記憶の中の勇者

幼馴染みのユルグがヴィリエの村を出て行ったのは、今から五年前のことだ。


 当時、彼はまだ十四歳になったばかりで、今まで剣すら握ったこともなかった。

 体型も標準的で、畑仕事を手伝ってくれるので多少は筋肉も付いており引き締まってはいるが、それでも一般的な普通の少年だった。

 魔物と戦った事も無い。たまに村外での目撃談を聞くと平気そうな顔はしているものの、内心怖がっているのが傍で見ているミアには筒抜けだった。


 要するに、ミアの幼馴染みであるユルグは到底、『勇者』なんていう肩書きは似合わない。ただのどこにでもいる村人だったのだ。


 そんなありふれた日常を送っていたユルグに、突如、女神の神託が授けられた。



『勇者』なんて凄いものを授かった幼馴染みを、ミアは自慢に思った。

 村の大人たちも誇らしいことだと口を揃えて言う。他の子供たちは、それはもうたいそう羨ましがっていた。

 けれど、ユルグだけはなぜか悲しそうな顔をするので、それが彼女には不思議に思えた。


 とても凄いことなのに、ちっとも嬉しそうではない。

 どうしてだとユルグに問うと、彼は恥ずかしそうに言い淀んだ後、こんなことを言った。


「ミアと一緒に居られなくなるのが寂しいんだ」


 はにかんで答えたユルグの言葉に、ミアは理解が追いつかなかった。

 今までずっと一緒だったのだからこれからも一緒なんだろうと、漠然とそう思っていたからだ。


 その二日後、彼は迎えに来た兵士と共に王都へと旅立っていった。



 次にユルグと再会するのは、それから三年後のことだ。



===



 三年ぶりにミアの前に現れたユルグは別人だった。

 村を旅立つ前の彼は、まだ声変わりも終えてなかったし背丈も二歳年上のミアよりも低かった。

 それが、村の同年代の子たちよりも随分と逞しくなっていて、ミアは瞠目するより他はなかった。


「……どちら様ですか?」

「えー酷いなあ。俺だよ、ユルグ」

「はあー……見違えたねえ」


 呆然とするミアを見て、ユルグはおかしそうに笑った。

 だいぶ印象は変わったように見えるが、話していると昔の彼のままなんだとすぐにわかった。

 それに嬉しくなって、懐かしさも相まって話に花が咲く。


 今まで何をしていたのか尋ねると、彼曰く、お供の仲間たちと共に方々を旅していたのだとか。

 国内のみならず国外ヘも何度か足を運んで、修練も兼ねての武者修行をしていたのだとユルグは言った。


 勇者としての彼の責務は、この世界のどこかにいる魔王を倒すこと。

 宿敵の居所は掴めていない為、それらしいロケーションを虱潰しに巡っているのだという。

 もちろん、そういった場所は凶暴な魔物の生息地でもある。

 相当な場数と修羅場を潜ってきたのだろう。ある種の風格のようなものがユルグからは感じられた。


「今回こうして帰ってきたのは、俺の修行に一段落付いたからだ。これからさらに過酷な旅になるから、鋭気を養っておけってさ」

「そうなんだ……どれくらい居られるの?」

「一週間くらいかな。その間、泊めてもらえると嬉しい」

「なに言ってるのよ。元々、ここがユルグの家でしょ。変な遠慮しない!」

「うん、そうだった」


 照れ笑いを浮かべるユルグを見て、なんだか心が温かくなる。

 最近は笑うこともめっきり減ってしまった。


「……あの、ここに来る途中で村の人に聞いたんだ。おばさんのこと」

「そっか。もう知ってたんだ」


 ミアの母親は一年前に亡くなってしまった。流行病はやりやまいで、手を尽くしたが駄目だった。


「……ごめん」

「なんでユルグが謝るのよ」

「ミアが辛いとき、傍に居てやれなかった」


 目を伏せたまま、ユルグは言う。

 それを聞いて、やはり彼は昔のままなんだなとミアは思った。


 村を出て行く時に、一緒に居られなくなるのは寂しいとはにかんでいた、優しいユルグのままだ。


「私はもう大丈夫。それより、お父さんの方が心配よ。お母さんがいなくなってから元気もなくなって――あっ、ユルグは心配しなくても良いからね! お父さんにはちゃんと長生きしてもらうから」

「……うん」


 慌てて取り繕ったけれど、あまり効果はなさそうだ。

 ユルグの顔には不安の色がありありと浮かんでいる。


 こんなことでは、一週間後に発ってしまう彼も安心して旅立てない。


「そうだ、お腹空いたでしょ。今から食事にするから待ってて」

「うん。俺、おじさんに挨拶してくるよ」


 告げて、ユルグは奥の部屋へと消えていった。




 ===




 久しぶりの幼馴染みとの食事はミアにとって、とても楽しいものだった。きっとユルグもそうだったに違いない。


 彼は旅の話をたくさんしてくれた。

 特に楽しそうに語ってくれたのは、一緒に旅をしているユルグの師匠でもある仲間の話だ。


 戦士のグランツ。魔術師のカルラ。神官のエルリレオ。



 戦士のグランツは、頼りになる兄貴分のような男だ。でもそれを帳消しに出来るくらい、酒と女と金が好きなクズで街に行くと決まって娼館に入り浸るから、皆――特にカルラに愛想を尽かされていた。

 けれど、今まで数々の修羅場を潜ってきた歴戦の戦士でもある。戦闘技術は目を見張るものがあって、ユルグは稽古試合と称して何度も彼にボコボコにされた。

 それでも悪い人間ではなかった。


 魔術師のカルラは、溌剌とした性格の紅一点。

 彼女からは魔術師の基本である攻撃魔法の指南を受けた。といってもグランツと同じ感覚で覚えろと無茶をいうものだから、相当難儀したのだそう。

 けれど面倒見もよく、彼らと旅を始めた当初、色々と気を利かせてくれたのが彼女だった。それでも、毎回消し炭しか作れない料理の腕のせいで、彼女との料理当番は毎回悲惨な結果になるのだ。


 神官のエルリレオは、とても落ち着いた雰囲気の老齢のエルフ。仲間内ではエルリレオなんて長ったらしい名前で呼ぶのは面倒だから、エルという愛称で呼ばれていた。

 彼からは魔法の他に旅で生き抜く知恵、処世術。その他諸々、たくさんのことを学んだ。その知識量はユルグが疑問に思った事を聞くならば全て答えが返ってくるほどだ。

 何か問題にぶち当たった時は、まずエルリレオに意見を仰ぐ。グランツやカルラも彼には一目置いていたし尊敬しているのは見てとれた。

 そんな彼はユルグを自分の孫のように扱ってくれた。仲間たちでは一番ユルグを可愛がってくれていたのだ。



 ユルグが夢中になって語る旅の話をミアはわくわくとした心持ちでずっと聞いていた。

 こんなふうに楽しそうに話す幼馴染みの姿をミアは久々に目にする。

 それだけで、彼らがどれだけユルグにとって大切な存在なのかがわかった気がした。


「村に帰って来れないのは寂しいよ。でも仲間がいるから頑張れるんだ」

「……そっか。ユルグにとって、とても大切な人たちなんだね」


 ミアがそう言うと、ユルグは照れたように笑った。


 その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 その瞬間、ミアはユルグのことが好きなんだと気づいた。



「さっきおじさんに聞いたんだけどミア、結婚するって本当?」

「――えっ!?」


 いきなりのユルグの問いにミアは固まった。

 否定の言葉が咄嗟に出てこなくて、慌ててかぶりを振る。


「た、確かに……そういう話はされたこともあるけど。でも結婚なんて、これっぽっちもそんな気はないからね!」

「でもミアだってもう大人だろ。いつまでも独り身じゃ、おじさん心配するんじゃないか?」


 やけにグイグイくるユルグに、ミアは訝しんだ。

 きっと父に何か言われたんだ。そうとしか考えられない。


「ユルグ……あのね、結婚ってお相手がいないと出来ないんだよ?」

「それくらい知ってるよ」

「例え私に結婚する意志があっても、良い人がいなきゃ無理なの」

「ミアは好きな男はいないの?」


 ユルグの軽い言葉に、ミアは対面しているユルグをじっと見つめた。

 その視線に気づくと、彼は苦笑を浮かべる。


「俺はやめた方が良いよ。次、いつ帰ってくるかも、生きて戻ってくるかも分からないんだ」


 ユルグの言葉に、ミアは哀しくなった。

 告白もしていないのに振られてしまったこともそうだが、ユルグは自分の置かれている環境をしっかりと理解している。


 勇者とはそういうもので、大切なものを棄ててまでも世界のためにその身を犠牲にしなければならないのだ。


 そんな当たり前のことに、ミアは気づけなかった。


 彼が村を出て行った時と何も変わっていない。

 ユルグはずっとミアの隣に居ると思っていた。

 今はやるべき事があって離れ離れになっているけれど、落ち着いたら元通り。


 そんな甘い願望を抱き続けていたのだ。


 けれど、ミアももう子供ではない。

 ユルグがなぜこんな事を言ったのか。それも理解していた。


 聞いてはいないから、彼がミアをどう思っているのかは知らない。

 それでも、あの言葉はミアを想っての彼なりの気遣いだった。


 仮にここでユルグと結ばれても彼はまた旅立ってしまう。傍にだって居られない。

 いつ帰ってくるかも知れない。もしかしたら生きて戻らないことだって考えられる。


 ユルグにとってそんなのは決して許されることではないのだろう。


「……そうだね」


 ユルグの気持ちを知って、それでも待っているなんて言えなかった。




===




「――やっぱり、ユルグがあんなことをしたなんて信じられない」


 記憶の中のユルグはミアの知っている優しいユルグしかいなかった。

 そんな彼が、仲間に手を掛けたなんて到底信じられない。

 あんなに大事に大切に想っていた仲間なのだ。


 村のことだって、きっと得も言われぬ事情があったに違いない。

 だから、ユルグに全てを聞くまで彼に対する疑惑はしまっておこう。


「勇者様はミアのことが好きなのですね」

「――えっ!?」


 唐突なアリアの言動に、ミアは目を見開いた。


「なんとも思っていない相手にそこまで尽くしませんよ」

「……そうかな。ユルグは誰にでも優しかったけど」


 ミアの答えにアリアは静かに微笑を浮かべた。


「そうだ。勇者様にお会いしたら聞いてみてはどうですか?」

「ななっ、なにを!?」

「彼がミアのことをどう思っているのか。わたくし、気になります」


 それは勿論、ミアも気になるところだ。

 けれど一度ユルグには振られているし、望みは薄いと思う。


「好きだって伝えてないんでしょう。だったら諦めるのは早いです」

「……うん」


 正直不安だけれど、アリアの言い分も分かる。

 諦めるのはユルグに気持ちを伝えてからでも遅くないはず。


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