第8話 混血種

 恩恵を使う感覚を言葉で表現することは難しい。

 オウルにとっては息をするように自然なことであり、わざわざ他者へ伝える必要もないことだ。重要なのは、その恩恵がどういう効果をもたらすか。

 それでも、あえて星詠みの血筋を探すヘキサの感覚を表すなら、壁、だろうか。

 視界を伏せている以上、見えないのは当然――なのだが、それにも増して視えない壁がヘキサの探索を阻んでいる。

(探せない。これはつまり……考えられる原因は二つ……)

 浮かんだ可能性に気持ちが逸る。

 確かめるべく、探索を打ち切り目を開けたヘキサは、まぶしさに一瞬顔を顰めてから男を見、

「!?」

 その姿にたじろいだ。

 男から一歩身を引けば、周囲の様子までもが変わっていることに気づく。

 穏やかだった公園には、男を中心に強い風が巻き起こり、短い振動が地面を伝う。舞う葉の動きを見るに、その範囲と威力は徐々に広く、強くなっているようだ。

「こ、これは?」

 ヘキサが目を伏せていた時間は僅か。だというのに、ここまで変わってしまった景色に、ヘキサは視線を男へ戻した。

 姿形のほとんどはオウルを保っているものの、その背には今までなかった翼膜が現われており、オウルの肌には鱗が並ぶ。五本だった指は皮膚を引き千切るように一つ増え、乗じて伸びる鋭い黒爪。

 何より目を引くのは、そんな変容を遂げつつある手が覆う顔。

 意思を失い苦悶を浮かべる右側も然ることながら、オウルの肌を引き伸ばして隆起する、角の頭部を持つ左側の、まばらに散った大小の血走った四つの眼が、てんでばらばらに動く様は――。

(変にオウルの部分が残っているせいで、余計に不気味……いえ、そんなことを思っている場合ではありません)

 見れば見るほど声をかけにくい様相だが、放っておくことはできない。

 この状態は十中八九、星詠みと交わした契約の最後の一文が果たされようとしているに違いないのだ。注意を引くのを恐れて逃げ出せば、間違いなく、男はかつて邪竜と呼ばれた自身の望みを叶えるだろう。

 すなわち、世界の滅びを。

「あの……どう、されました、か?」

 風や振動と共に強まる力。聖も魔も、何ものにも属さないソレに萎縮しそうな舌を動かし、掠れた声で問うたなら、四つの視線がぐるりとこちらへ向けられた。

「っ!」

 出かけた短い悲鳴を呑みこむヘキサへ、力を帯びた声がかかる。

『どう?……ナイと……探セないとイッタのは、ぉ嬢さん、で、は……?』

「あ、ああ、それで……」

 探索に集中するあまり、自身の呟きに気づいていなかったヘキサは、合点がいったと頷いた。そうして、慎重に言う。男をこれ以上刺激しないよう、必死に平静を取り繕いながら、

「探せない、のは確かですが、いない、とは言っていません」

『…………それハ――』

 ヘキサの言葉を受けて、男の力が弱まった。

 巻き起こる風は凪いでひらひらと葉を落とし、地は静けさを取り戻す。

 いや、そもそもこれらは、契約の実行に先駆け、男から漏れた力に過ぎないのだろう。強まったと感じたのも、男の意思で起こしたというより、そこに留まることで力の密度が増したといった方が正しい。

 これが、男が度々口にする「不安定」の一端か。

『それは、どういう意味でしょうか?』

 顔を押さえた姿は未だ半端なままだが、力を帯びた声は先ほどより安定している。

 ヘキサは、ひとまず危機を回避できたと安堵しつつも、そっと手を上げた。

「その前に、姿を先ほどのものに戻していただいてもよろしいでしょうか。申し訳ないのですが、今の姿は少々……刺激が強いものですから」

『っと、これは失礼』

 言葉を選んだヘキサの申し出に、男は早々とオウルの老紳士へ姿を戻していく。

 最初に翼膜と角、鱗の質感が消え、爪の色が薄まると共に指が減り、最後に四つの目玉が円を描いて一つにまとまる。

 変化のわざは性質上、基本的に人目のないところで行われる。それゆえ、思わずじっくり眺めてしまったヘキサは、「それで?」という男の問いかけに、はっと我に返った。

「あ、はい。結論から先に申しますと、お探しの血筋はちゃんといらっしゃいます。そこは大丈夫です。オウルの恩恵に間違いはありません」

「そ、そうですか……」

 ヘキサが断言すれば、男は倒れ込むようにベンチへ座る。

 力なく笑い、「良かった」と繰り返す。

 真実、契約の最後の一文を恐れていたと分かる姿に、ヘキサもつられて微笑んだ。

 が、再びこちらを見た男の顔には、拭われたと思った困惑が浮かぶ。

「では、探せない、というのは?」

「それは……」

 真っ直ぐ見つめられ、ヘキサの四白眼がぐるりと周囲を巡る。

 男が張った結界は、揺らぐことなく存在しているらしく、契約の実行に漏れ出た力があったというのに、相変わらず警邏も来なければ異変に気づいた者もない。

「えーっと……竜相手に確認するのも変な話ですが、現在の種族がどう分類されているかはご存じですよね?」

「ええ、それはもちろん」

 男の頷きにヘキサは「ですよね」と何度も頷いた。

 その昔、この世界に住まう種族が多種多様になった頃、とある二柱の神が妙なことを思いつき、可能とした。

 異種族間の婚姻と交配――。

 これにより報われた想いは数多ある一方、それ以上の問題を発生させた。

 すなわち、混血種の存在である。

 元々、一種族の中でも異なる生活圏や身体特徴の差異で似たような話はあったものの、種族を越えたソレは、輪をかけて本人たちと周囲を悩ませることになる。例えば同一種族同士ならば、両親のどちらかにどれだけ似たところで、その種族間の差異に留まるが、異種族同士となると、子どもがどちらの性質を生まれ持つかは、場合によっては死活問題になってしまう。それも、両親や親族どころか、その地域を丸ごと巻き込むような。

 しかも、その性質を持つと一目見て分かれば良いのだが、外見は父方の種族、性質そのものは母方の種族、と分かれてしまっては、防ぐこともままならない。

 この状況を変えたのは、規則造りが趣味という、とある悪魔。

 膨大な量の混血種を調べに調べ抜いた彼は、既に二種以上にもなっていた血の割合を精密に導き出す術式を作ると、その血の中で多く占める種族に混血種を属させる規則を世に浸透させた。

 決して、最初からすんなり受け入れられたわけでも、例外がないわけでもなかったが、彼が造った規則と術式は一定の評価を得、今に至る。

「それを踏まえて、私はオウルを名乗っていますが、純血種ではありません」

「はあ、それはそうでしょうね。アレス様も何種か血に混じっていましたから。それにオウルは他の血が勝った場合、外見は完全にそちらへ引きずられてしまうという話ですから、お嬢さんがオウルであることに疑いはありません。いえ、そもそも今の世に、一種族だけで血統を保つ者などそう多くないでしょう」

「ええ。大多数の種族はそうです。ですが、オウルに限って言えば、混血にはどうしてもデメリットが出てしまうんです」

「ほう?」

 男にとっては初耳だったのだろう。途方もない永い時をオウルと過ごしてきたというのに、全く見当がつかない様子を見て、けれどヘキサは仕方がないと思う。

 オウルの混血が抱えるデメリットは、恩恵にまつわるものだ。オウル自身にしか分からない違いに気づくのは、同族であっても難しい。

 竜であればなおさらだ。そうでなくても彼は、庇護してきたオウルの恩恵をあまり評価していなかったのだから、知らないのも無理はない。

 ベンチに座る男から、胸元に置いた自分の手へ視線を移したヘキサは、これから言おうとしていることに臆さぬよう、軽く拳を作った。

「そのデメリットは血の割合で変わりまして、私の場合、恩恵に二つほど制約がついてしまうんです。そのせいで、在ることは分かっても探せなくなる……」

「制約?」

「はい。その一つが――」

 ごくっと喉を大きく鳴らし、男を真っ直ぐに見つめて言う。

「その探しモノが、私自身にまつわるモノである場合」

「…………」

 しばしの沈黙。

 合間に風が流れること数秒。

「で、どうなんでしょうか?」

「へっ!? あ、えっ!? ど、どうなんでしょう、とは!?」

 待っていてはいつまで経っても動きそうにない男へ、一歩踏み出して問いかければ、正体が元・邪竜とは思えないほどうろたえ、ベンチに縋りつく姿。

 これに怯まずヘキサは尋ねた。

「私は、私が星詠みの血筋かどうか、知りたいんです」

「お、お嬢さんが……ですがそれは、さすがにでき過ぎというか」

「そんなことは百も承知です。私だってそう思います。でも、その可能性があるなら確認したくありませんか?」

「ありませんか、って、そりゃ私だって、お嬢さんがそうであったなら――い、いえっ、決して変な意味ではなく!!」

 何故か男の頬に朱が差す。

 それを認めたヘキサは、同時に男をベンチへ押しつけるようにして囲う、己の腕と男との近さに気づくと、慌てて姿勢を正して謝罪した。

「すみません。少し、勢い込んでしまって」

「い、いえ、こちらこそ……」

 互いに深呼吸すること数回、気を取り直してヘキサが言う。

「改めて、お尋ねします。私は星詠みの血筋なのでしょうか? いえ、星詠みの血筋をどういう方法で見つけ出すのか、教えて頂けませんか? 確か、血の匂いがどう、と聞いた憶えはあるのですが。血を出せば分かりますか?」

 そのまま袖を捲りつつ、魔力を練って小さなナイフを作り出すヘキサ。

「ちょっ!? お嬢さん!?」

 ヘキサのやろうとしていることを察した男は、慌てて立ち上がるとナイフを払いのけた。

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