第4話 ぼわぼわ

 さて、ここで、ぼくはドロボーさんとのいちばん大切な思い出を書きつけて、話を次に進めようと思う。

 時刻は夜だった。その日さばいたイーヌを食べたあとだった。ぼくとぼくの家族は疲れたからだを暖炉の前で休めていて、そろそろ寝ようかと考えていたころだった。


 薄暗い居間は、暖炉の炎だけがゆいいつの光だった。ぼくたちの隣で、炎を眺めながら酒瓶に口をつけていたドロボーさんが、ふと口を開いた。


「なあ、お子さんたちや」


 なあに、とぼくはドロボーさんの顔を振りあおいだ。

 ドロボーさんはぼくら二人をみつめて、やさしく言った。


「なあ、お子さんたちは煉獄って知ってるかい……。そこではみんな、お子さんたちみたいなちいさなこどもたちも、しっかり罪をきよめてもらえるんだよ。もし自殺できないとなると、ぼうやたちもそこに行かなくっちゃいけないね……。そこでからだを焼いてもらって、罪がきよめられるまでじっと耐えて、じっと待つんだよ。そうなりたくないなら、ちゃんと自殺しなくちゃいけない。自殺しなくちゃいけない。いいかい、いいかい。しっかりと、自分で自分を殺すんだよ」


「れんごくはどこにあるの?」


 うとうとしていたぼくの家族が尋ねた。ドロボーさんは少しみじろぎして、そうして灰色の瞳をやさしさで覆って、ぼくの家族の小さな頭を見下ろした。


「天国でもない、地獄でもない、この世でもないところだよ」

「じゃあ、どこにあるの?」


 ぼくの家族はもう一度尋ねた。

 ドロボーさんは目を暖炉にやって、ゆっくりこたえた。


「煉獄はね、ホラ、この暖炉のなかに隠れてるんだよ……。ホラ、ばちばち燃えているこの暖炉。ああ、おれの目ん玉の水が、どんどん乾いていくこの暖炉。これが煉獄なんだよ」


 ドロボーさんは自分の言葉に興奮しているみたいで、喋るたびに全身が震えていた。


「お前さんの家も、お前さんの一個前のお父さんとお母さんも、炎でいっしょに燃えちまったが、あれが煉獄さ。あの中に入って、罪をきよめるのが煉獄なんだ。髪がばっと蒸発して、皮膚がどろどろ溶けて、いろいろなものが混じって、真っ黒になっていくとき、あのときなんだよ……。あのとき、罪が嬉しいくらいきよめられていくんだよ……。焼け死んだやつはみんな空に向かって手を突き出してるだろう。あれはね、嬉しくって嬉しくって仕方ないからなんだよ。ああ、これでやっと天国に行ける、罪がきよめられて、天国に行けるって、喜んでいるんだよ」


 ドロボーさんはしばらく暖炉の炎を眺めていた。オレンジ色のきみょうな空間で、ばちばち炎が音を立てていた。ふと、思いついたようにっこりほほえむと、ドロボーさんはぼくたちをじっと見つめた。


「それじゃあ、そうだなあ。お子さんたちもここのところ頑張っていたし、今日、これから、みんなで煉獄に行こう。罪をきよめに行くんだ」


 お酒でにごったドロボーさんの目が、青白く光っていた。

 ぼくの家族はうなずいた。

 ぼくもうなずいた。

 ドロボーさんは勢いよく椅子から立ち上がった。後ろに倒れた椅子を、ドロボーさんは蹴り飛ばした。


「よし、行くか! 久しぶりだなあ」


 ドロボーさんはこどものように笑っていた。



 カンテラの明かりを頼りに、ぼくたちはドロボーの背中に張りついた。

 山を降りた。

 もう冬だった。

 雪こそ降っていないけれど、真夜中の空気は痛いほどつめたくて、いまにもどこかのひふから血が吹き出そうだった。

 あたりはまっくらで、星も見えなかった。

 暗闇のなかで音が鳴っていた。風が流れていた。つめたくって、匂いのない風だった。黒くて、匂いのない風。

 ぼくの家族がぼくの手を握っている。ぼくはドロボーの背中に張り付いている。ドロボーの暗いからだから、動物の匂いがする。人間のいのちの匂い。


 ときどき、木の根っこか、あるいは石に足をぶつけた。ぼくの家族と一緒によろめいた。倒れたらそのままくらがりの奥の奥まで転げ落ちてしまいそうだった。


 ドロボーは鼻歌を歌っている。カンテラをぶらぶら揺らして、のそのそ山を降りる彼の姿は、ゆかいな墓守みたいだった。


 町に入ると、ちょっとだけ懐かしさを感じた。街灯がぽつぽつ立っていて、明るいんだ。路地はおいしそうなクリーム色で照らされていてさ、あと、こどもたちがどこかの家で泣いてるんだ。


「あれにしよう」


 と、ドロボーが、おおきな屋敷を指差したときだった。

 ふと、ぶあつい暗いコートを着込んだひとりのこどもが、路地裏から出てきた。そうして、ひびわれた赤い手をドロボーに差し向けたんだ。


「めぐんでください」


 そう言ったのは、そのこどもらしかった。

 長くて白い息が、こどもの口から煙みたいに湧き上がっている。背中まで伸ばした長い髪も煙みたいに反り返って、ぼわぼわしていた。

 こどもはぼくを見たようだった。でもね、その子はやっぱりドロボーにお腹を蹴られてしまった。地面に這いつくばってしまった。ひびわれた手の平で、つめたく固い地面を突っついたからだろう、その子の手の平からピンク色の血がにじみ出ていたんだ。


「かわいそうに……。痛いだろう……。でもな、お前さんみたいな弱いこどもは、はやいとこくたばっちまうのがいいんだよ」


 そう言ってから、ドロボーはぼくたちに振り向いた。


「いいかい、こうなるんだよ。恵んでくださいってね、人にあわれみを乞うと、こうなってしまうんだよ……。だから、あわれみを乞う暇があったら、こうするんだよ」


 彼はこどもの腹をさらに蹴り上げた。その子は、イーヌみたいな声をあげた。

 ドロボーはその子のコートを剥ぎ取って、それをぼくの家族に着せた。ぼくの家族はドロボーの顔をみあげ、次に、うずくまるその子の頭をじっとみつめた。

 なにかをつぶやいている、ぼわぼわの子。

 その子は顔を上げて、


 ウフフフフフ


 と、笑った。作り笑いをしているピエロみたいだった。

 ドロボーに言った。


「あなたは地獄に行ってしまうかもね」


 で、ぼくの顔を見て、


「もちろん、あなたもね」


 なんてことを言って、今度は声をあげて笑うんだから、面白いこどもだった。



 ドロボーは、そのとき誰も殺さなかった。だけど、ぼくたちよりもちいさい二、三歳のこどもたちを三人も袋詰めにして、家に帰った。

 袋のなかから声は聞こえてこなかった。こどもたちはきっと、物体になりきっていた。

 ドロボーは袋を肩に提げている。ぶらぶら揺れる袋を、ぼくの家族がじっと見つめていた。


「わたし、あのなかにいた」


 ぼくの家族がつぶやいた。

 カンテラの光に照らされたぼくの家族の顔は、やっぱり幽霊みたいに青白かった。だけれど、思うに、このときのぼくたちはまさに幽霊そのものだった。

 さっきの、ぼわぼわの、あわれっぽい作り笑いとその言葉が、ぼくには忘れられなかったんだ。森のなかを歩きながら、左右に伸びる枝先の、どこまでも続く暗さにおびえながら、あのぼわぼわの顔を思い描いた。

 あの子は、くちびるをそっと動かして、何て言ったんだっけ。あわれっぽい瞳で、何て言ったんだっけ。

 もちろん、あの子は、ぼくたちは救われないと言った。地獄に行くとか言った。どうしてだろう……ぼくたちが、悪いことをしているからだろうか。それとも、ドロボーが言うように、死んだ人間はみんな地獄に行くんだろうか。それとも、お父さんとお母さんが言ったように、カミサマを信じていないから地獄に行くんだろうか。


「おにいちゃん、わたしたち、じごくにいくの?」


 ぼくの家族も同じことを考えていたようで、茶色のコートのお腹の辺りを、ぎゅっと握りしめていた。

 ぼくは黙っていた。


「じさつしないから?」


 ぼくはこたえなかった。


「れんごくにいかないから?」


 ぼくは、くちびるをとがらせるだけだった。


「じごくにいったら、どうなるんだろう……だいじょうぶかな」


 ぼくはこのときちょっとだけふらふらしていて、まったく答えられなかった。ぼくがふらふらしていたのは、こども入りの袋のせいだった。カンテラの光のせいだった。それらがふらふら揺れているからだった。ドロボーの鼻歌も、ふらふら震えていた。


「危ないからな。まっすぐ、まっすぐ歩くんだ」


 と、ドロボーが言った。



 ソファの上に袋を三つ置いた。

 ドロボーはおおきな包丁をもってきて、それをテーブルの上に放り投げた。

 暖炉に火を起こし、寒い寒いと言いながら、手をこすり合わせた。


 ぼくとぼくの家族は、部屋の入口から動かないで、ドロボーの様子をうかがっていた。


「何してる、そんなとこにいちゃあ、寒いだろ?」


 そう言うので、ぼくたちは恐る恐る、イーヌみたいに自分の足音を消しながら暖炉の前に立って、暖炉のなかで、火が、ばちばち音を出して、輝き、黒くて透明な煙を吐き出すのをじっと眺めた。

 火の匂い。うちのなかは相変わらずほったらかしの水槽みたいだったけれど、火の匂いだけは、どういうわけか胸がすくような清潔さがあったんだ。

 部屋は暖炉の炎で照らされているんだけれど、それでもほとんどまっくらだった。ぼくたち三人の巨人の影が、いつまでも部屋に居座っている。


「さあ、お前さんたち。もう十分あたたまったし、そろそろやるよ」


 ドロボーの横顔は、ほほえんでいた。目がきらきら光っている。テーブルの包丁を手にとると、その平べったいところで、自分のほっぺたや、首や、頭などを、ぺちぺち楽しそうに叩いた。そうして、大事そうにテーブルの上に置きなおしてから、ソファのもとにいそいそと赴き、手早く袋の紐をほどいていった。果物の皮を剥くように、べろりと、なかのものを取り出した。


 ちいさなこどもが頭を出した。暗いオレンジ色に照らされた、顔、顔、顔。

 ひとりは涙で目がつぶれていた。ひ弱そうな子だった。もうひとりは鼻水で顔じゅうが汚れていた。ちょっとお腹の出た、ふくよかな子だった。で、最後のひとりは不安そうにきょろきょろ周りを見回していた。逃げる場所を探していたのかもしれない。


 彼らは袋の中から今生まれてきたようなもので、何も知らない、いのちそのものだった。そのいのちたちは、ぼくとぼくの家族の暗い顔に、すがるようなそぶりを見せていた。


「みてろ。こうやって人は死んでいくんだよ。こうやって、人は地獄に行くんだよ」


 ドロボーはそう言って、いつしかもう一度手にとっていた包丁で、こどもの首根っこを後ろから掴んで、その背中に包丁をぶすりと刺したんだ。

 その子は、涙で目のつぶれた、ひ弱そうな子だったけれど、赤く充血した目を見開いて、ぼくたちが驚くくらいの大きな声で、ぼくとぼくの家族をみつめながら絶叫した。


 ずいぶん息の長い声だったよ。イーヌとはちょっと違かった。肺から空気をしぼり出して、腹から空気をしぼり出して、最後にからだのなかの血から空気をしぼり出すようにして、その子はずっと叫んでいた。

 その最中にも、ドロボーはその子の背中を刺していて、ドロボーのやさしい灰色の瞳がじっとぼくとぼくの家族を見ているんだ。


「みてみな、人の血だよ」


 ドロボーは血にぬれた手を、ぼくたちに見せつけた。

 ぼくの顔は、固まっていたように思う。そう言うのも、ぼくの家族の顔がそうだったからだ。涙で目のつぶれたその子みたいに、ぼくの家族の目は見開いていて、おじいちゃんみたいにおでこに皺が寄っていた。目を見開きながら、同時に目を閉じようとしているみたいだった。

 でも、ふしぎだった。ぼくの家族の目から下の顔は冷静そのもので、ちょっと小鼻がふくらんでいて、くちびるとくちびるの間に隙間が出来ていた。それくらいだった。


 ぼくの家族の瞳は、どこに向けられていたかというと、観念したかのように、あるいは早くも絶命してしまったかのように、うなだれて、ソファのうえでぐったりして、うつろな視線を、血がたまりつつある汚い床のどこかにやっているその子に、向けられていた。


 あわれなうわごとが部屋に響いている。

 残りのふたりのこどもは、ドロボーの動きに見入っていた。

 ちらり、と動くふたりのこどもの視線の先には、ぼくたちがいた。

 ちょっとお腹が出ている、ふくよかな子が泣き出した。そうすると、不安そうに周りを見回していたこどもも、泣きはじめた。ドロボーは満足そうにぼくたちを見つめ、それからソファの上のふたつのいのちを見下ろした。


「いいかい、こうやると、えらく痛いんだよ」


 と、ドロボーが言うのを聞いて、ぼくはとっさに目を閉じて、耳をふさいだ。暖炉のほうにからだを向けて、ひざをついて祈った。このひとから悪魔を追い出してくださいって祈ったんだ。

 でもね、そんな祈りはどうでもよくって、ぼくがおそろしいと思うのは、どう考えても自分自身で、おそろしいほどの意気地なしのぼくだよ。いったいぼくは、おそろしいほど、自分がかわいすぎるんだね。

 ひときわ大きな声があがった。それからちょっと経って、ぼくの肩を誰かが叩いた。


「ホラ……。あのお子さんたちの指を切るんだよ。ぼうやがやられたみたいに、指を切るんだよ。痛かっただろう、おれにやられていやだったろう……」


 オレンジ色のドロボーのほほえみが、ぼくの肩に乗っかっていた。

 ドロボーの手は血にぬれていたから、ぼくの肩に赤黒い跡がついた。匂いのあるものだった。

 ぼくは包丁を握らされた。手首を握られた。ドロボーのからだの動くように、ずるずる暖炉の前から引きずり出された。そのときちょっと引っ掛かりがあったのは、勇気あるぼくの家族が、


「行くな」


 と、ぼくの服を引っ張ったからのようだった。だけれど、ぼくの家族は、ぼくのからだを引っ張り返せないと知ると、ぼくの隣に寄ってきて、じいっとぼくの瞳を覗きこんだんだ。

 ぼくの家族はしゃべらなかった。ドロボーはぼくの家族の頭をそっと撫でて、それから、こどもたちの泣き声に向かって、今からこのお兄ちゃんがお前さんたちをぶすりとやったり、ざっくりやったりするけれど、いいかい、お前さんはこのお兄ちゃんに殺されるために生まれてきたんだ、そしてこのお兄ちゃんが自殺する決心をつけるために生まれてきたんだ、だけれどね、お前さんたちのお肉は美味しくいただくから、おれはお子さんたちに感謝するよ、お前さんたちと一緒に天国に行くよ、ありがとうね、ありがとうね……と一気に言って、


「ホラ、お前さんたちもありがとうって言うんだ!」


 と、僕たちをどなりつけた。

 ぼくは、


「ありがとう」


 と、かすれた声で言った。

 ドロボーは、よく出来たね、と褒めてくれた。

 こどもたちの声が小さくなっていった。もはやどうにもならないと知ったようだったし、最後の力を蓄えておくためのようにも思えた。


 ぼくはと言えば、どっちに行くんだろう、どっちに行くんだろう、と内心おびえていた。ドロボーに刺されたふたりのほうか、それともまだ刺されていない不安そうなこどものほうか。まだ刺されていないその子だけが、さっきから泣いているみたいだった。ふたりのこどもは、きっともう死んでいるみたい。出来るなら、死んでいるほうがいいなって考えてた。


 ぼくのからだが生きたこどもに近寄った。そうしてぼくの左手が生きたこどもの右手をつかんだ。その右手を、血のどろどろついた床のうえにぎゅうっと押し付けたとき、生きたこどもがよみがえって、ぼくの耳にかじりついて、ぼくの耳の一部を噛み切った。

 

 ぼくは叫んだ。だけれど、ドロボーは、ぼくの叫びは気にならないようだった。ぼくのからだをゆっくり操り、ゆっくり女の子の右手の指を切っていった。ごと、ごと、ごと、と心の落ち着くような安定した動きだったけれど、当の切られているほうの人間は、まさしく人間的で、むちゃくちゃになっていた。


 残ったほうの手でぼくの顔をひっかきま回すし、頭突きをしてくるし、頭を上下左右に振って、怒りと悲しみの叫び声をあげるんだ。イーヌとは全然ちがってた。ぼくは、ぼくの家族と毎日殴り合っていたけれど、これほど激しい殴り合いはしたことがなかった。

 というのもね、人間というよりはほとんど動物なんだよ。ぼくはいのちの奔流を感じていた。ぼくはいのちの鋭い指先が目に入らないよう、口のなかに入らないよう、目と口をかたく閉じていた。目には見えないけれども、その子の息遣いから、その子の様子がわかった。その子の動きから、その子の痛みがわかった。


 どうしてもわかってほしいから、どうしても書かざるをえないのだけれど、身の毛もよだつ叫び声とは、このことを言うんだと思ったんだ。鼓膜や内臓がひっくり返ってしまいそうになる、その叫び声。それが耳元でいつまでも鳴り響いているんだ。

 でも、左右の指を切り取る頃には、その子はもう力尽きていた。うわごとを言うしかなかった。


「ホラ、きみ。今度はきみの番だよ」


 ぼくの家族には、その子の髪を切り取らせたようだった。その子をぞりぞり坊主頭にしたようだった。そうしてその髪を両手に抱えさせ、暖炉のなかに投げ入れさせている。投げ入れられた髪が、ぞわぞわ波うった。煙になった。黒くて、透明な、においのある煙。


「これで、このお子さんがたの罪も、きよめられたかなあ」


 ぼくの家族が、暖炉のなかに入り込もうとしたので、ドロボーは慌てて止めたみたいだった。ぼくの家族が不思議そうな顔でドロボーをみあげている。

 

「違うんだよ、違うんだよ。ダメだ、ダメだ。きみはきちんと自殺するんだよ……。きちんと自殺するんだよ……」


 いのちの匂いがぼくたちの周りにあった。

 ほこりの匂いにかびの匂い、血の匂いに炎の匂い。思い出すと、あの叫び声にも、においがあったように思う。不思議なしずけさだった。死体とは不思議だ。まるでお客さんのように、ぼくたちをみつめているんだから。


「なあ、お前さん」


 ふと、ドロボーが言った。


「さっき、おれのこと悪魔っていっただろう」


 どきりとした。

 ぼくのことだ。

 ぼくの祈りのことだ。


「言ってないよ」


 と、ぼくはこたえた。

 ドロボーの背中は、炎に焼かれたみたいにまっくろだった。

 ドロボーに抱えられたぼくの家族が、ぼくとドロボーのふたりの顔を見比べている。


「言ったよ、ぼうやは言ったよ」


 ドロボーの声は震えていた。

 ぼくは黙った。

 そうすると、ドロボーも黙った。

 またもや暖炉の火がごうごう燃え出して、ばちばち鳴り始めた。


「ごめんなさい」


 ついに、ぼくは言った。小声で言った。

 すると、ドロボーが振り向いた。

 暗い顔だった。

 暖炉の熱でほてっていたのだろうか、すこし赤黒くって、引っかきもしていないのに、オレンジがかった透明な液体が顔中に流れていた。


「悪魔がなんだって覚えているかい?」


 ぼくは、ちょっと前にドロボーが教えてくれた、悪魔についてのことばを思い出した。ぼくはうなずいた。


「悪魔はぼくたちの魂を殺しちゃうんだ」


 ドロボーは何度も何度もうなずいた。


「そうだ、そうだ。お子さんたちは、悪魔に殺される前に、しっかり自殺しなくちゃだよ。いいかい、しっかり自殺するんだよ」


 そう言うと、ぷいとどこかに行ってしまった。

 全身血だらけの、ちいさなこどもたちが、ぼくとぼくの家族の足元に転がっている。それがいかにも不思議で、困ってしまった。

 でも、だんだんこの景色に慣れてきて、まだ彼らが生きているかどうか、確認してみようという思いが生まれてきた。

 みんな死んでいた。

 埋めようと思った。さいしょに死んだこどもをおぶって外に出ようとしたとき、ドロボーの声がどこかから湧いてきた。


「ちゃんと、肉を切り取ってからだよお。わかったかい。肉をしっかり食うんだよお」


 と、変に間延びしたふうな声だった。

 ぼくらはそのようにした。ドロボーの指図がなくても仕事をこなせたのが、ぼくたちには誇らしかった。それと同時に、自分のからだが自分でないような、ふしぎな感じが気持ち悪かった。


 お肉以外を埋めようと、外に出た。あたりはまだ暗かった。夜明けまで時間があるようだった。空の端が、ぼんやり紫色になっている。

 ああ、早く朝になればいいのに、そうすれば、悪魔が外に出て行くのに、とぼくの家族とぺちゃくちゃしゃべっていると、暗闇のどこかで音がした。


 音のほうに目を向けてみる。

 ぼわぼわした髪の子がぼくたちを見つめていた。

 ぼくらが埋めようとしているものを見つめていた。

 で、その子は一言もいわず、暗闇のなかに消えていった。


 ガサガサガサ


 っていういやな音が響き、少しずつ遠ざかっていった。

 それは、ほんとうに一瞬の出来事だったんだよ。

 ぼくらの胸のうちに、ぽっかり穴が開いてしまって、変な風が吹き抜けたのは、その子が駆け去る、この一瞬だけだったんだ。


「苦しい」


 と、ドロボーさんの声が聞こえた。


「カミサマ」


 彼が叫んでいた。

 ぼくたちはどっちが先に走りはじめたんだろう。ぼくとぼくの家族は手を取り合い、さっきの子を追いかけた。

 胸のうちにね、変な風が吹いていて、方向感覚がまるでなくなっちゃったんだよね。わからなくなっちゃったんだよ。

 そういう感覚って、みんなもわかるんじゃないかな。とにかく、いても立ってもいられなくって、走っていたんだ。

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ねえ、ミス・マージョリー 市川翔 @yuasa1221

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