第21話【第四章】

【第四章】


「間もなく本船前方に、ワームホールが光学視認されます」


 フィンを安全に座席に着かせた時、トニーが声をかけてきた。操縦席のシート越しにだ。こちらからは、大きく武骨で平面的な背中しか見えない。

 かと思いきや、半球体に飛び出した頭部を回転させて、トニーは目を輝かせた。おどけているようにも見える。


 僕の脱力ぶりを見て、励まそうとしてくれているのだろうか? それでも僕は、喜ぶ気にも、逆に怒る気にもなれなかった。


 僕は、フィンがサイボーグかもしれないという疑惑を脇に置いて、もう一つの問題を検証してみることにした。


 レーナが僕同様に、視界が真っ赤になる現象――そして敵性勢力に対して、容赦なく殺傷するようになる現象――に見舞われている。その事実に、僕は怯えた。

 あの心優しいレーナが、ロケットランチャーでミサイルごと管制塔を吹っ飛ばし、数名か、十数名かの命を奪った。

 

 僕と互いに恋い焦がれているはずのレーナが。家族ぐるみの付き合いがあって、将来を誓い合ったはずのレーナが。誰よりも友人の死を嘆いていたはずのレーナが。


 しかし、一番問題なのは、レーナ本人の心が読めなくなってしまったということだ。

 レーナは、この『視界が真っ赤になる』現象について、どう思っているのだろうか? 


 どんな悩みも、僕たちは共有してきた。

 僕が地球オタクになって、いじめられた時も。

 レーナが髪の色をからかわれて、泣き出してしまった時も。


 僕とレーナは、交互に背中を擦り合い、肩を寄せ合うようにして生きてきたのだ。

 そんなレーナの心が分からない。ポールの死を発端とした悲劇の連続が、僕たちの絆を断ち斬らんとしているかのようだ。


 そんな絶望に呑まれていたからだろう、すぐそばで響いた『わあっ』という声に、僕はすぐには反応できなかった。

 のろのろと顔を上げる。そこにはレーナがいて、船の前方を映した光学映像に見入っていた。


 僕がそちらに目を遣ると、僕までもがたちまちその映像に惹き込まれてしまった。

 そこにあったのは、巨大な巻貝状の白い光の渦だった。トニーの操縦の下、船は渦の大きく開けている方に向かって、ゆっくりと軌道を調整していく。


 その時だった。


「ん……」

「あっ、フィン!」


 レーナが振り返り、フィンのそばにふわり、と舞い下りた。


「レーナ……あたし、一体……」

「フィン、あなたは撃たれたの。それで、私が治療をして、包帯を巻いて、鎮静剤を打ったのよ。覚えてない?」


 しばし、フィンは顔を顰めていたが、すぐにはっと目を見開いた。


「そうだ、フレディさんは? あの人はどうなったの?」


 レーナの作り笑いに、ひびが入った。頬が痙攣し、目元にじわり、と水滴が浮かんでくる。

 僕はそっとレーナを押しやり、フィンの前に立った。


「フレディさんは亡くなったよ、フィン」

「……は?」


 何をたわけたことを言っているんだ、とでも言いたげな、訝し気なフィンの瞳。それに負けじと、僕は自分の目を細め、鋭くして見せた。


「冗談でしょ、アル?」


 僕が言葉を継げずにいると、


「アル様の仰ることは事実です、フィン様」


 と、トニーが極めて淡々と告げた。


「先ほどレーナ様にはご説明致しましたが、フレディ様は――」


 トニーはフレディさんが何をしたのか、どうやって僕たちを守ってくれたのか、それを無感情な口調で語った。

 その声は酷く冷たく響いたが、レーナが再び泣き出さないように、という配慮があったのかもしれない。


「それは……。そんなことが……」


 僕は『フィンが動揺する』という極めて珍しい事態に立ち会っているようだ。

 確かに、フィンはフレディさんと特に仲が良かった。いじめっ子から僕を救ってくれた時のことからも、それは分かる。

 しかし、その気の強さからして、とても『動揺』や『困惑』という感情とは縁遠いものとばかり思っていた。ポールの遺体を見てしまった、あの時を除けば、だけれど。


 やがて船内は、計器の立てる僅かな電子音と、レーナのしゃくり上げる声で満たされてしまった。

 フィンは包帯の巻かれた額に手を押し当て、やや呼吸を荒くしている。呆然としている、ということか。


 僕はちらり、と光学映像に映ったワームホールを見遣った。その手前には、微妙な軌道調整に臨むトニーの姿がある。

 

 自分の視線が定まらない中、僕は考えた。

 こんな感情豊かなフィンが、サイボーグだって? そんな馬鹿な話があってたまるか。

 僕たちは、紛れもなく人間だ。幼い頃からの、家族との記憶だってある。フィンだってそうだ。

 それに、銃撃を受けたフィンの治療を行ったのはレーナだ。僕自身が、フィンをサイボーグだと疑う根拠はない。レーナの勘違いではないのだろうか?


 いや確かに、スペースプレーン登場前、食糧生産プラントでの戦闘で、フィンの左腕が金属質に見えたのは確かだが……。

 

「……」

「アル様、お聞きでいらっしゃいますか?」

「え?」


 僕はふわり、と座席から浮かび上がったところを、トニーの細長い腕に捕らえられた。背中が軽く天井にぶつかる。


「あと三十秒で、本船はワームホールに突入します。大きな振動が予想されますので、シートにお座りになり、シートベルトをお締めいただくようお願い致します」

「ああ、ごめん」


 僕はゆったりとした造りのシートに背を押し付けるようにして、身体を固定した。それまでの間、自分が手先を顎に当てていたことにさえ気づかなかった。深く考えすぎていたのだろうか。


 また黙考しようとして、しかし、僕は視界を奪われた。光が目に飛び込んできて、僕の視野を真っ白に染め潰したのだ。


「うっ!」

「遮光板展開率、百二十パーセント! 皆様、耐ショック姿勢で目をぎゅっと瞑ってください!」


 スペースプレーンのリアウィンドウに施された遮光板を以てしても、これほどの光量がぶつかってこようとは。僕はワームホールによる空間移動というものに、自分がいかに無知であったかを思い知らされた。


 とにかく、トニーの指示に従うのが第一だ。僕は腰を折って、膝の間に頭を入れ、両手を腕で覆った。

 それでも、光は飛び込んできた。前後左右、それに上下を含めたあらゆる方向から、七色の光線が突き刺さってくる。


 この期に及んで、待てよ、と僕は記憶を辿ってみた。

 ワームホール通過時に感じる眩しさは、視神経によるものではないと聞いた覚えがある。さて、学校での実習だったか、座学だったか。


 いずれにせよ、記憶にある説明はこうだ。

 空間を捻じ曲げる技術を手にしたことで、人類はこの広大な宇宙空間を生活圏とした。しかし、その技術発展に適応しきれず、耐えきれなくなる症状が現れた。

 それがこの、視界を奪われた『かのように感じられる』現象だ。実際のワームホールは、光を発してなどいない。だが、その空間変質に伴う一種のストレスが、ワームホール通過時に感じられる、とのことだ。


 それでも、まさかこれほど影響を及ぼされるとは。とても考え事をしていられる場合では――。

 いや、待てよ?


 ワームホール通過に伴うこんな感覚は、僕が生まれて初めて味わうものだ。

 だが、だとしたら僕たちは最初、どうやって学校のある惑星にやって来たのだろう?

 僕の故郷は、地球からも学校からも遠い星だったと記憶している。だったら、ワームホールを通過するのは、少なくともこれが二度目のはず。


 こんな強烈な体験を、安易に忘れられるものだろうか? まさか、故郷から数十年もかけて学校にやって来たのか? だとしたら、僕はもう少年どころか中年に、いや、老年に差し掛かっていてもおかしくはない。


 何かが、奇妙だ。ということになる、のか?


 その時だった。聞き慣れた声が船内に響き渡った。

 ワームホールは、聴覚までは奪わない。依然万全の状態にあるトニーが、その声に応じた。


「こちらトニー。どうされました、ミヤマ博士?」

《いやいや! 随分大変な道のりになってしまって、誠にすまない!》

「いえ、わたくしは平気です」


 いつも通り、落ち着き払った声音でトニーが応じる。

 博士もまた、最初に会った時と同じく、朗らかな口調で言葉を紡ぐ。


《このワームホールを出てからの航路についてだ。諸君らには月の軌道内に入ってもらう。そこから徐々に、地球の周回軌道に入り、私のいる地球軌道ステーションに着陸してもらいたい》

「博士、それはあなた個人の軌道ステーションなのですか?」

《そうだ。極めて広大だし、ナビゲーションも可能になるから、そう難しい手間はかかるまいよ。特にトニー、君が操船を担当してくれているのならばね》

「了解しました。座標の送信をお願いします」

《分かった。またこちらから連絡する》


 その言葉が終わった直後のこと。一際光が強まるような錯覚を残して、ワームホールは僕たちを解放した。

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