シュトイベン男爵の軍務復帰とコーヒー禁止令

 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に逆行転生した俺が成長する中で、様々な変化が起こっている。

 身近なところで言えば、俺がスカウトさせたシュトイベン男爵が軍務に復帰したことだろうか。シュトイベン男爵が俺の宮殿で仕えていることを知った大伯父のフリードリヒ大王が、召し上げてしまったのである。大伯父も除隊してしまったシュトイベン男爵に思うところがあったのだろうが、冷静に考える時間があったからか、その様な決断に至ったのだろう。シュトイベン男爵本人も軍務への復帰を希望していたとは言え、俺に仕えて1年ぐらいしか経っていないのに召し上げられてしまったのは残念であるが。

 シュトイベン男爵は再び大伯父の参謀として勤務している様だ。大伯父から評価されているからか、昇進も早そうである。

 また、シュトイベン男爵はブリュッヘル少佐の紹介で軍務に就いている貴族の娘と結婚した。彼は自己管理能力に乏しいので、結婚によって良い変化が現れることを期待している。



 1777年、大伯父のフリードリヒ大王は「コーヒー禁止令」を発布した。

 大のコーヒー好きで有名な大伯父が、コーヒー禁止令を布告したのには、宮廷の廷臣や上流階級の人々も驚いている。

 プロイセンにおいて、曽祖父のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の御代には、コーヒーは馴染み深い物となっていた。贅沢嫌いの曽祖父も巨人兵たちとコーヒーを飲むことを楽しみにしていたほどだ。

 大伯父がコーヒー好きになったのは、父王の影響と言うよりは、啓蒙思想家のヴォルテールがコーヒーを愛飲していた影響が強いのだろう。

 そんなコーヒー好きの大伯父の治世下では、嗜好飲料としてコーヒーが広がっていったのである。

 しかし、プロイセンはコーヒーを栽培する植民地を持っていなかったため、コーヒー消費量の増加は、貿易赤字の増大に繋がり、一方的な通貨の海外流出となってしまう。プロイセンにとって、国際収支のバランスが悪化することとなった。このことは、神聖ローマ帝国諸領邦にも言えることである。

 コーヒー需要の拡大は貿易収支の悪化を招いたばかりでなく、国内で生産されるビールの消費量にまで影響を及ぼしていた。国内のビール産業ではビールの生産量が減り、打撃を受け始めていたのである。

 大伯父は、コーヒー・ビール条例を出してコーヒーに高率の関税を課しすとともに、ビールを飲むように奨励した。ビール産業の奨励を図った大伯父は、朝はコーヒーで目覚めるより、ビールで目覚めるほうがよい、と発言したそうだ。

 だが、それでもコーヒー愛好者が減らなかった。そのため、1781年には、コーヒーの焙煎を王室のみでおこなうこととし、それ以外でのコーヒーの焙煎を禁止することとなる。こうして、コーヒーを飲めるのは貴族・司祭・将官といった上流階級なったので、王室は莫大な利益を得ることとなった。

 それまで、コーヒーに親しんでいた庶民たちは、「代用コーヒー」を研究し飲む様にになる。ナポレオンによる大陸封鎖の下でコーヒーが手に入らなくなったこともあってか、後にドイツでは代用コーヒーが広まることとなるのであった。

 因みに、コーヒー禁止令は、その後20年余りに渡って続けられることになる。

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