切り取った時間はどこへ行く?

女と入れ替わるようにして、今度は真っ黒い服に身を包んだ男が店に入ってくる。

「おや、こんばんは。今日はよく人が来るな」

「まあ、俺は客じゃねえけどな」

男は慣れた様子でショーケースの間を通り、重そうなスーツケースを店主のいるカウンターにごとりと置く。

「ご苦労様でした。コーヒーでもいかがです?」

「わざわざ気を使わなくてもいい」

「いえ、私が飲むので、ついでにどうかなと」

「ついでかよ。なら貰う」

「はい」

男を労いながら話す店主は、客の女と話すときよりも畏まらずにいるようだった。

「さっきのあれは客か?」

「ええ。外で会いましたか?」

「ちょうど出ていくのを見ただけだ。珍しく若い女だったな」

「ご家族から譲られたのでしょうね。時計自体はかなり古いものでした」


「運び屋さんが見るのは殆どご老人でしょうから、お若い方は珍しく思うかもしれませんね。時計を持っているのは若い方も多いんですよ」

「そりゃそうか。俺は持ち主がいなくなった時計を回収しているわけだからな」

「まあでも、若い方が使うのは主にここでケアした物が殆どですから、ご来店されるのは、確かに珍しいです。使い方もきちんと元の持ち主の方から教わっていたようで、かなり『ご愛用』でした。この前は、駅で落とし物の持ち主を見つけてあげたのだそうですよ。微笑ましいですよね」

「お前さんとしては、大漁大漁、ってところか」

「言い方が下品ですよ」

「それしか喋り方を知らんもんでな。『ご愛用』ってことは、修理で来たのか」

「はい。自分の意思で来たというよりも、時計が連れてきたのでしょうね。長く動きすぎて、少し暴走気味でした。ああなってしまうと危険です、溜め込んだ時間が悪さをしてしまう。彼女が無事にここに来られてよかった」

運び屋と呼ばれた男が持ってきたスーツケースを店主が開けると、中からはたくさんの腕時計や懐中時計が出てくる。店主はそれをひとつひとつ持ち上げ、眺め始めた。そして、目を細めて言う。

「重かったでしょう」

「そうでもねえよ。もう慣れた」

「それは頼もしいですね」

「心にもないことを」

「そんなことはありませんよ。私の仕事は、運び屋さんがたが居ないと成り立ちませんから。感謝しています」

店主はそう言い、二人分のコーヒーを淹れるための水をポットに入れ、カウンター奥にひっそりとあるコンロで湯を沸かし始める。



「運び屋さんだったら、この時計、使います?」

「時間を戻すってのか? あんまり考えたことがねえな」

「そうなんですね」

「それに、そいつを使うってことは、お前さんに自分の時間を渡すってことだろ」

「ふふ、まあ、そうなります」

店主がひとつひとつの時計を丁寧に分解していき、女の時計にもそうしたように、中から石のようなものを取り出し、皿の上に乗せていく。

「何かを成そうとするとき、必ず代償がある。通り過ぎたはずの時間を巻き戻すことはできません。彼女らこの店の時計を使う人たちは、その人自身の生きる時間を歪めているだけに過ぎません。そこで過ごしたはずの時間を時計に食わせて、たった五分間だけ過去に戻る……」

「まったくえらいモノを作ったもんだよ」

「実際、この発明は革命だと私は思っていますよ。現に、これほどの時間が時計に宿っている。人生における後悔というのは、これと同じだけ起きていて、その後悔を拭うための五分間は、これと同じだけ必要とされてきたということです」


皿の上に乗せられた石は、それぞれぼんやりと小さな光を点し始め、その光は皿の底を通り過ぎるようにして、皿の下に設置されているガラスの瓶に貯まっていく。ぽたりぽたりと落ちていく様は水滴のように見えるが、決して質量のある何かではない。それは、時計の持ち主たちが生きたはずの、けれどなかったことにされてきた『時間』そのものであるからだ。


「考えたことがないと仰いましたが、運び屋さんには後悔がないということですか?」

「そりゃもちろんあるだろ。生きてりゃ、ああすりゃよかった、なんてことの繰り返しだよ。それこそ、一日一回じゃ足りないくらいにな」

「へえ、意外ですね」

「お前さんは俺をなんだと思ってるんだ?」

「うーん……真面目で、真面目すぎて気難しい人?」

「なんだそりゃ」

「まあ、どれだけ真面目に誠実に生きていても、後悔なんてものは尽きないもの、ですかね」

会話をしながら店主は手際よくコーヒー豆を挽き、その横で湯を沸かしている。


「それでも、生きる時間を犠牲にしてまで、やり直しをしたくはないということでしょうか」

「別に長生きしたい願望とかはねえが……そうさな、俺はただ怖いだけのような気がする」

「怖い?」

「俺はもうその時計のからくりを知ってしまってる。で、俺は運び屋なんて稼業のせいで、過去に戻れる時計をいつでも持ち歩いてる。例えば俺が何か後悔したとして、それをやり直す。その後に、また死ぬほど後悔するようなことをする。そのときにはもう使えない。俺はそのことのほうが怖いことに思える」

「なるほど、ひとつの後悔をなくしたことを、後悔するかもしれないということですね」

「そういうことだ」

「でも運び屋さんはたいてい複数時計を持って運んでいるでしょう、一日一回というのは、人ではなく時計の性能による縛りですから、仕組みの上では何回だって使えるのですよ」

「それこそ、何度も何度も使って己の身に何が起きるのか考えたら、恐ろしくてたまらねえよ。それに、その力に溺れちまうのも怖い。いつか、それ無しでは生きられなくなって、それによって命を縮めていく……だから、考えたことがない。考えないようにしている。その恐怖に囚われて生きるよりかは、それは使えないものとしておいたほうが楽だ」

「ふふ、それもそうです。僕の時計に溺れてくださる、というのはとっても甘美な響きですが、運び屋さんとお別れするのは悲しいです」

「どうだか」


「なんだってこんな仕事を続けているのか、聞いてもいいのか」

「なんでってそれは、生きていくためですよ。それ以外に働く理由ってありますか?」

あっけらかんと店主は言う。

「生きていくため、ね。それは、いつまでだ?」

「いつまで……考えたことはないですね、今のところ。強いて言うのであれば、集めた時間が尽きるまで、ということになりますか。確かに私はこの時計で集めた時間を己に取りいれ、長い長い時間を生きています。既に人の道からはとうに外れてしまいました。確かに先代の技術と意思を継ぎ、こういう生き方を選んだときは恐れもあったような気もしますが……昔のことです。あまり信じられることではないかもしれませんが、もう忘れてしまいました。人は忘れるものですから」

「俺の家も、代々あんたらの時計屋に食わせてもらってる身だ、話は聞いてる。先代は、自ら命を絶ったのだろう」

お前は嫌にならないのか、と運び屋は目で訴える。

店主は丁寧にハンドドリップしたコーヒーをふたつ、カップにいれる。

「これ、いります?」

「いらん。必要ない」

店主は時計からぽたりと零れ落ちて溜まった器を軽く持ち上げ、運び屋に尋ねる。運び屋は冷たく拒む。それに店主は微笑み、頷く。

そしてそのままのブラックコーヒーを運び屋に差し出し、自分のコーヒーカップにだけその器の中身を注ぐ。軽くマドラーでかきまぜる動作をするものの、何かが足されたようには見えない。

「……そうですね、先代……私の父ですが。特に何も言葉を残してはくれませんでした。この仕事に、思うところがあったのは確かだと思いますが、それで私にああしろこうしろとは何も。死ぬ何日か前にも、私に『道は自分で選べ』とは言っていましたが、あれは自分自身に向けた言葉でもあったのでしょうね」

「まあ、人様の時間を騙し取っているような気分にはなるだろうさ。真っ当な生業とは言い難い」

「それは私にもわかります。けれど私は、この時計は人々にとって必要なものであると信じています。必要だから求める人がここへ来る。必要だから使用者がいる。必要としている者がいる限り、私は生き続ける。人々が誰一人、この時計を必要としなくなったとき、私はそこを役目の終わりとして、退きたいと思っています」

店主は時計から取り出した光を落としてまぜこんだコーヒーをひとくち含み、よく味わい、飲み込む。そしてほう、と息をつく。

「だから、跡継ぎは作らないと?」

「ええ。誰も必要としなくなれば、作るも直すも無意味ですから。そういう点では、よくできたシステムですよね。私が尽きればそれで終わり。それでいいのです」

「ずいぶんと潔いんだな」

「本来であれば、とっくに生きているはずのない時間を生きていると思えばこそ、でしょうか。それほど生に執着があるわけではないのです。ただ、この時計が生み出す人の物語を、今しばらく、見ていたいだけなのです」

「……そうか」

何も足されていないままのコーヒーをじっと見つめる運び屋。少し考えて、それをそのまま飲み干す。

「仕事に戻る」

「もう行かれるのですか?お気をつけて」

店主は運び屋を見送る。



時計を修理した女は、以降気がついたら別の場所にいるようなおかしなことは起こらなくなっていた。

少し迷ったが、時計はいつも通り身につけて生活するようになり、やはり何かあったときには、そのねじを巻いていた。


運び屋の男は偶然、以前時計屋に来ていた女を、仕事の途中に通りかかった駅で見かける。

そのままなんとなく、女の様子を見ていた。


「あの、すみません。先日ここでハンカチを拾ってくださった方ですよね」

「えっ? ああ、あのときの」

女は冒頭助けた青年と出会う。一瞬顔を合わせただけの女のことを、青年は覚えていたようで、女はそのことに驚く。

「先日はありがとうございました。実はこれ、二年前に亡くした母の形見……なんて、たいそうなものではないんですけど。でも母が残してくれた、大切なものだったので。きっとあなたが拾ってくださらなければ、気付かずに僕は行ってしまっていたと思います。本当にありがとう」

「……! そうだったんですね、お返しできて良かったです」

「あなたはすごく急いでたみたいだったのに、それでも声をかけてくれて……どうしてもお礼をしたかったんです。それで、待ち伏せするような真似を……すみません」

「いえ、そんな。私もお節介かなと思ってたんですけど、大切なものだったのなら、勇気を出して良かったなって、安心しました」

女はあのときの判断が青年にとって意味のあることだったと知り、時計を使ったことは無駄じゃなかったのだと思えた。

「それで、もし都合のあうときにでも、改めて、こんな立ち話ではなくて、ちゃんとお礼をさせていただきたくて……」

「そ、そんな、お気になさらず……」


運び屋の男は、そんな二人のやりとりを遠くから見ていた。

時計が結んだ女と青年のつながりを知り、運び屋は改めて、店主の言葉を思い出す。

「時計が生み出す人の物語、ね」

運び屋はそのまま、その場を離れていく。



時計屋では、今日も店主が一人、運び屋が回収してきた時計たちを修理している。

ここで前の持ち主が閉じ込めた時間を取り出し、まっさらに戻した時計を、また新たな持ち主に届けるために。

「この時計が生み出す人の物語を見ていたい……本当にこの時計に溺れているのは、私自身なのかもしれませんね」

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切り取られた五分間 アサツミヒロイ @hiroi-asatsumi

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