第5話 最初のヤマ場――制限行為能力者制度

 ゴウはテキスト第二巻の「制限行為能力者制度」のところを読み始めていた。


 読み進めるうち、背筋に冷たいモノを感じた。


「せ、制限行為能力者制度。……やべぇ」


 おそらく、民法最初のヤマ場である。

 貸金業務取扱主任者試験との関係でも出題頻度が高く、過去五年間必ず出題されている。

 実際の問題は、こんなカンジだ。



【第14回貸金業務取扱主任者試験問題 28】

  行為能力に関する次の①〜④の記述のうち、民法上、その内容が適切なものを1つだけ選び、解答欄にその番号をマークしなさい。


 ① 制限行為能力者の相手方は、その制限行為能力者が行為能力者となった後、その者に対し、1か月以上の期間を定めて、その期間内にその取り消すことができる行為を追認するかどうかを確答すべき旨の催告をすることができる。この場合において、その者がその期間内に確答を発しないときは、その行為を追認したものとみなされる。

 ② 被保佐人とは、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者をいい、被保佐人が借財又は保証をするには、その保佐人の同意を得なければならない。

 ③ 未成年者は、単に権利を得る法律行為をする場合には、その法定代理人の同意を得る必要はないが、義務を免れる法律行為をする場合には、その法定代理人の同意を得なければならない。

 ④ 成年被後見人の法律行為は、その成年後見人の同意を得て行われたときは、取り消すことができない。



 ちなみに正解は①である。今は、正解できなくてもかまわない。試験までに、いや試験のときに正解できれば勝ちだ。


 「制限行為能力者制度」は、法学部一年生の配当科目「民法総則」で登場する制度である。多くの基本書では「人」のところに解説されている。


 ほとんど講義には、出席していなかったゴウ。

 しかし、勉強した記憶はある。宅建士のテキストで過去に勉強していた。


 が、


「もう、覚えてねぇ……」


 途方に暮れるしかなかった。


「ええと、制限行為能力者。字面からすると「行為能力」が「制限」された人ってのは分かる。で、『行為能力』て何だっけ?」


 「行為能力」という用語を抑えることで、この謎めいた制度の正体に近づくことができるハズだ。


 そこでゴウは、テキストに出てくる「行為能力」の定義に目を移した。


 ――行為能力

 単独で確定的に有効な意思表示をすることができる能力をいう。


「全然、分からん!」


 ……この定義付けだけで、わかる人はまずいない。


 べつの言い方をすると、ひとりで完全に有効な「意思表示をすることができる能力」ということもできる。


 この意味を理解するためには、「民法上、どのような要素がそろうと契約が成立するのか」を最初に知っておくと良いかもしれない。


 民法522条をみてみよう。


【民法522条】(契約の成立と方式)

 第1項 契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。

 第2項 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。


 条文のタイトルにあるように、契約成立の要素とその方式について定めた規定だ。

 第1項をみて欲しい。つまり、「申込」の意思表示と「承諾」の意思表示が契約の成立要素であると規定されている。

 この条文から、つぎの公式が成り立つ。


 申込+承諾=契約成立


 契約の申込も承諾も、いずれも「意思表示」である。契約が成立するには、この二つの意思表示が必要というワケだ。ちなみに第2項にあるように、原則、契約書は不要だ。口約束だけでも契約は成立する。


 さて、これらの申込、承諾は、通常の判断能力を持つ人ならば、ひとりですることができるものだ。


 このように、契約の申込や承諾をするかしないか判断する能力を「行為能力」と呼んでいる。そんなカンジで、イメージすればよい。


 ところが、契約の申込や承諾をするかしないかの場面で、正常に判断できない人たちも存在する。たとえば、認知症を患っている人が典型だ。


 こうした人達は、放っておくと不必要なモノを購入したり、必要以上に購入したりすることがある。また、それにつけ込む阿漕な業者もいる。


 いいかえれば、「正常な判断能力を持たない人」達は、取引社会の犠牲になりやすいのである。不用意に財産を失ってしまう危険が極めて高いというコトだ。


 そこで、民法はこうした人達でも適切に契約をすることができるよう「支援」する制度をおいた。それは、つぎのような仕組みだ。


 まず、認知症患者のように、取引において正常な判断能力を持たない人を「制限行為能力者」と認定する仕組みをおいた。


 ここでゴウは、「制限行為能力者」として保護される者にいくつかの類型があったことを思い出そうとしていた。


「ええと、『制限行為能力者』として保護されるのは、たしか、……未成年者と成年被後見人と……、あと何だっけ?」


 現行の制度では、正常な判断能力を持たない人として、未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人の四類型をおいている。


 それぞれ、どのような者なのかについては、後に解説することにしよう。


 注意して欲しいのは、認知症患者であれば当然に「制限行為能力者」と扱われるワケではないことだ。


 未成年者以外の「制限行為能力者」では、家庭裁判所による認定(正確には「審判」)が必要になる。これがないと、普通の人と同じ扱いを受けてしまうのだ。


 そして「制限行為能力者」を、原則として「不完全な意思表示」しかできない人と扱うことにした。つまり「制限行為能力者」が、契約の申込や承諾の意思表示をしたとしても、完全な意思表示が行われていないということだ。


 これは「制限行為能力者」との間で交わした「契約を不確定な状態におく」ということである。


 そして、不完全な意思表示しかできないのであれば、それを補ってやればよい。

 このことを、ある「民法総則」の基本書ではつぎのように解説している。


「経済学的側面から見れば、『法的保護者』を付与することによって、行為能力の『制限を解除』し、正常人と同等の行為能力を実現することである(健全な市場の実現)。近代取引市場では、取引人は、その自由な意思により対等な立場で登場することが基本原則だからである。したがって、行為能力の制限は、行為能力を『補完』する制度ということになる」(近江幸治『民法講義Ⅰ民法総則〔第7版〕』(成文堂、2018年)45頁)


 そこで民法は「制限行為能力者」をサポートする者として、未成年者には法定代理人を、成年被後見人には「成年後見人」を、被保佐人には「保佐人」を、被補助人には「補助人」を定めている。


 これらの者たちが、制限行為能力者のした不完全な意思表示に同意を与えることで契約を確定させたり、取消をしたりしてサポートするというワケだ。


 ただ、このような取り扱いをすると「制限行為能力者」側が契約を確定するのか取り消すのかを決めるまで、取引の相手方は不安定な立場に立たされる。


 取引相手方が悪徳な業者の場合なら、「まぁ、待っとけや」と言いたいところだ。


 しかし、そうでない場合もある。

 じつは、取引相手方だけに契約不確定のリスクを負担させると、その不利益は、結局、制限行為能力者に返ってくるおそれもある。


「制限行為能力者」にとって必要な契約であっても、取引しようとする相手方が「契約不確定のリスク」を回避するために、契約に応じてくれないことも考えられるからだ。


 そこで、民法は取引相手方保護のための制度もおいている。それが催告権だ。


 一カ月以上の期間を定めて制限行為能力者側に対し、取消可能な行為を追認するか否か確答せよと催告できる(民法20条)。

 期間内に確答がなかった場合の扱いについては、後に解説することにしよう。


 いまは、全体像を掴む段階だ。あまり細かなところまで押さえると「遭難」してしまう。


 テキスト第二巻を一五頁ほど読み進めたゴウ。じつは、遭難しかけていた。


 ようやく、我に返って思い出した。いま、自分は何をしているかということを。


「そうだった。まだ全体像を掴む段階だった」


 まだ、制度の細かい知識を押さえる必要はない。どんな制度なのか、イメージできればOKだ。

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