第6話 恩恵
契約の拘束力はヘキサとて知っている。
いや、今の世に在っては、常識と言っても過言ではない。数多の種族が共生するに辺り、一定の秩序をもたらして来たのが、今日まで積み重ねられてきた無数の契約なのだから。
中でも、竜や星詠みのように力ある者同士が交わす契約は、特に強力だ。一度交わせば、たとえ発言者当人であろうとも撤回が難しく、また時間によって効力が損なわれることもない。
知識豊富な竜ならば、契約の持つ力は当然知っていたはずである。だからこそ、契約の最後に付け加えられたその一文で、当時の彼がどれほどオウルを憎み、それが不変だと確信していたかが分かる。
――途絶えた暁には、お前の種は元より、この世の悉くを灰燼に帰そう。
それがまさか、その時を間近に控えて、こんな風にオウルの前で打ちひしがれるなど、思ってもみなかったことだろう。
だが一方でヘキサは思う。
世を滅ぼしかけた邪竜――とはいえ今は昔。
伝説と称されるほど遥か昔のことだ。
しかも、彼が当時滅ぼそうとしていた種族は、今ではぱっとしないオウル。
果たして、彼の最後の一文が実行されたとして、オウル以上の種族、もっと言えば、竜でさえ手を焼く種族もいる今の「この世」が、そう簡単に滅ぼされてしまうものだろうか。
(……ない、とは言い切れませんが)
ヘキサは浮かびかけた可能性を考えすぎと流しては、男へ言う。
「要するに、星詠みの血筋が見つかれば良いんですよね?」
「ええ。ですが……どこにもないのです。星詠みの、ルミルの家系に流れる血の匂いが」
男の話によると、ルミルと名乗った星詠みに子はおらず、指定された血筋はルミルの親戚筋のことらしい。当人の直系ではない、しかも契約の場にすらいなかった系譜に、一種呪いとも取れる役割を押しつけた星詠みには、呆れともつかないため息がついつい出てしまう。
「アレス様……私がつい最近まで仕えていた方も、実を言えば見つけるまで苦労しました。いえ、その前から気づいてはいたのです。ルミルの血筋の匂いが代を経るごとに薄まっていると。それでも星詠みとの契約ならばと、今日まで見ないふりをしてしまった……」
後悔する男の頭を見つめ、ヘキサはそれは仕方がないと心の中で思う。
一つの種に留まらない星詠みには、そう分類されるだけの共通の能力があった。
未来予知。
それも、オウルより高位の存在、神でさえも覆せぬ、絶対の予知。
「ルミルは言っていました。自分の種はオウルという名だと。だから私は、永い間オウルを求め、オウルと共に過ごし……それなのにっ!」
「…………」
これまでの、己へ向けた悔恨とは違う、一言では表しがたい感情。
憎しみから始まり、約された通りの安らぎを得、忍び寄る終わりに裏切りはないと縋る。永い時の中で移り変わる心、その全てを含むようなソレに、ヘキサがかけられる言葉はない。
「……すみません、本当に。契約が切れかかっているせいか、どうも感情が上手く制御できず」
「いえ」
ヘキサの存在を思い出したように顔を上げた男は、疲れ切った笑みに照れを浮かべ、己の顔を両手で撫でる。その仕草は、正気を保つため、自身を宥めているように見えた。
(どうやら、契約の期限はこの方の心根一つのようですね)
邪竜が付け加えた一文には「途絶えた暁」とある。通常であれば、「途絶えていないから実行されない」と関連づけられるはずなのだが、現状、男の様子は芳しくない。ヘキサの考えは、あながち間違いではないだろう。あるいは、あの時代より広く複雑になった世界のせいで、途絶えたという判断基準がそれしかないのか。
不安定ながら無期限に近い猶予を得たものの、手放しで喜べる話でもない。
(つまり、仮にルミルの家系が本当に途切れたと分かってしまったら……世界が本当に終わるかはさておき、とりあえず、最初の犠牲者は私になるんでしょうね)
今更ながら気づいた事実に、ヘキサは少しだけ頬を引きつらせた。
昨日、男へ助力を申し出たのは、一種の現実逃避のようなものであり、真実、現実とさよならしたかったわけでは決してない。
とはいえ、この期に及んで放り出すつもりもなかった。
何よりの後押しは、今日の夢に見たシハンの言葉。
――キミを知る者が、キミと知らずに守るだろうから。
(都合良く、私がその血筋で、というのは、さすがにでき過ぎですが)
たまにはそんな偶然を空想するのも良いだろう。この一年、教授の推薦状には、本当に悩まされ続けてきたのだから。
ヘキサは浮かんだ笑みを消し去るように小さく息をつくと、昨日、男へ声をかけた時のように、胸へ手を当て自身を示した。
「では、早速探しましょう。星詠み、ルミルの血筋を。……私の恩恵でもって」
多少声が上ずり、口が渇くのは仕方がない。ソレを自ら公言するのは、シハンに禁じられてから始めてのことなのだ。
しかし、ヘキサの緊張を余所に男の反応は薄かった。
「恩恵、ですか?」
まるで初めて聞いた言葉と言わんばかりのそれに、ヘキサは目をぱちくり。
「え……と? オウルと暮らしていたのなら、ご存じですよね?」
(いえ、オウルと暮らしながら恩恵を知らないはずは……。もしや、オウルはオウルでも、現存するオウルとは別の……?)
伝説の邪竜、そこから数えて、あまりある時が経過している。一口にオウルと言っても、その間に種の中でも枝分かれはいくつもあっただろう。いやしかし、近親種があったとしても、男の今の姿とほぼ同じ種は、ヘキサの種で間違いないはずだが。
浮かんでは消える可能性の数々。
見当違いかどうか、それすら分からず、緊張した分だけ混乱するヘキサに対し、しばしこの様子を不思議そうに見ていた男は、はっと何かに気づいたような顔をした。
「あ、ああ、すみません。恩恵、恩恵ですよね? もちろん、オウルと暮らしておりましたから知っておりますとも。ただ……その、言ってはなんですが、失礼ながら、この問題が恩恵でどうにかなるとは、そのぉ……」
(……ああっ! そういうことですか!)
気まずそうな男の様子から、ヘキサは言わんとしていることを察した。
ヘキサが提示した「恩恵」は、オウルという種を語る上で欠かせない要素だ。
邪竜により抗えない力を体感したオウルだが、気づき程度でそう簡単に種族としての能力が上がるわけではない。他種族との衝突が増えるにつれ、次第に消耗していった彼らは、ある時、神とも呼べる存在に救いを求めた。それにより彼らは、恩恵という特殊能力を一人につき一つ得るに至り、現在でもこうして地に息づいている――のだが。
何の因果か、彼らの悲痛な声を拾ったのは、べろんべろんに酔っ払った賭博の神。
そのせいで恩恵の能力には明確な個人差が生まれてしまった。例えば、ある者は無尽蔵の魔力を有した一方で、ある者は軽く小さいものに限り必ず狙った箱に入る、というように。
(恩恵の名の通り、当人に害がある能力はほとんどありませんが……。シハンが言うには賭博である以上、当たり外れがあるのは当然、外れが多ければ多い程、当たりにありがたみが出る、とかなんとか)
かといって賭博をした様子もないシハンは、「まあ、聞いた話だけれどね」とオウルの恩恵の在り方を締めていたものだ。
(……当たり外れは判断しかねますが、少なくともこの方と暮らしてきたオウルの中に、竜の目を引く恩恵はなかった、ということなのでしょう)
だからこその男の反応。
(まあ、私の恩恵も、そこまでのものでもありませんが、使い方次第では……)
ゾクリと肌を震わせ、ヘキサは辺りの気配を探る。高揚に任せて口走りかけたが、ヘキサの恩恵はそうそう明かして良いものではない。
特に、「院」の教授に目を付けられている今は。
「あの、お嬢さん? やはり気を悪くされたのでは」
恐る恐るかけられた声で我に返る。
「え? あ、いえっ」
忘れていたわけではないが、優先事項の外に置いた男の、声音通りの様子に首を振りかけ、ヘキサは真似るように恐る恐る男へ尋ねた。
竜であれば、オウル以上に周囲を探れるだろう、と。
「すみません、一つ確認したいのですが、この公園内には今、貴方と私以外、他にはどなたもいらっしゃいませんか?」
「公園内?」
怪訝に眉を寄せた男は、首だけで辺りを見渡すと「ふむ」と頷いた。
「これと言った気配はありませんが。では、こうしましょう」
「!?」
男が手を叩いた瞬間、見えない何かがヘキサの身体を包み込んだ。
しかしそれは一瞬のこと。
過ぎてしまえば景色や木々の葉擦れ、漂う香りに変化らしい変化はない。
――それでも。
「これでこの場で起こることはお嬢さんと私以外、誰にも知覚できません。仮に干渉する者がいたとしても、いち早く察知できます」
「結界……?」
「ええ、まあ。似たようなものと思って頂ければ」
「…………」
穏やかに微笑む男とは対照的に、ヘキサの心臓は早鐘を打っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます