魔女たちの過去

魔女たちの過去 -1

 王宮のだだ広い一室を与えられたライエは、まるで最初から部屋の主であったかのように、堂々と革張りの椅子にふんぞり返った。

 青を基調とした内装が鮮やかな部屋。空の高さよりも、海の深さを思わせる色合いだった。壁紙に精緻に描かれた、うねるような模様は波のようにも見えたし、植物を模したものかもしれない。いずれにしよ、地の色からほんの少し明るくした色合いで描かれる模様はうるさすぎることもない。調度品もやや過度な装飾を施している気はするけれども、無駄なものは置いていないようだった。


 趣味は悪くない。けれど、自分の好みではない。

「まったく、結構なおもてなしだこと」

 部屋に運ばせた紅茶に口を付けながら、ライエは独り言ちた。

 大きく立派な部屋に、呼べば応える使用人。それは十分な広さの居場所に何でも世話を焼く人間を用意するから、必要なこと以外で好き勝手振舞うなと言われているのと同義であった。

「早く上がっちゃいたいね、こんな役目」

 レイラ島へと送り出したオリバーの顔が目に浮かぶ。

 突然に突きつけられた事実と旅立ちに、オリバーの顔は不安でいっぱいだった。それを見守る大人の顔をして送り出したライエだったが、自分だって大きな何かが起きようとしている事態に、戸惑わないわけではない。


 息を吐いて紅茶をすする。普段、家で淹れる紅茶には香りをつけて楽しむのが好きだ。けれどここで出される紅茶は純粋に茶葉だけで淹れたもので、それでも格別に豊かな香りと風味なのだから、それは高価な品なのだろう。それにたっぷりと温めた牛乳や真っ白な砂糖を添えてくるのだから、ここでは嗜好品一つとっても求める価値がライエたち下々の人間とは異なっているのだった。

「ライエ様」

 控えめな呼びかけに振り返る。声の主は若い娘で、無感動な表情で頭を下げた。

「お願いいたします」

 毎日のことなので、娘はいまさら何をお願いするとも口にしないのだった。今のライエの役目は、王妃を襲う呪いを食い止めること。ライエは日々、かかり付け医のように王妃の下へ参じ、魔法で呪いに対抗する。

「ああ、はいはい。お茶、飲み終わったらね」

「終わり次第、新しいものを淹れ直しますので」

「そっちはそっちでもらうけど。残すなんてもったいない」

 そう言って、ライエは白磁の器に満たした紅茶を一気に煽った。

 

 部屋を出て、娘の後ろについて廊下を進む。背筋を伸ばして美しい姿勢で歩くその姿は、よく訓練されたものだ。さすがに王妃に仕える者となると格が違う。けれど王妃の傍仕えの筆頭と言えば。

「王妃腹心の侍女さんは、こんなにお若いお嬢さんだったっけね」

 何も知らぬ風を装うにもとぼけたふりをするにも、あまりに直球で嫌味な物言いだった自覚はあった。娘は歩みを止めぬまま言う。

「王妃様の前で、そのような無神経な物言いはやめてくださいませね」

 動揺ひとつ見せずにライエを窘めたのは見事なものだ。

 

 突然暇を告げ王宮から姿を消した件の侍女が、極秘のうちに城へと送還されてきたことは大きな衝撃であった。

 乱心した王妃の『呪われた子どもを殺せ』という言葉に、誰よりも打ちのめされたのは外ならぬ侍女だったのかもしれない。王妃が乱心したのと同じように、その腹心ももはや正しい心ではいられなかった。そうしてエルダに刃を向けたのだ。

『呪われた子ども』が、レイラ島に隠された王のもう一人の娘のことだとも知らずに。

 王妃は知っていたのだ。自分の夫が己の産んだ子以外に子どもがいることを。

 どこからその事実を知ったのかは、わかりようもないことだ。王太子だったころの現王がレイラ島に滞在する時には、相応の人数の従者を連れていたわけだし。若く分別がついていたかもわからない王太子の振舞いを、注視していた者は多いはずだ。エイミーの存在を完全になかったことにはできまい。ただでさえエルダが呪いを受けて、何もかもを王妃に隠し通すことはできないだろう。


 かつて王と繋がったであろう女とその子どもという存在は、それこそ呪いであったに違いない。

「……所詮さ。王も王妃も、結局は人間だからね」

 その血脈と国家の繁栄を築くための婚姻の、子どもをなすということの、重大さたるや。その責任を果たす二人を結びつけるのは、血筋とか権力とか、利害とか地盤とか、そういうものであって構わないだろう。

 けれど役目を果たさんとする者だって、相手を恋い慕う情熱や子どもを愛おしく思う気持ちが生まれて当然だし。

 また反対に役目とは裏腹、立場から外れたところで人を愛したり繋がったりすることがあっても、おかしくはないのだろう。


「口を慎んだほうがよろしいかと。あなたはずいぶんと、王に対して無礼ですから」

 優秀な娘は淡々と告げる。己が主への無礼を許さない忠臣ぶりは立派で正しい。その上、彼女には全く落ち度はないのだが。

「そうだねえ、私はずいぶんと不敬だろうね」

 思わず誰かに苛立ちをぶつけないではいられなかった。オリバーたちを襲い、慕ってくれているフランチェスカに大怪我をさせた侍女は許す気にはなれないし。

「王妃には同情しなくもないけれど。王はね、あれは駄目だよ」

 そして元凶を作ったと言える王に対しては、怒りばかりを覚える。ここ一五年くらい、ずっと。

「だからぶん殴ってやったんだよ」

 ライエの発言に、娘は今度こそ足を止めて目を見開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る