第6話 契約の成立

 制限行為能力者のところを一通り読み、危うく「遭難」しかけたゴウ。彼のメンタルは、すでにダメージを受けていた。頬杖をつきながらテキストのページを捲っていく。


「法人……は、あまり出ないみたいだし、とりあえず今はパスだな」


 法学部出身の読者は「法人の権利能力」とか「権利能力なき社団」などの論点を思い出すかもしれない。


 が、貸金業務取引主任者試験では、民法が規定する「法人」のところはあまり出題されないので、ひとまずパスするのが正解だ。

 法人に関連して「会社法」の問題が出題されることはある。ただ、ここも、取締役会の役割・権限を中心におさえておけば十分だろう。


 そして、ゴウの目に飛び込んできた「契約」の二文字。


 テキストでは、さらに


 隔地者間の契約の申込み・承諾の効力と契約成立時期、申込みの誘引、


 などが解説されていた。


 ゴウは、冒頭の解説を読み始めた。


「『契約は、当事者双方の合意によって成立するのが原則』、合意は『申込み』と『承諾』の二つの意思表示で構成されている……、ふむ」


 この点について規定しているのが、すでに登場した民法522条だ。もう一度、確認してみよう。


【民法522条】(契約の成立と方式)

 第1項 契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。

 第2項 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。


 第1項をみて欲しい。この規定から、つぎのような公式を立てることができる。


 申込み+承諾=契約成立


 たとえば、売買契約では「売ります」「買います」という申込みと承諾で成立するということだ。これが原則である。


 「契約書は?」と思った読者もいるだろう。この点について、民法522条2項は「法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない」と規定する。したがって、契約は、原則、口約束だけでも成立する。

 書面などが必要になる場合は、個々の契約の条文や他の法律でその旨特別な規定がおかれている。あくまでも特別な場合だ。たとえば、


【民法446条2項】

 保証契約は、書面でしなければ、その効力を生じない。


 というカンジだ。

 ちなみに、貸金業者が貸付けの契約をする場合や宅地建物取引業者が自ら不動産の売主となる場合など、法律によって書面の交付が業者に義務付けられている場合がある。


 そして、ここからは「申込み+承諾=契約成立」という公式に関する話が中心になる。契約に関する問題を解くときは、この公式から出発して検討する「ルーティン」を身に着ける方が良いかもしれない。


「ふむ。契約は申込+承諾で成立。契約書は、民法その他の法律の規定に特別な規定がおかれていない限り不要というワケか」


 そして、ゴウは「隔地者間の契約の申込み・承諾の効力と契約成立時期」の項目に目を移した。

 到達主義だの、承諾期間を定めてした契約の申込の効力に関する解説がされている。


「……ここは、ひとまずパスってことで(笑)」


 ゴウがページを捲ると、「申込みの誘引」というタイトルが目に飛び込んだ。


「まずは、『申込みの誘引』か。よし、やるぞっ!」


 「申込み」とよく似ているけれども、法的には区別すべきものが「申込みの誘引」だ。では、「申込みの誘引」とは何か? これをイメージするために、つぎの例題を検討してみよう。


 ――――――――

【例題】つぎのⅠおよびⅡの各ケースにおいて、法的に契約の「申込み」といえるのは、①②のうちどれか?

 Ⅰ.Aは、街中をぶらぶらしているさい、ふと、①「アルバイト急募、時給1000円~」と記載された張り紙を見て、その店へ行き、②店の店長に「張り紙を見てきました。アルバイトさせて下さい」と言った。

 Ⅱ.Aは、ナゴヤ駅にある①T島屋の某ブランド店に陳列されていたハンドバッグに心を奪われ、②その商品を大事に抱えて店員に「これ! このハンドバッグ下さい」と言って差し出した。

 ――――――――


 貼り紙、広告文句、カタログにみられるような他人からの申込みを誘う行為を「申込みの誘引」という。相手方(例題のA)が意思表示をしてきたさい、誘引者の方にその意思表示を承諾するか否かの自由が留め置かれている点に特徴がある。 


 このため誘引者の申出(申込みの誘引)に相手方が応答してきたとしても、その時点では未だ契約は成立していない。つまり「申込みの誘引」は、契約を成立させる要件にならない点で「申込み」とは異なるのだ。

 誘引者が承諾をすることによって、はじめて契約が成立する。


 これに対して「申込み」は、相手方が申し出に応じた場合(承諾した場合)にその時点で契約が成立する。


 以上をふまえて、例題を検討してみよう。


 まずは例題Ⅰについて。


「ええっと、『申込み』は②かな? たしか、民法の基本書に同じようなケースで解説されていたような?」


 ゴウは頭を掻きながら、そう呟いた。正解である。

 おそらく、内田貴『民法Ⅰ[第4版]』(2008年、東京大学出版会)37-38頁の解説を覚えていたのだろう。


 こんな解説だ。


「たとえば、ハンバーガー店の『店員募集、時給○○円』」の広告がその例。仮に店頭の求人広告が申込みだとすると、誰かが『雇ってくれ』と言えば、それが承諾になって契約が成立し、店主は必ず雇わないといけなくなる。しかし、雇用契約の場合、被用者がどのような人物であるかが重要だから、その人を見てから決めるのが普通である。したがって、『店員募集』の広告に応じただけでは契約は成立しない。つまり、『店員募集』は申込みではなく、申込みの誘引である」(内田貴『民法Ⅰ[第4版]』(2008年、東京大学出版会)38頁)。


 募集の貼り紙、タ〇ンワークやバイ〇ルのアルバイトの募集をみて応募してみたものの、


「今回は残念ながら【不採用】とさせていただきましたことをお知らせいたします。ご希望に添えず申し訳ありません」


という悲しい返信が送られてくることがある。そのような経験をされた方もいるだろう。


 一般に、誰を雇うかを決める自由は雇用主側にある。このため例題Ⅰ①の貼り紙は「申込みの誘引」と解釈される。したがって、例題Ⅰでは②が申込みになる。


 では、例題Ⅱはどうだろう?


 ここでゴウはしばらく考え込んだ後、首を傾げながら呟く。


「……これも②が申込みじゃね?」


 例題Ⅱ②「これ! このハンドバッグ下さい」の部分が申込みだと考えると、①の商品の陳列を申込みの誘引と解釈することになる。


 しかし仮に商品の陳列が「申込みの誘引」ならば、店側に承諾の意思表示をするかしないかの自由があるコトになる。

 すると客が「これ下さい」との申込みに対して「いや、貴方には売れません」と拒絶できることになってしまう。


 そこでデパートやスーパーにおける商品の陳列は、通常、それ自体が「申込み」だと解釈されている。一般に店頭での売買契約において、商品を買うか買わないかの選択権は買主(客)側にあると考えられるからだ。


 したがって、例題Ⅱにおいて契約の申込みとなるのは、「①T島屋の某ブランド店に陳列されていた……」の部分になる。


 なんと、買主Aの「これ! このハンドバッグ下さい」は承諾だったのである。


「のおぉぉぉぉ!」


 ゴウは両手で頭を抱えて、天を仰いだ。

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貸金業務取扱主任者試験に合格するぞ📕あるフリーターの独学ダイアリー わら けんたろう @waraken

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