第7話 探索者

 この都市の創設者にして管理者は、神にも匹敵する高位の存在だ。

 そこに結界――自分の領域を造ろうものなら、通常、すぐさま警邏が駆けつける。たとえクロエルの滞在と共に、力の行使を許されていたとしても、都市で起きた異変に、警邏は必ず確認をしに来るだろう。

 しかし、公園の入り口も垣根向こうにも、それらしき姿は一向に現われない。

 知覚されない結界。

 しかも、男はそれを躊躇いなく造りあげた。

 竜ともなれば連行先で管理者本人に会っただろうに。

 間近にしたなら、その力も推し量れただろうに。

 余程神経が図太いのか――あるいは、他を気にも留めないほどの力の持ち主か。

 再びもたげる、邪竜が起こす滅びの可能性。

 これを封じるように「どちらにせよ、相手は自分より遥かに高位の存在」と無理矢理思考を閉じたヘキサは、動揺を落ち着かせるべく大きな息を吐いた。

「それで、お嬢さん? 人除けの次は何をしましょうか。どうやらお嬢さんの恩恵は私の知っているモノとは違うようですので」

「!」

 探るような男の目に、ヘキサの頭が昨日の緊張を思い出す。

 知らぬ内、近くまで来ていたこの男こそ、「院」の教授ではないか――。

 けれど昨日同様、即座に否定する。

 ヘキサの担任がもぎ取った条件は、言わば契約だ。期限が切れるまで、ヘキサは自由に職を探すことができ、その一番の障害となり得る教授は、期限内に姿を現すことはできない。

 ゆえに、話すことができる。男と自分以外、誰もいないここでなら。

「いえ、大丈夫です。他には何も。実を言えば私の恩恵も、そこまで目を引くモノではありませんから」

「……ほう?」

「あ、いえ、特別何が必要というわけではないだけで」

 怪訝な男の顔に慌てて言葉を足すヘキサ。

 一度息を整えては、一気に告げた。

「私の恩恵は、現存するモノを探せること。探しているモノが分かれば、それがどんなモノでも、この世界のどこかに在るなら、その在り処を探し出すことができます」

 探索の恩恵――数ある恩恵の中でも種類としては地味な方だが、探し物があるなら、これほど有用なものはないだろう。オウルに恩恵を授けたのは、酔っ払いの博打打ちでも神は神。その効力は複雑な魔法を用いるより確実だ。

 恩恵とだけ聞いた時には戸惑っていた男も、そこはやはり知っているらしく、ヘキサに向かって大きく頷いてみせた。

「なるほど。お嬢さんの恩恵の範囲はこの世界ですか。それは頼もしい。しかし……いえ、何でもありません」

 男が言いかけた言葉には察しがつく。

 ――その程度の恩恵ならば、人除けをする意味があるのか。

 しかしヘキサはあえて触れず、座る男へ言う。

「では、改めて。貴方がお探しのモノは、星詠みルミルの血族」

「ああっ、ちょっとお待ちくださいっ!」

「は、はい?」

 恩恵を行使する直前、男がヘキサの手首を掴んできた。

 縋るソレに驚くヘキサへ、すぐさま手を離した男は謝罪がてら問う。

「す、すみません。ですが……その、この世界のどこかに在るなら、ということは、もし……もしも、お嬢さんの恩恵で見つからなかった場合は」

「ええ、途絶えていた、と言うことになりますね」

「いやいやいやいやっ!!」

 ヘキサが何を今更と言わんばかりにあっさり告げたなら、ベンチから立ち上がった男が両肩を掴んできた。

「そんな簡単に言わないでくださいっ!? 世界、終わってしまうんですよ!? いえ、終わらせる私が言うのもなんですけどっ!」

 必死の形相に合わせ、ほつれるオールバックの髪。

 揺さぶられはしないものの、近い迫力にヘキサは目を白黒させる。

「そ、そんなに嫌なんですか、世界を滅ぼすの」

 一時はそんな凶行に没頭していたというのに。

 思わずぽろっと零した問いに、間髪入れず男は言った。

「嫌ですよっ! こんなにも思い出深い地を、己の浅はかな意地で誰が壊したいと思いますか!?」

(ど、どうやら、私が思うよりもこの方の想いは深いらしいですね。……とはいえ)

 そっと、今度はヘキサが男の手首を掴む。

「落ち着いてください」

「これがどうして落ち着いてなんか――」

「落ち着いて、思い返してください」

「っ…………」

 ヘキサの小さな琥珀の目の中で男の顔が逸らされた。

 次いで両肩を掴む男の手が落ちたなら、両手で拾って自身の前に纏める。

「だとしても、同じことです。血筋がたとえ途絶えていたとしても、それが分からないままだったとしても。その二択しかないのなら」

 そこで言葉を切ったのは、そんなことは言われるまでもなく知っていると思ったからだ。オウルの小娘なんぞに言われるまでもなく、竜であれば、それ以上に契約した当人であれば、それが覆せないことくらい、知っていると。

 案の定、苦渋に目を摘むった男はそれ以上言えず、けれど別の方から問うてきた。

「……分かっているんですか? もしも途絶えていたなら、その瞬間、私は契約の最後の一文に従って世を滅ぼす。そこに今の私の感情は含まれません。契約の……昔の私が願った通りに、私はきっと、お嬢さんを――」

 疲労感たっぷりの吐息と共に告ぐ。

「殺してしまうでしょう。それも、誰よりも最初に」

 静かに開かれた黄緑の瞳、その瞳孔が縦に細まり、魔力を帯びて微かに光る。

 脅しのような圧を受け、ヘキサが思うことは、

(……実は先ほど気づきました、とは言えない雰囲気ですね)

 向かい合えば高い位置にある表情は、直前まで狼狽えていたとは思えないほど冷淡だ。もしも最初からこんな顔をされていたなら、ヘキサも臆していたことだろう。

 だが、これまでの経緯がある。

 今更冷ややかに睨まれたところで、その理由がヘキサの身を案じてのことと察せたなら、軽口の一つも浮かぶというもの。――さすがに声に出すことはないが。

 それでも、くすぐったさに自然と唇がほころんでしまい、男の顔が険しくなる。

「……冗談では」

「いえ、すみません」

 言いつつも緩んだ顔はそのまま、逆にヘキサはふんわりと微笑む。

「もちろん、怖いですよ。どんなにコウルズで学びを得たところで、本気の竜を前にできることなんて全く思いつきませんから。反対に、知識が邪魔をして楽観視すらできません。ですが……きっと、上手くいきますよ」

 説得力のない恐怖と共に、根拠のない希望を呑気に語るヘキサ。

 だが本心から出た言葉だ。

 不可解と更に顰められた顔を前にしても、ヘキサの気持ちが揺らぐことはなかった。それがシハンの夢のせいなのか、それとも目の前の元・邪竜のせいなのかは分からない。

 ただ、見つかればいい。

 その思いだけで首元へ手を持っていく。

 取り出したのは、茶色い紐に巻かれた、何の変哲もない小石。

「それは?」

 着飾るというには不格好な首飾りを見て、男が凄みより戸惑いを強めた。

「おまじないみたいなものです」

 そう言うとヘキサは目を伏せ、小石を握りしめる。

 この行動が何を意味するのか。

 察した男が微かに息を呑む音を聞くが、ヘキサは構わずに思い描く。

 男が探す、ルミルという星詠みの血筋の行方を――。

 男が作り出した結界の有無に関わらず、魔力などと違い、ヘキサの恩恵が外へ与える影響は全くない。昼近い風は微かに木々を揺らし、晴天に恵まれた周囲は平日の暮らしに勤しんでいる。

 誰も、この少女が導き出す結果如何で、世が一変するとは思いも寄らないだろう。

 程なく、ヘキサの内に表れる、世界の命運。

 けれど、僅かに首を傾げた唇は、ぽつりと呟いた。

「…………探せない……?」

 刹那、空気がざわめく。

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