です。そんな貴方が不利になるようなことは致しません。契約ではなく、私の意思で誓いましょう」

「あ、ありがとうございます」

 契約ではなく――とどのつまり、ヘキサが星詠みの契約の存在を危惧していることすら、ルクスにはお見通しなのだろう。

 ヘキサがどれだけ考えを巡らせたところで、竜相手では敵わない。従うよう告げた身としては恐れるべきなのだろうが、ヘキサは肩の荷が下りた気持ちになった。

 そんなヘキサの思いまで汲んだように頷いたルクス。

 だが、一転、眉を寄せては問う。

「ところでヘキサ殿、原盤の竜とはなんのことでしょう? 私は邪竜であった憶えはありますが、原盤の竜という呼び名にはとんと憶えがないのですが」

「それは……」

 ヘキサに限らず、竜について少しでも学んだ者なら知っていて当然の単語。

 これを竜本人から真面目に訊ねられたヘキサは、束の間、自分の習っていたことは正しいのか、引いては、そんな自分が本当に竜を先導できるのか、不安に襲われてしまった。


* * *


 原盤の竜について、まさか竜本人に説明することなるとは思ってもみなかったが、お陰でヘキサには分かったことがあった。

 人里離れて300年の期間に関わらず、ルクスの知識量は通常の竜より少ない。

 いや、正しくは竜が本来持っているはずの知識や記憶の大部分を、オウルとの暮らしに費やしていたようだ。証拠に、ヘキサが上級課程で習ってきた竜や纏わる種族についての話を振っても反応が薄い一方、オウル関連の話を始めたなら、教科書よりも詳細に、饒舌に語ってくる。

(……この人は一応、オウルのことを憎んでいた邪竜……でしたよね)

 ルクスの話では、邪竜だった頃はオウルのことを「小さな種族」と、オウルと同程度以下の大きさを基準に、他の種族とひっくるめてそう呼んでいたらしい。それもあってか、ルクスは現在、オウルと、オウルに近しい能力値の種族、それよりも力の弱い種族に対しては心穏やかに接せられると言い、オウルを害せる種族と、ポッドのように生体として感知できないモノ――ロボットに対しては、不信感を抱いてしまうという。

(とはいえ、クロエルにはそういう種族もロボットもたくさんいますし、ポッドへしたようなことは、この先しないよう約束は取りつけましたが)

 恩人が不利になるようなことはしない――少々不安は残るものの、今はルクスのこの言葉を信じるしかなかった。

「本当に機械とは相性が悪いんですよ。ああ、ですが、直すのは得意かも知れません。以前血筋に習いましてね。何でも古の業とかで、こう、斜め45度から手刀を振り下ろしますと不調が一発で直るんですよ。まあ、所詮はその場凌ぎで、すぐに壊れてしまいましたが」

 それは果たして「得意」に入るのだろうか。

 話の内容については思うところは多々あるものの、

(本当に、オウルについては饒舌で……とても楽しそう)

 上機嫌なルクスを止める気にもなれず、半歩先を歩くヘキサは聞き役に徹する。

 と、そんなヘキサに気づいたのか気づいていないのか、ふと空を見上げたルクスは別の話題を口にした。

「そう言えば、下層というからには先ほどの層より下にあるのでしょうが、薄暗いくらいで天井らしきものは見当たりませんね。車もなく人通りも少ない」

「ええ。ここは特に静けさを好む種族が暮らしていますから」

 言ってヘキサは辺りを見渡した。

建物の配置は表層とほとんど変わらないが、材質はレンガとコンクリートが多く、重量感がある。車の姿がない道は広いものの、ルクスの言うとおり人影はまばらで、近くを歩く住民は皆無だ。

 これらを確認したように一つ頷いたヘキサは、そのまま空を仰いだ。

「場所自体は先ほどまでいた表層より下ですが、空を遮るものはありません。実は表層も同じ仕組みなんですよ。あれだけビルがあっても明るかったのは、影を薄めているからなんです。なんでも、低いところから高いところにあるものを意識すると、圧迫感で嫌気が差してくる、とか。市長の言い分なので、本当かどうかは分かりませんが」

 高位種族である市長が、低いところで何かを見上げる想像はつきにくい。

 そう思って苦笑気味に言えば、同じく高位種族のルクスが神妙に頷いた。

「確かに、高所というのは厄介なモノですね。実情はさておき、そこから落ちるモノは大抵が碌でもない結果になりますから」

「何か心当たりでも?」

「それはまあ……邪竜でしたから」

「……ああ」

 ヘキサの脳裏に、ルクスの真の姿が描かれる。それが空いっぱいまで広がり、ついでに伝説の通り口の中に炎を蓄えたなら、それはもう、圧迫感だけではすまなかった。

 続けられる言葉もなく、遠い目をするルクスを見つめる。

 ――と。

「キエエエエエエエィッッッ――――!!」

 静けさを好む種族がいる、そう言ったばかりの空間に轟く、異様な叫び。ヘキサは驚くと同時に、その声が恩恵の示す方向から来ていると気づいたなら、ルクスを呼びがてら走り出した。

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