習作200131 免停冒険者、憧れの英雄と出会う

 中央裁判所へ続く道は、冒険者にひと声かけたい人々でごった返していた。


 リゼンは、石畳を力強く踏み鳴らしながら、少し胸を張った。荷車に載せたヒュドラに視線を向けたリゼンの口元が緩んだ。フェイがその横で不機嫌そうな顔をしていたが、リゼンは、気にならなかった。


 道は、普段にも増して混雑していた。賞金の通算が百万クロイツェルを超えた二人目の現役冒険者という栄誉をリゼンにもたらすヒュドラがかれていることを、集まった人々がどこで聞きつけたのか、リゼンも集まった人々も知らなかった。


 やがて、リゼンの前方でひときわ大きな歓声が上がった。

 リゼンに手を振っていた人々が、一人また一人と視線を移す。

 髪を留める黒布をいじりまわしていたリゼンは、あぶみに片足をかけて伸びあがり、人々の視線の先に目をやった。


 彼らの視線の先で馬を降りたのは、黒いスカーフを巻いた男だ。

 人々が一斉に彼の名前を呼び、手を振る。

 リゼンは、黒いスカーフを巻いた男から広がっていく歓声に負けない大声を張り上げた。


「ボルマンさん! 自分です、リゼンです! お戻りになっていたんですね」


 ボルマンは、リゼンの後ろにあるヒュドラをひとにらみし、唇をゆがめめた。そして、ごま塩が混じった頭髪からは想像もつかない張りのある大声でリゼンの名前を呼んだ。


「リゼン! エギルの娘じゃないか。ずいぶん腕をあげたようだが、息災にしていたか」


 人々から歓声を浴びるあのボルマンに名前を呼ばれて、リゼンは、頬を赤らめた。


「名前を呼んでいただいて光栄です。おかげさまで大物を仕留めることができました。自分は、いまからこのヒュドラを中央裁判所に提出するところです。ボルマンさんは?」

「俺は、さっぱりだ。この調子では、そのうち生意気な娘っこに頭が上がらなくなるかもな」


 苦笑しながらリゼンに視線を落とすボルマンに、リゼンは、はっと息を飲んだが、すぐにほおを赤らめて謙遜を返した。


「よしてください、自分なんてまだまだです。この蛇を入れたって、ボルマンさんが稼いだ額の十分の一にも足りません。私を歌う詩人も、いませんよ」

「俺の前で見え透いたことを言うな。そいつを渡し終わったらお前のところにいる眼鏡の嬢ちゃんも交えて一杯おごってもらおうじゃないか」


 やじ馬たちは、はっと息をのんだ。どこからか、ボルマンが小娘にたかるのかというささやき声が聞こえた。リゼンも一瞬息をつめ、それから財布をなでまわした。二晩は楽しめそうな重みを確認すると、リゼンは、満面の笑顔で承諾の返事をした。


「〈子羊亭〉のエールは、どうですか?」

「俺が出すからけち臭いことを言うな。ディーライのソプラノを楽しみながら飲み明かすぞ」


 緊張が解けたやじ馬たちは、歓声を挙げ、彼らが聞いたこともない上等の歌声を持つ美貌の歌姫について、さっそく想像を戦わせはじめた。これでこそ黒のボルマン、男の中の男よと叫ぶものもいた。ボルマンを楽しませるのに〈子羊亭〉とは、若造はやはりタマが小さいとあざける老人もいた。老人を支える息子が赤髪のリゼンは女だと訂正すると、老人は、タマもないやつはやっぱりダメだと気勢を上げた。


 ボルマンは、日没ごろに〈セイレーン亭〉でと告げると、器用に口角をつり上げて馬にきつめのむちをやり、足早に立ち去った。

 リゼンは、人差し指で緩み切った口の端をこすり、道を何度も間違えながら中央裁判所にたどり着いた。

 引き渡しを済ませたリゼンは、ヒュドラ狩りの賞金を決める審査会が三日後の正午に開廷することをフェイから告げられ、財布に残す生活費を勘定し直した。


 そしてリゼンは、鼻歌を歌いながらアーチをくぐりいつもの宿へと馬を駆った。


    ◆――――◆


 〈セイレーン亭〉では、西国生まれのガラス越しにテーブルを照らすロウソクでさえも甘い香りを漂わせていた。


 注文を取りに来た給仕は、ブラウスの奥に押し込めた柔らかい曲線を揺らしながら、リゼンが聞いたこともない酒の名前を並べた。目を白黒させながらボルマンに助けを求めるリゼンを見た給仕は、鈴蘭のように微笑ほほえんだ。

 まったくもってきまり悪そうにするリゼンを、ボルマンは笑い飛ばし、土地の名前と年号とを並べてから赤ふたつと給仕に告げた。ボルマンは、チーズの名前も並べていたが、リゼンにわかる言葉はひとつもなかった。

 リゼンは、隣に腰かけるフェイに助け舟を求めたが、成り行きに任せましょうといわんばかりの仏頂面を返されるだけだった。


「金位の冒険者のヒュドラ退治に、乾杯」

「か、乾杯。ありがとうございます」

「ボルマン様の気前の良さに、乾杯」


 グラスを合わせるときに大きな音を立ててしまったリゼンは、顔をしかめてワインを一気にあおった。フェイが頭を押さえるのを見て、リゼンは、ますます赤くなった。


「嬢ちゃんは、いつからこいつを担当しているんだ」


 三年前から、というフェイの言葉を聞き、リゼンは、フェイの横顔を眺めた。知り合った頃よりずっと健康的な色になった彼女の顔を見ながら、リゼンは、不慣れな音を立てながらソーセージをナイフで切った。


 ボルマンの質問攻めに答えるフェイのどの表情も、リゼンがよく知るものだった。


 冒険を監視して報告する公証人と監視対象の冒険者という関係が始まったころは、こうして一緒に食事をすることもなかった。屋台で軽食をとってから食堂についてくるフェイに、リゼンは、大いにあきれたものだった。

 一年、二年が過ぎるにつれ、トイレまでフェイについてこられることも、フェイに酒を断られることも減っていった。


「嬢ちゃんは、結構飲めるクチだな」

「いえいえ、リゼンの担当になってから忙しくて、いまは家でときどき飲むだけですよ」


 どちらかというと下戸のリゼンと異なり、フェイは、底なしに呑める胃袋を持っている。そんなフェイが「ときどき」の飲酒で我慢できるわけがなかった。

 リゼンは、街壁の外にあるフェイの家に招かれたこともある。フェイがまだ小さい弟と二人で暮らすその家は、調度の数こそ少ないものの、清潔でよい匂いのする家だった。その家には、鍵がかけられた部屋があり、中には酒瓶が積み上げられていた。

 リゼンは、フェイの家のことをよく知っていた。

 フェイがボルマンに説明する住所だって、リゼンは、そらで言うことができた。


「もったいないな。嬢ちゃんくらいの美人なら、酒をおごりたい男がいくらでもいるだろうに」

「そんな時間もないんですよ。いまは、仕事が第一です」


 フェイに恋人がいないことも、リゼンは、よく知っていた。

 リゼンとフェイは、一クロイツェルを互いに賭けていた。

 先に恋人を見つけた方が支払うその一クロイツェルは、二人の間で宙ぶらりんになったままだった。


 ボルマンがフェイからそうした話を聞きだしていくにつれ、リゼンのナイフがたてる音は、騒々しくなっていった。

 リゼンは、音を立てるナイフを見て顔をしかめ、目の前のソーセージをにらんでから、何度も何度もソーセージをかみしめた。



「それで、リゼン。審査会は、いつになったんだ?」


 リゼンは、吹きだしそうになったソーセージを無理やり飲み込んだ。

 喉に引っかかるソーセージをワインで流し込んでから、リゼンは、三日後の正午にヒュドラ退治を審査する審査会があると説明した。


「そうかそうか三日後か。じゃあ、お前と嬢ちゃんのところに祝い品を持っていくのは、明日か明後日だな。ワインとウイスキー、どっちがいい?」


 少し考えてから、リゼンは、ウイスキーと答えた。


「強い酒は、消毒に使えて便利なんですよ。狼やコウモリは、どんな病気を持っているかわかりませんから」


 色気がない答えを聞いて、ボルマンだけでなくフェイまでもひとしきり嘆いた。


「あなたねえ、そんなんじゃ一クロイツェルを私に取られるわよ」

「うるさい」


 ボルマンは、二人のやり取りを見て大笑いした。そしてボルマンは、ウイスキーを一本見繕っておくとリゼンに約束した。

 なるだけ度数が強いものをと頼むリゼンに、フェイは、ますますあきれかえった。ボルマンは、大笑いしながら、フェイに同じ質問を繰り返した。


「弟にも飲ませたいので、果汁をお願いしてもよろしいでしょうか」

「ああ、わかった。弟さんと会うのが楽しみだよ」


 リゼンも、フェイに似て利発なその弟とまた会うのが楽しみだった。

 少し身体が弱い弟は、同年代の悪ガキたちと違って生意気なところや乱暴なところがない素敵な男の子だった。

 リゼンは、すぐ酔っ払いになる姉とその友人に呆れながら、水と桶を持ってきてくれる弟のことが好きだった。


(果汁に合う揚げ菓子でも持って行ってやれば、喜ぶだろうか)


 食べ盛りのフェイの弟は、喜ぶに違いなかった。

 フェイも、栄養がどうのと文句を言いながら喜んで一緒に食べることを、リゼンは、知っていた。

 審査会が片付くまでにフェイの弟に食べさせる一番いい揚げ菓子を見つけ出してやると、リゼンは、心に決めた。

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