夜明け前

 目を覚ましたユルグの視界には、フィノがいた。


 彼女はなぜか心配そうにユルグの顔を覗き込んでいる。

 不思議に思いながら少しの間ぼうっとしていると、フィノが恐る恐る手を伸ばしてユルグの頬に触れた。


 驚いて手を払いのけた瞬間、指先に当たる冷たさで自分が泣いていたのだと知る。


 久しぶりに懐かしい夢でも見たからか。

 今のユルグにはあんなのは悪夢でしかない。

 今更現実が変わるわけでも、変えられるわけでもないのだ。


「……雨が降っているな」


 耳を澄ますと、雨音が微かに聞こえてきた。

 小雨だが少し肌寒くなりそうだ。


「寒くないか」

「んぅ……すこし」


 森の中はまだ薄暗い。

 夜明け前に目覚めてしまったようだ。


 焚き火を起こして夜明けまで暖を取る。


「ユルグ」

「なんだ」

「……あい、じょうぶ?」

「何がだ」

「ないてた」


 どうやらフィノは気遣ってくれているようだ。

 けれど、そんな慰めはユルグには必要ない。


 咄嗟に外していた仮面を嵌めて、知らないふりをする。


「泣いていない。雨が降っているだろ。そのせいだ」

「むぅ」


 ユルグの答えにフィノは不満げに頬を膨らませた。


 気のせいだと良いのだが、なんだか昨日よりも馴れ馴れしく感じる。


 フィノには街に着いたら奴隷商に売ると言ってあるし、彼女もそれに異を唱える事はしなかった。

 森の中に置いていくと、半ば脅し文句のような事は言ったが売られるのが嫌なら森を出た瞬間に逃げれば良い。

 好きにしろとユルグは言った。どうするかは彼女次第だ。



 おもむろにフィノへと視線を向けたユルグは、一瞬固まる。


 改めて彼女を見ると随分な格好をしている。

 なんとも目のやり場に困って、馴れ馴れしい云々の前にこれをどうにかしなければとユルグは勢いよく立ち上がった。


「服を脱げ」

「……っ、え」

「聞こえなかったのか」


 詰め寄ると、フィノはうろうろと目線を彷徨わせた。

 何をぐずぐずしているんだと、ユルグはボロボロの服に手を掛ける。


「いっ、」

「まさか、変なことを想像してるんじゃないだろうな?」

「それ、こっちの」

「自分の姿、鏡で見たことがあるか? そんな貧相な身体、抱こうなんて思わない」

「……むぅ」


 そう言うと、フィノは口を尖らせた。


 何を怒っているのか分からないが、抵抗しなくなったところを脱がしにかかる。



 色白な肌は今まで奴隷として扱われてきた証拠だろう。健康的とはお世辞にも言えない。

 病的なまでではないが、発育もあまり良くない。個人差があるのは承知しているが、それにしても胸がなさ過ぎる。

 色気だってあまりないし、フィノの反応を見るに男の相手を強要されたことだって無さそうだ。


 ハーフエルフの年齢というのは詳しくはないが、ユルグとそう歳も変わらないだろう。

 十六~七歳くらいか。喋りが拙いせいでより幼く見える。



 全て脱がせると、フィノはしゃがみ込んで丸くなった。


 今更そんな恥ずかしそうにしても、意味がないように思う。


 フィノは気づいて無さそうだが、着ていた衣服は穴あきだらけで角度を変えるとモロ見えだった。

 それに、やはり臭いが気になる。原因はこの薄汚れたボロだろう。一晩中傍に居たせいか、初めて会った時よりは気にならなくなったが、それでもこの状態のまま街に入るのは憚られた。


 昨夜はそこまで気が回らなかったが、夜が明けてこれからデンベルクへと向かう事になる。あんな格好で連れ回していたら余計悪目立ちしてしまう。


 ユルグは自分が着ていた外套をフィノへと放り投げた。


「――ぶわっ」

「それを着てろ。ボロボロの服よりはマシだよ」

「……んぅ」


 視線が痛いがそれはお互い様だ。


 そうこうしていると次第に夜が明けてきた。


 焚き火を消して少ない荷物を持つと、森を進む。


 もちろん、ユルグはフィノに手は貸さない。

 着いて来れないのならそれまでだ。




===



 無言で森の中を進む。


 しばらく歩くと、目の前に馬車の残骸が横たわっているのが見えた。

 昨日の奴隷商のものだろう。


 気づいて、ユルグは周囲の気配を探る。

 どうやら魔物の類いはいないようだ。

 それに加えて、生存者も見当たらない。


 シャドウハウンドに襲われたら逃げ果せるのは至難の業だ。

 あの奴隷商たちには無理だったろう。


 ちらりと後ろを着いてきていたフィノの様子を盗み見る。


 フィノは馬車の残骸を目にすると、すぐさまそれに近づいていった。

 後を追うと、彼女は何かを探しているようだ。


「何をしているんだ?」

「おと、さん」

「残念だが生きてはいないと思う」


 ユルグの言葉を無視して、フィノは馬車の残骸を退けて探し続けていた。

 やけに執着しているようだが、何かあるのだろうか。


 黙ってその様子を見つめていると、退けた瓦礫の中から奴隷商の亡骸が現れる。

 それは魔物に食い荒らされて見るも無惨な姿だった。


 目を背けたくなるようなそれに、フィノは構うことなく亡骸を弄っていく。


「……あった」


 しばらくして、彼女は何かを大事そうに握って戻ってきた。


 血まみれの手の中には、青色の宝石が輝くペンダントがあった。


「……これは?」

「おかあ、さんの」

「形見のようなものか」

「んぅ」


 ユルグの問いにフィノはこくりと頷く。


 おそらく、彼女の母親も奴隷だったのだろう。

 そうであったのなら、フィノの扱いにも納得がいく。


「貸してみろ」


 彼女からペンダントを受け取ると、水袋の水をかけて汚れを拭き取る。

 そうしてフィノの首に掛けてやる。


「もう無くすなよ」

「……んぅ!」


 嬉しそうに首元にぶら下がっているペンダントを見つめながら、フィノははにかんだ。


 それを見遣って、ユルグも馬車の残骸を物色する。

 何か使える物があれば遠慮なく頂いていこう。

 どうせこいつらには既に必要のないものだ。


 荷物を漁っていると、デンベルクの地図が入っていた。

 これはなんとも有り難い。


 本当なら迷いの森に入る前に、こういったものを揃えておきたかったのだが急いでいたユルグには難しかった。


 地図を確認すると、迷いの森を出て少し歩くとヘルネという街があるらしい。

 目下の目的地はそこで良いだろう。


「行くぞ」

「んぅ」


 デンベルクの状況がどうなっているか、ユルグは知らない。勇者の情報が向こうに伝わってないと良いが、それは今心配しても仕方のないことだ。


 街に着いたらどうするか。

 考えを巡らせながら、ユルグは森を進むのだった。




 ===




 その後、特に問題もなくユルグとフィノは迷いの森の出口へと辿り着いた。

 降り続いていた小雨も止んで、頭上には青空が広がっている。


「ここから少し歩くと街がある」

「……んぅ」


 それを聞いてフィノは元気なく俯いた。


 ユルグはやっとこの少女とおさらば出来ると思っていたのだが、彼女は違うようだ。

 奴隷商に売りつけると言っているのだから当たり前の反応なのだが、だったら街へ着く前に逃げるなりなんなりすれば良い。


「逃げないのか?」

「……いい」

「俺の言ってたこと、覚えてるんだろ。また奴隷に戻りたいってわけでもないなら」

「――ユルグ、おれい、しなきゃ」


 震える声で、フィノは言った。


 それはそうだ。奴隷なんて二度となりたくない。

 ユルグの前から逃げないのは、それを推してまで恩返しがしたいというフィノなりの気持ちの表れなんだろう。


 随分律儀な奴だと、ユルグは少し感心していた。


「お前、自分の価値がどれだけあると思ってる」

「かち?」

「耳があまり聞こえない聾唖ろうあの奴隷なんて、誰が欲しがると思う。色気のないそんな身体じゃ男だって寄りつかない。おまけにハーフエルフは市場価値が低いって言うじゃないか」

「……っう」


 散々攻めるとフィノは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。

 けれど、これが事実だ。


 奴隷商に持って行っても買ってもらえるとは思えない。

 貧乏くじを引いたとユルグは溜息交じりに息を吐き出した。


「だから、納得の行く値段が付かないなら奴隷商には売らない」

「……っ、ほんと!?」

「その代わり、俺には着いてくるな。俺とお前はそこでさよならだ」

「……わ、かった」


 フィノは乗り気はしないながらも静かに頷いた。

 ユルグにとってはどんな方法でも、足手まといの彼女を手放したいのだ。


 命は助けてやった。それだけで十分過ぎるほどだ。

 これ以上ユルグが世話を焼く必要も無いのだから。

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