不可思議な訪問者

 ――ユルグが迷いの森ヘ足を踏み入れた頃。


 ミアはヴィリエの村へと来ていた。


 故郷の無残な姿は傷心した彼女の心には辛い物だが、ユルグを追いかけると決意したのだ。

 それにはきちんと準備をしなければならない。

 そのため、家に必要な物を取りに戻ってきたのだ。


 食料に水、必要な物資をリュックに詰めてミアは家を出た。

 ユルグの行きそうな場所には殆ど心当たりはない。

 けれど小屋に姿が無かったということは、黙って捕まるつもりはないということ。


 そう考えるとやはり逃げるなら国外だろう。お隣のデンベルク共和国なら身を隠すにも十分である。


 目的地を決めていざ向かおうとしたミアの前に、見慣れない誰かが現れた。


 彼女は魔物の襲撃を受けたヴィリエの村の中心へと佇んでいた。

 キョロキョロと辺りを見渡して何かを探しているようにも見える。


「あの、どうかしましたか?」


 恐る恐る声を掛けると件の女性はミアの声に顔を上げた。


 緋色の瞳に金色の髪。

 とても美しい容姿に、ミアは一瞬で心を奪われた。

 どこかの城の姫君かと思わせるそれは、とてもこの世のものとは思えない。


 呆然としているミアに、彼女は尋ねる。


「この村は勇者様の故郷なのでしょう?」

「そうですけど、何か用ですか? ご覧の通り、先ほど魔物の襲撃に遭って、みんな……」


 声を落としたミアに、彼女はすいませんと頭を下げた。


「辛いことを思い出させてしまってごめんなさい。でもわたくし、どうしても勇者様にお会いしなければならないのです」

「……ユルグに?」


 それを聞いてミアはハッとする。

 もしかして、この女性はユルグを捕まえに来たのではないだろうか。

 噂では懸賞金も掛かっていると聞いた。


 ミアはユルグの居場所なんて知らないが、それでもおいそれと口を割る事は出来ない。


「もしかして、ユルグを捕まえに来たんですか?」

「……捕まえに?」


 ミアの予想に反して、彼女は首を傾げて見せた。


「勇者様はお尋ね者なんですか?」

「そ、そうみたいなんだけど……本当に違うんですか?」

「わたくしは勇者様にお話があって会いに来たんです。彼、大陸中を旅して回っているからこの村で待っていれば会えると思ったのですが……この様子だと難しいでしょうね」


 ミアの話を聞いて、女性はがっくりと肩を落とした。

 よほどユルグに会いたかったのか。その落ち込みぶりは尋常じゃない。


「どうしよう……困りました」


「あの、もし良かったら私と一緒に来ませんか?」

「……貴女と?」

「ユルグは幼馴染みなんです。私は彼に会って話をしなきゃいけない。だから今から追いかけようと思ってて」

「それって……さっきまで勇者様はここにいらしたのですか!?」


 いきなり彼女はミアに掴みかかってきた。

 驚いて声が出ないミアに構うことない様子に、なんとか頷いてやると彼女は離れていった。


「やりましたよ! マモン! たぶんそう遠くには行ってないでしょうし、今から追いかければ間に合います!」


『ああ、良かったなあ、アリアンネ。ここまで足を運んだ甲斐があったと言うものだ』


 突如、どこからか男性のような明朗に響く声音が聞こえてきた。

 驚いて周囲を見回すミアだが、ここに居るのはミアと目の前の女性のみ。

 他には誰もいない。


「紹介が遅れて申し訳ございません。わたくしはアリアンネ。こちらの――」


 アリアンネは不意に右手を前に差し出した。

 すると、その影を伝って何かが地面へと染み出してくる。


 それは黒い液体のような何か。それとも影なのか。

 よくは分からないがとても異質な物にミアの目には映った。


 やがてそれは獣の姿に形取った。

 今の現象を目撃していなければ、黒い犬と見間違えるかも知れない。


おのれはマモンと言う。ただのマモンだ』

「彼はこんな姿をしてますけど、無害ですからどうか怖がらないでくださいね」

『そう、良いマモンだ。宜しく頼む』

「ミアです。よろしく」


「わたくしのことはアリアと呼んでくれても構いませんよ。あと、敬語も不要です。これからは一緒に旅をする仲間なんですから」

「うん、これからよろしくね」


 アリアンネの提案に笑顔で頷くと、彼女もまた優しげな微笑を浮かべるのだった。




===



 

「そうですね。わたくしでも追われれば手の届かない国外ヘと逃げます。ミアの予想は当たっていると思いますよ」


 ユルグを追うに当たっての所見をアリアンネへと話すと、彼女は的確な答えをくれた。


「でも、問題はどうやってデンベルクへ向かうか、だよね」


 ミアは国境を越えるための通行手形は持っていない。

 国に発行してもらうにしても申請には時間が掛かる。一日や二日で済むことではない。


「わたくしも通行手形は持っていません。でも心配無用です!」


 彼女は赤のローブを羽織った、そのフードの奥から何やら自慢げにミアへと目線を向ける。


「関所を通らないで国境を越えれば問題ありません!」

「――えっ、えええええ!?」


 まさかこんな破天荒な事を言い出すなんて、ミアはこれっぽっちも思っていなかった。

 確かに今すぐユルグを追いかけるならそれしか方法は無い。

 けれど、国境付近の森――迷いの森は凶暴な魔物が多く生息していると聞く。

 到底、女二人で抜けられるとは思えない。


 そもそも、ミアはただの村娘だ。

 畑仕事ならしたことはあるが、剣を握ったことも魔物退治をしたこともない。


「それ、大丈夫なの?」

「ええ、わたくしこう見えてもかなり腕が立つのですよ。それにマモンもいますから」

『あの森に棲んでいる魔物くらいなら、己の敵ではないぞ。安心するが良い』


 なんとも頼もしい返答に、これならユルグを追いかけられると意気込んだミアだったが、既に夕刻時だ。これから迷いの森へ向かうと夜になってしまう。


「今日は私の家に一泊して、明日の朝向かうことにしない?」

「そうですね。夜の森は危ないですし、ここはミアのご厚意に甘えましょう」


 ヴィリエの村人は出立準備の前にミアが弔って無人である。

 魔物に壊された家屋もあるが、彼女の家は損害もなく残っていた。


 客人へと簡単な食事を用意して、二人と一匹は食卓に着く。


 マモンは食事いらずのようなので、ミアとアリアンネの分だけだ。

 温かいスープを食べていれば、ふとアリアンネがこんなことを言い出した。


「ところで、なぜ勇者様はお尋ね者なのですか?」

「私も詳しくは知らないんだけど、街では仲間に手を掛けたって」

「ミアはそれを信じているのですか?」

「……どうなんだろう」


 彼女の問いに、ミアはすぐに答えられなかった。


 ユルグを信じているのなら、そんなことはないと否定できる。

 けれど、ミアの脳裏にはあの時のユルグが焼き付いていた。信じたくはないけれど、難しい。


「もし良かったら勇者様のお話、わたくしに聞かせてもらえないでしょうか」

「……ユルグの」

「他人に話して、整理が付く事もあると思いますよ」


 アリアンネは優しげに微笑んだ。

 その微笑にミアは静かに頷くのだった。

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