初めて出逢うあなた -3

「お姉さん……」

 オリバーは呆然と、エイミーの言葉を繰り返した。

「じゃあ、この人も王様と王妃の」

「違う。母親は王妃じゃ、私のお母様じゃない。彼女はレイラ島に住んでいたイリスという人と、お父様との間に生まれた子ども」

 開いた口が塞がらなかった。王家の重大な秘密を知ってしまった衝撃と呪いの正体に、頭が追いつかない。

「えっと……」

「トーラス、戻ったの?」 

 言いかけたオリバーの言葉を遮るように、初めて耳にする声が響いた。

 少女の背後、自分たちが入ってきた外扉ではなく、室内扉が開く。

 瞬間、頭が痛んだ。声を殺したら涙に視界が滲んで、だけど何とかこらえて声の主の姿を確かめる。

 そこにいたのは、オリバーと同じ焦げ茶の髪と瞳を持つ女の人。

「アデイル」

 トーラスはその人のことを、オリバーの母親と同じ名で呼んだ。


「ペルラ島の家に訪問があったという方たち?ずいぶんたくさんのお客様」

 歳はライエよりも上に見える。髪と目の色は自分と同じだけど、顔立ちはどこか似ているところがあるだろうか。

「……良いの?」

 何が良いのかとは言わなかったが、アデイルはエイミーを流し見た視線だけでトーラスに問う。彼女の存在はあまり知られてはならないのだろう。見知らぬ人間が部屋に何人もいることに、警戒しているに違いない。

「良いんですよ、そちらはエルダ王女であらせられますから」

 緊張感のないトーラスの言葉にアデイルは瞬き、即座に膝を折った。

「……大変失礼を」

 低い姿勢で衣服の裾を摘まみ上げる、最上の礼。道中、エルダは身分を隠していたから、このような振る舞いを受けているのをオリバーは初めて目にした。同時に、自分やライエはエルダに気安くし過ぎなんじゃないかと今更冷や汗が浮かぶ。

「あの、突然訪ねたのはこちらなので。アデイルさんですね」

「アデイル・バートンと申します」

 オリバーはあまり姓まで名乗らない。ライエが自身の姓を添えず名を告げることが多いから、オリバーもそれに倣っていた。

 オリバー・バートン。

 アデイルとの繋がりを持った名前。

「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。お付きの方々も、よくこのような難儀な島まで」

 控えていたオリバーたちに向かっても、姿勢の低いまま挨拶する。

 レナードとフランチェスカも礼の姿勢を取ったが、オリバーは呆けていて動けないままだった。一人立ち尽くしているオリバーと、アデイルの目が合う。

 それが数年ぶりの――記憶のないオリバーは、初めてと言っても良い――母と息子、再会の瞬間だった。


「アデイル、その男の子がオリバー君です」

 劇的な何かが起こるわけでもなく。トーラスがあっさりとオリバーの正体を告げた。

「えっ」

 一つ驚きの声を上げて、アデイルは低くしていた頭をそろそろと上げる。口をぽかんと開けたまま、オリバーの全身を眺めるようにした。

 オリバーはただ黙って固まる。

「ああ。そう、もうこんなに大きいの。そう……。えー……」

 アデイルは曖昧な表情を浮かべて、無意味な感嘆詞と単純な言葉だけを続ける。

「わからなかったなあ」

 その言葉に、ほんの少し傷ついた自分がいた。自分は記憶がないけれど、母は覚えていたはずだ。成長したからと言って、見紛うはずはないのだろうと、どこかで思っていた。

 もしかしたら涙を流し、思い切り抱き着いてくるようなことだってあるかもしれないと、想像もしていた。

(そんなこと急にされたって、どうして良いかなんてわからないけどさ)

 そう、突然に愛情を示されたり、母親の顔をされたりしたってどう返して良いかなんてわからないのだ。だったら、これくらいあっさりしていた方が、気が楽だとそう言い聞かせていたら。

「でも、顔がますますマシューに似てきたわ。本当に大きくなったのね」

 涙こそ流さなかったけれど。泣きたいのか、笑いたいのかわからないような表情で言うその人に。

 会いに来てあげられて良かったと、それだけは素直に思うことができたのだった。


「皆さんお疲れでしょう。とりあえず、お茶でも飲んで落ち着きませんか」

「あ、そうね。私、お湯を沸かしてきます」

 トーラスの提案に、アデイルは我に返ったように表情を切り替えた。一同に一礼して階下へ降りて行く。

「我々も行きましょう」

 アデイルを見送って、トーラスがその後を追うように室内扉を示した。

「あの。あの子は、良いんですか」

 椅子に座る少女を横目に、部屋を出ようとする。眠った子を起こすなというような緊張感と、放置する後ろめたさのようなものを感じた。

「エイミーは、今どうこうなるものでもないので」

 トーラスの言葉に続いて、エルダにも

「行こう」

 と促されて、オリバーたちはその部屋を後にした。


 階下の食堂らしき部屋に通されて、一同は腰を落ち着ける。広い部屋ではないが本来は共同生活を送る場所らしく、六人掛けの机が二脚配されていた。入り口より奥にある席について、お茶を受け取る。

「ありがとうございます」

 アデイルは他の三人に配るのと変わらない表情と態度で、オリバーにも食器を渡した。オリバーも、余計なことは考えないでそれを受けとる。

 ほわりと漂う湯気と紅茶の香りはなんだかぼんやりとしていたけれど、ライエの淹れる紅茶は薬草や香料を混ぜてあることが多いから、その違いだろう。柔らかい口当たりは、それはそれで悪くない。

「さて、何を話しましょうか」

 僕も何もかもわかるわけではないですけど、と言って、トーラスは紅茶に口をつける。

「呪いを解く方法は、ありますか?」

 片側三人掛けの真ん中、トーラスの正面に座ったエルダが単刀直入に尋ねた。

「一つは呪いの原因となった因縁を解消するか、ですね」

「因縁?」

「呪いをかけられるとなると、原因があるものでしょう。親の仇だからとか、思い人を奪った相手を憎んでとか。その、そもそもの原因を解消したり、わだかまりを解いたり、もう呪わなくても気が済んだ、となれば解呪できますよ」

 回答に、エルダの隣のレナードがつぶやいた。

「ものすごく当たり前の話ですね」

「人間の負の感情というのは、呪いの原動力ですからね。それが氷解すれば解呪も容易いのです」

 トーラスの隣で、オリバーは遠慮がちに挙手する。


「この呪いの原因……因縁?ってなんですか」

 当事者のはずなのに、相変わらず自分の立ち位置に戸惑う。隣のトーラスの表情を覗き込むように体を少し倒すと、その奥にいるアデイルの姿が目に入った。思わず目をそらす。

「エイミーは、お父様の子どもなのに王族に数えられていないのが気に食わないんでしょ。王位継承権が欲しいかったのか、王女の暮らしを手に入れたかったのか知らないけど、呪いだなんて陰湿な」

 吐き捨てるようなエルダの言葉に、オリバーは己が耳を疑う。

「あんな人、私のお姉さんなんかじゃない」

 棘で刺すような物言いは、いつものエルダからあまりにかけ離れていた。 

「あれ、でも待って」

「どうしました、オリバー君」

 混乱しながらも説明をかみ砕いて、浮かんだ疑問にオリバーは首を捻った。

「王族の因縁が原因なら、俺は関係ないよね」

 アデイルと、漁師であった夫マシューの子であるオリバーに、王族のしがらみが絡んでくる事情は何もないだろう。記憶のない過去に何があったかは知れないけれど。

「そうですね。エイミーの呪いが及んだ相手はエルダ一人ではないわけで、そして彼女の呪いを生み出した原因は、一つではないということです」

 事態の深刻さを感じて、オリバーはますます頭を抱えた。体中を文字に覆われた、まがまがしい少女の姿を思い出す。

「あ、あとエイミー自身も呪われてるんじゃないの。あれってどういうこと?あれはあれですごく可哀想な気が……」


「可哀想なんかじゃない!」

 けたたましい音が部屋に響き渡る。立ち上がったエルダがはずみで倒した椅子が、大きな音を立てたのだ。同時にエルダの叫ぶような声が、オリバーの言葉を否定する。

「可哀想だなんて冗談じゃない。本人が呪いに縛られているのだって、どうせ人を呪った代償が返ってきただけ。自業自得じゃない。自分がお父様の子どもだと認められていないからって、私やお母様のお腹の子どもを苦しめようだなんて、悪意にもほどがあるのよ!」

 長い髪を振り乱して、怒りの形相を浮かべるエルダの姿が信じられなかった。それこそ呪いでもまき散らすような激情。

「オリバーだって、きっと一方的な逆恨みか何かで呪われてるに違いないんだよ」

「それはわからないけど……何か事情があるんじゃないかな。王族との因縁だって、エイミーからすれば、自分とお母さんがほったらかしにされてるようなものかもしれないし」

 オリバーなりの考えを口にしたつもりだった。呪いを砕くためにも、誰かの苦しみを理解すべきなのではないかとも思った。

 けれど色々なことが欠けていたのだ。情報だとか、気づかいだとか。

「そんなこと……」 

怒りのあまりか、エルダが言葉に詰まる。しまったと思うが遅く、エルダの頬は怒りに紅潮して――いや。

(泣いて)

 オリバーの目に一瞬、エルダの悲しみが垣間見えて。

「もういい!」

 拒絶の言葉を叩きつけて、エルダは部屋を飛び出した。

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