第5話 正体

 憩いの場にしても、仕事の合間で休むにしても、中途半端な位置にある小さな公園には、相変わらず人気がない。

 だからこそ、ここを指定したヘキサは、申し訳程度にあるベンチの一つへ座るよう男を促すと、自分はその正面に立った。そうして気づく、昨日とは違う男の変化に、琥珀の目を瞬かせた。

「今日は気配があるんですね」

「ええ、それはもう。……もしや昨日、気づかれていたのですか? 私の気配がないことに」

 にこやかに頷いた後で顔を引きつらせる男。

 この反応にヘキサはおずおず頷いた。

 今更、男の正体以上に驚く話題でもない。

 けれど男は困惑するヘキサを余所に顔を覆ってうな垂れる。

「ああっ、情けない! 300年ぶりの人里だったとはいえ、気配もなく人前に現われるなど! オウルの姿をしておきながら、自分はオウルではありませんと公言しているようなものではないですか!」

「ま、まあまあ、気配の有無なんて、普通は気にしませんから」

「お嬢さんは気づかれたのでしょう!?」

「ほら、私はコウルズ学園の出ですから、一般的な普通は当てはまりませんよ?」

 両手のひらを男へ向け、落ち着いてくださいと宥めるヘキサ。

 未だかつて、気配一つでここまで狼狽える相手がいただろうか。

 高位の種族の中には、気配だけでも他種を萎縮させ、場合によっては死に至らせるモノがいる。ゆえに、彼らのほとんどは人里で、平均、あるいはそこに住まう種族と同程度の気配に調整しているが、能力差がある以上、違和感なく完璧に調整できる者は稀だ。

 ……全く気配がない、というのも稀であることは確かだが。

 とはいえ、一つの種族が住まう単一都市とは違い、多種多様な種族を抱えるクロエルのような都市で、気配を気にする住人はほとんどいない。ヘキサとて、昨日はなかったものが今日になってある、その気づきを口にしただけで、言わば世間話の一つに過ぎないのだ。こんな風に悩ませるつもりはなかった。

 そんな思いでいれば、男が顔を上げて大きくため息をついた。

「……重ね重ね、すみません。どうも最近、神経質になっているようでして」

「いえいえ。お気になさらず」

 放っておけばどこまでも落ち込む一方の男。

 見かねたヘキサは、話を進めるべく男へ言った。

「あの……とりあえず、もう一度、姿を確かめても良いでしょうか?」

「ああ、はい。どうぞどうぞ。いくらでもご覧ください」

 男は自嘲気味に笑うと、両腕を横へ大きく広げた。

 ヘキサは礼を述べると、右手の人差し指と親指の先をくっつけ、その歪な円にふっと息を吹きかける。するとそこにシャボン玉のような虹色の膜が張られた。ヘキサはこれを自身の目と男の間に翳す。

(……分かってはいましたが、やはり、見間違いではありませんね)

 膜を通して視た男は、寸法や服装こそ変わらないものの、オウルとは似ても似つかない姿をしていた。

 影を帯びた皮膚は髪色を濃くした鱗状へ。頭には大小様々な十二の黒い角。色こそ変わらない黄緑の瞳は八つあり、内開いているのは二つ。他六つは閉じられており、不揃いな大きさでまばらに散るそれらはこぶのように見えた。左右に伸ばされた手には鋭利な黒爪が六指、その背後には、折り畳まれてもなお目を引く翼膜が控える。

 ――――竜。

 強靭な鱗に覆われた体躯と無尽蔵に蓄えられた魔力、不老不死に近いがための豊富な知識を持つ、古来より地に存在し、今なお高位に位置する種族。

 そして、膜を通して視る竜の特徴はヘキサ、否、オウルにとって尤も因縁深い。

 ――十二の角を頂きに巨大な翼膜が空を覆い、絶えず紅蓮の焔を蓄えて、八つの瞳で天地を射、六つの黒爪で抗いを絶つ。

 ヘキサが入学当時、学園紹介の一環として聞いた、かつてこの地に襲来した邪竜の特徴。オウルの住処を片っ端から消滅させた姿がそこにあった。

(しかも、眷属や派生種ではなく、伝説の邪竜その人……)

 最初に男の正体を視た時、今と同じように二つの瞳しか確認できなかったため、ヘキサは男を邪竜の血筋やそこから枝分かれした種と考えた。それでも十分、脅威足り得るのだが、男はそんなヘキサの考えを飛び越えて、自身を伝説の邪竜だと明かし、膜の中で八つの目を全て開いてみせた。

 ここまで高位の存在になれば、見栄を張って正体を偽ることもない。

 勘ぐるまでもなく、男の話を真実と捉えたヘキサは、手を下ろすと息をついた。

 オウル姿の男の雰囲気ゆえか、正体を知ったところで不思議と恐れはない。けれど、だからこそ、昨日男がのたまった滅びにも、嘘偽りはないと実感できて気が重くなる。

 これを払うように頭を一振り、今一度確認の礼を述べてから、昨日彼から聞いた情報を整理する。

「貴方の正体はあの伝説の邪竜。でも、こうしてご健在の通り、伝説とは違い、討伐はされていなかった。代わりに、オウルの星詠みと契約を交わしていた」

 これもまた、ヘキサにとっては驚くべき話だ。

 星詠みとは特定の種族に寄らず、属する種族の枠に収まらない能力を持つ存在であり、長い歴史上で文献に現われた数は極僅か。オウルに限って言えば、過去三人が確認されているものの、表立って為したことが残されているのは内二人で、残り一人に至っては「いた」という事実しかない。そして、どれも存在が確認されたのは、邪竜が表向き討伐されたと伝説になって後。

 伝説の邪竜と記録にない星詠み。普通に暮らしていれば無縁だったはずの、何から何まで遠い存在の近さに内心クラクラしつつ、表面上は平静を装う。

「契約により制限を得た貴方は、彼の血筋を長年庇護しつつ、ひっそりと過ごされていた……で良いんですよね?」

「ええ、つい最近までは」

 大きく陰鬱なため息が男から漏れた。

 深い深いそれにはあえて触れず、ヘキサは続ける。

「最初は反発もあったけれど、長年暮らす内に愛着が湧いてきて、今では昔の不快が嘘のように日々穏やかに暮らせていた」

「ええ、つい最近までは」

 言葉終わりを待たず、またも吐かれる大きなため息。

 一度しか聞いていない話のため、確認も兼ねて声に出しているだけなのだが、段々とこちらが糾弾している気分になる。心なしか、男の頭も徐々に落ちている気がした。

 しかし、本題はここからだ。

 そんな元・邪竜が、何をどうしたら世を滅ぼすことになってしまうのか。

 原因は、言ってしまえばこの元・邪竜本人にある。

「それが今になって滅ぼすことになってしまうのは、彼の血筋を見つけられないため。つまり――」

「ああっ!! 何故あの時、あんな余計な一言を付け足してしまったのかっ!!」

 これまでで一番大きな声を出した男が、ベンチから落ちんばかりの勢いで頭を抱える。人気のない公園とはいえ、内容が内容だけに慌てて周囲を見渡したヘキサは、特に代わり映えしない園内にほっとしつつ、何度目か分からない宥めをする。

「まあまあ。仕方ありませんよ。当時はオウルが気に食わなかったんですから。いくら星詠み相手とはいえ、少しくらい抗いたくなっても」

「本気で言ってます? 竜であろうとも、契約はそう簡単に覆せないのですよ?」

 陰りの中でも鮮やかに見える黄緑の瞳が、恨めしそうに見つめてくる。

 これへ愛想笑いを返したヘキサは、それとなく視線を逸らした。

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