第2話 竜の保護者

 コウルズ学園と巨大な橋を挟んで並び立つ都市クロエル。

 どちらとも双賢の司書という、世に双つしかいない高位種族により造られた場だ。

 そして、高名なコウルズ学園同様、双賢の司書の片割れが今なお管理するクロエルも、その特徴から世に知られた都市であった。

 ――多面重層都市クロエル。

 膨大な種族を受け入れるに辺り、それぞれの暮らしやすさを追求し、ありとあらゆる手段で造られた都市は、一見すると他の都市とそう変わらない。「暮らしやすさの追求」という文句に惹かれ、引っ越してきた住民からは「肩透かし」と言われてしまうほどだ。

 だが、その「肩透かし」の度合いが、どの種族でも同じならどうか。

 生息域が全く違う種族が、同じ都市の住民として暮らすことはままあっても、その種族に制限が一切ないのは、狂気の沙汰と言うべきだろう。

 そして、この狂気を可能としているのが、クロエルの二つ名にもある多面重層だ。

 インフラや特殊環境を「面」と呼ばれる狭間に分別して貼りつけ、明暗は「層」と呼ばれる空間を積み重ねて作り上げる。しかも、状況に応じて「面」も「層」もいくらでも後で付け足し加えられるという。言葉にすれば簡単だが、この形状で破綻も綻びもなく維持し続けるには、莫大な力と緻密な配分が必要不可欠。

 そんなクロエルの中で、「表層」と呼ばれる位置を住まいにしてきたヘキサは、探索の恩恵を頼りに、「下層」と呼ばれる位置まで移動していた。

 クロエルの街の至る所に存在する、「層」を渡るための魔方陣から出れば、ふわりと風が一巻き身体に触れる。

 風の精からの心配と伝わるソレに、少しだけ四白眼を見張った。

(飽き性の風の精がまだ気にするなんて……。そう言えば、ルクスさんの名前を知っていましたし、私が思うよりも風の精とルクスさんには、何かしら因縁があるのでしょうか。――それとも)

 ヘキサの目が、ちらりと老紳士ルクスを見る。

 ヘキサに倣い「層」を渡った老竜は、物珍しそうに「表層」から変化した「下層」の光景を眺めていたが、こちらの視線に気づくと恥ずかしそうに笑った。

「いや、面白い技術だと思いまして、つい」

 昨日とは打って変わった顔色に、「そうですか」と微笑むヘキサだが、内心は全く穏やかではなかった。

 影でこっそり、風の精に大丈夫と手で示しつつ、思い起こすのはルクスの名。

 ただし、ルクスという名自体が問題なのではない。

 着目すべきは彼の名乗りがそこで終わってしまう点。

 通常、竜やそれに連なる一族の名は、世代を経るごとに長くなる。それは彼らが、偉大な祖先を敬い畏れ、忘れぬよう自身の名の後に連ねていくためだ。

 もし、名を一つしか名乗らない竜がいたなら、それは系譜の初めを意味する。

 すなわち、自然じねんに生じた、原盤の竜マスタードラゴン――。

 一説には、自然そのものを相手にするようなものだと言われている、原盤の竜の力。これを根拠のない行動で破壊の化身へと変えるところだったヘキサは、存在だけは判明したまだ見ぬ星詠みの血筋に、胸内だけで感謝を述べたものである。

 風の精に因縁がなくとも、平均以下のオウルと並んでいたなら、心配されるに足る能力差だろう。

 しかも、ヘキサの気疲れはこれだけに留まらない。

 再び、今度は盗み見たルクスの周りの、何もない宙。ルクスが来訪者である以上、本来であれば、そこには小型の飛行ロボット、通称・ポッドが浮いているはずであった。

 クロエルには都市である以上、学園よりも更に千差万別の来訪者が出入りしている。来訪者の目的は様々で、ただの観光目的から移住、商談、旅の途中の物資補給等々枚挙に暇がない。個々人に併せて案内するにしても、時間も手も、どれだけあっても足りないほどだ。

 これに加えて、クロエル自体、先述の通りクセのある造りをしているため、知識なく歩き回れば、迷子や行方不明になる可能性が極めて高い。

 このためクロエルでは、来訪者にポッドと呼ばれるサポートロボットが、個人や団体単位で必ず一つは提供されていた。クロエルを去るまで、もしくは移住の手続きが完了するまで、ポッドは来訪者の身元を保証し、迷わぬよう道案内をしたり、クロエルで難なく過ごせるよう手助けをしてくれるのである。

 一見すると来訪者のためだけに造られたポッド。

 だが、在住者にとっても、ポッドは重要な役割を担っていた。

 来訪者の監視である。

 クロエルを訪れる者が、必ずしも好意的であるとは限らない。クロエル自体を狙った犯罪や、コウルズの研究を奪おうという企み、他の地域への敵対行為等々、こちらの目的もやはり多岐に渡る。ポッドの存在はこれらの危険性を未然に防ぐ意味もあり、来訪者はそれを織り込み済みで、ポッドを受け入れなければならない。

 もし、ポッドが傍にいない来訪者がいたならそれがどんな種族・立場にある者だったとしても、怪しまれる理由足り得る。

 実際、ヘキサがルクスのポッドの不在に気づいたのも、「下層」までの道すがら、他の来訪者の傍に浮かぶポッドを見かけたためだった。

 だがルクスは、そんなポッドを「うるさい羽虫」として壊し続けたという。

 ポッドの造形はまさしく羽虫だ。起動前は繭型、起動後は左右を甲虫の羽のように開いて飛ぶ。ただし、飛ぶといってもポッドの羽は羽虫のように羽ばたくものではなく、魔力を用いて宙に留まるものであり、羽音といった雑音は一切しない。これは、ポッドの存在が来訪者の負担にならないための仕組みであり、実際、幼い頃にクロエルへ移住したヘキサは、手続きが済むまでの間、しばしばポッドのことを忘れて過ごしていたものである。

 それなのに、高位種族として管理者直々に渡されたであろうポッドを、ルクスは付けられた端からことごとく破壊したらしい。

 本人は「気づいたら壊れていました。どうやら私は機械というものと相性が悪いようですね」と気恥ずかしそうに言ったモノだが、ヘキサとしては(壊れたのではなく、壊したんですよね?)と言いたい心情である。

 何せ、そのせいでとんでもない役割を、ポッドをルクスへつけるのを諦めた管理者より、押しつけられてしまったのだから。

 その言伝入りの音声データを渡してきたのは、他でもないルクス本人。

 クロエルの創設者にして管理者である双賢の司書クロウは、シハンが特殊な種族である以上、ヘキサも少なからず面識のある相手だった。

 ほとんど国といってよい広さと人口、組織を持ちながら、クロエルは一都市だと言い張り、創設者であるはずの自身の役職も、市民に近くも遠くもない、ほどよい地位だからと市長を名乗り続けている、変人。

 昨日ルクスを連れていった警邏はヘキサの姿を記録しているため、ルクスに託された言伝は違えようもなく、ヘキサに向けられたものだった。

 携帯端末越し、男とも女ともつかない、年齢も不詳の機械合成された声は言う。

『やあ、シハンの娘にして私の可愛い市民。ルクス翁とはお話しできたかな? 君のことだから、きっと彼の役に立てることだろう。いやしかし、ルクス翁はどうやらポッドがお気に召さないようでね。それがここでどういう意味を持つか、聡い我が市民ならば、すぐに分かってくれると思う。そこで、だ。大変申し訳ないのだがね、君にルクス翁の手綱を任せたいのだ。君の存在において彼の身元を保証し、彼の行いを監視する。うん、我ながら名案だろう? 何せ彼はオウルには礼儀正しく、君はオウルに属する。きっと上手くいくよ。うんうん、良かった良かった』

 ――全く良くはないのですが。

 そうヘキサが思うだけの間を、しっかり取って続けられたのは、

『だからまあ、なんだ。もしも彼が何かをやらかしてしまった場合、全責任は君にある、ということになる。私としてもその辺は心苦しいのだがね。それ以外の条件で、彼が我が都市を歩き回れる許可を下ろせそうにないのだ。すまないね。とはいえ、彼に滞在を促したのは君自身。市長と会う前の高位種族に明日の約束を取り付けるのは、今後控えた方が良いと教えておこう。では、よろしく頼むよ、私の可愛い市民』

 ルクスから言伝の話を聞いた時からしていた嫌な予感。

 間違いのない的中に、ヘキサはため息しかつけなかった。

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