習作200128 免停冒険者、冒険しようとする

(習作200124とほぼ同じ部分の別バージョン)

――――


 リゼンは、その茶色の魔物が斃れているところを想像しながらり上がろうとする唇の端を抑えた。

 彼女は、魔物が茶色の毛皮の下に隠しているたくましい筋肉、太く頑丈な骨格、そして獰猛どうもうな神経の隅々まで知っていた。

 魔物の嗅覚が犬のように鋭いことも、魔物が聴覚に優れていることも、そして魔物の視覚がそれほどでないことも知っていた。

 愛用のサーベルで切り裂ける柔らかい場所があることも知っていた。

 リゼンは、この魔物と戦う冒険に挑んで負けるわけがないと知っていた。


 しかし、

 リゼンは、冒険に挑むべきではない。


 燃えるような見事な赤毛であっても、

 よく手入れされた黒いローブを羽織っていても、

 サーベルをピカピカに磨き上げていても、

 今の彼女には、冒険する資格がない。



 リゼンは、南国スーダリアに二人しかいない金位の冒険者ゴルドである。

 冒険者の三免許を持つ金位の冒険者である彼女は、彼女の両親と同様に、数々の魔物を討伐して名声を高めてきた。


 南国の都ホープシュタットの事情通が三杯目のジョッキを空けながら聴衆に披露するのは、女公証人ヴァラが語った「ペンネの戦い」におけるリゼンのいさおしだ。

 リゼンの相棒であったヴァラは、中央大法廷の真ん中に立ち、万のオークを立ち往生させた「ペンネの戦い」でのリゼンの機転、勇敢、無謀、そして勝利を力強く証言した。

 私掠しりゃく免許により戦利品の獲得を許されたリゼンは、獲得した戦利品を戦禍せんかに苦しむ人たちに分け与え、さらに名声を高めた。


 復仇ふっきゅう免許を持つリゼンは、隊商を襲う野盗を退け、彼らが奪った財宝の数々を元の持ち主に返した。


 魔物退治免許(本当は特定危険生物駆除免許という名前だが、長ったらしいので皆こう呼ぶ)を持つリゼンは、大蛇、人狼、吸血鬼、そして人い熊を討伐して、辺境の人々を守った。


 若く、強く、無謀で美しいリゼンの冒険が語られると、アインオルゲの叙事詩サーガに飽きてジョッキの中身を楽しんでいた聴衆たちは、ジョッキを傾ける手を止めて先を促した。

 戦争が終わり、多くの冒険者たちが廃業したが、リゼンの評判は、高まりつつあった。


 南国には、そのリゼンより知られている冒険者が一人いる。

 百を超える魔物を退治し、オークや野盗たちを追い払い続けている黒衣の冒険者アインオルゲだ。

 若くして冒険者の三免許を得たリゼンであっても、武勲と名声においてアインオルゲに遠く及ばない。

 アインオルゲは、冒険者を目指す者たちの希望だった。

 そしてリゼンは、アインオルゲの後を継ぐ若きエースとして、人々に知られつつあった。



 だが、今のリゼンは、免停中だ。


 リゼンは、彼女の後ろで馬を進める公証人ノイエを恨めしそうに見た。ノイエは、器用なウインクをリゼンに返す。彼は、免停中のリゼンに課せられた社会奉仕活動を監視するために派遣された公証人だ。

 免許を取り戻すため、リゼンは、南国王からの褒美ほうびをノードステンの村に届ける社会奉仕活動をしなければならない。その奉仕活動を見届けて報告するのがノイエだ。

 リゼンは、冒険に戻れる日、つまり、褒美が届けられたことをノイエがホープシュタットの法務局に報告する日までの日数を数えてため息をついた。

 その日までにリゼンが冒険をして、その冒険が証言されれば、賞賛ではなく免許取り消しが待ち受けている。冒険とともに生きてきたリゼンは、想像して唇をかんだ。


 首を振ったリゼンは、サーベルを抜こうとする手を抑えこみ、波打つ赤毛をまとめ直した。


「そう長く伸ばしていると邪魔になりませんか?」


 リゼンが青い布で赤毛をまとめ直したことを見とがめたノイエが、話しかけてくる。どうやら彼は、魔物に気づいていないようだ。

 リゼンは、緊張を抑え、極力落ち着いた声を出すよう努めながら、返事を返した。


「髪を切るのにも金がかかる。クロイツェル銀貨15枚、代わりに払ってくれるか?」

「利益の供与を求めたことを報告書に書きますよ。冗談です、私が切ってやってもいいですよ。これでも、髪を扱うことについては、女の子たちからの評判がいいんです」


 リゼンは、都ではプレイボーイでならしたというこの優男に髪の毛やその下のうなじを触られることを想像して、肩をすくめた。ノイエは、明るく社交的で面構えもよい男だったが、彼女は、短剣ひとつ満足に扱えないような男に身体を預けるつもりになれなかった。


「そうか、遠慮しておく。髪の毛と一緒に別のものも失いそうだ」

「信用ないなあ」


 どうやら、リゼンは、ノイエに緊張を気取られずに済んだようだ。

 リゼンは、振り返ってノイエに合図しながら馬を降りた。

 後ろのノイエが怪訝けげんそうな表情を浮かべる。


「どうかしたんですか?」

「花を摘みに行ってくる。ついてくるか?」


 リゼンは、不機嫌そうな表情を作り、繁みで用を足すだけだ、という雰囲気を強調した。


「ご冗談を。さっさと済ませてください」


 リゼンは、微笑みを浮かべた。

 ノイエが女の排泄はいせつを見ることが趣味の性的倒錯者だったらどうしようかと心配していたリゼンは、予想通りの返事に豊かな胸をなでおろした。あとは、手早く魔物を片付けるだけだ。

 リゼンを見るノイエの目に浮かぶ疑いを払うように、リゼンは、ノイエに手を振り、魔物が待つ繁みの中に足を踏み入れた。


 茂みに入ったリゼンは、山道から素早く遠ざかった。

 この討伐は、時間がカギとなる。ノイエは、彼女を疑っている様子だった。用を足すだけで二十分もかければ、彼に怪しまれるだろう。

 リゼンは、わざとらしく大きな音を立てながら山道と魔物の両方から離れた。そして、息をひそめて魔物を見た場所へ静かに移動した。


 茶色の魔物、すなわち二百オカはあろうかという茶色熊は、最初に見た場所から少し移動していた。熊は、山道に近づくようにゆっくりと後ずさりしていた。

 人を襲う獰猛どうもうな熊には見えなかったが、リゼンは、自分の経験と直感とを信じた。


 リゼンは、サーベルを抜き、風下の死角から茶色熊に忍び寄った。

 彼女は、じりじりと距離を詰める。

 リゼンは、臭いと音とに敏感な茶色熊に風下から近づいた。風下からであれば、臭いによって気づかれるリスクを避けられる。彼女は、音を立てないよう、息をひそめて茶色熊に忍び寄った。

 湿った風に乗って、熊の臭みがリゼンの鼻孔の中へと流れてくる。


 あと四歩。

 あと三歩。


 リゼンは、一足刀いっそくとうで仕留められる一歩の距離まで、慎重に歩みを進めた。


 あと二歩。

 リゼンの額に汗が浮かぶ。

 タイミングが重要だった。茶色熊は、鋭い爪を持つ恐ろしい魔物である。一撃で仕留められなければ、リゼンが返り討ちにあう可能性もあり得る。

 リゼンは、息を詰めて、最後の一歩を踏み出そうとした。

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