第六章 観音さんの階(きざはし)

6-1 耐性卵

 喜一たちが奔走している頃、科学捜査研究所では雁屋から提出された湖水の検査に苦心していた。研究員の吉田は寝る時間も割いて検査に没頭したが、石角秀俊が作った人工の湖水と天然のものにどうしても差異が認められなかった。そんな様子を見た上司の繁原は差し入れを持ってきて部下を励まそうとした。

「おーい、一息入れたらどうだ。牛丼買ってきたぞ」

「わぁ、わざわざすみません、いただきます」

 吉田は手を休めて牛丼の蓋を開けた。その時、繁原も牛丼の蓋を開け、卵を割って落としたのだが、その鮮度について不満をこぼした。

「ちぇっ、これは典型的なブロイラーの卵だよ。天然もの入れて欲しかったのにな」

「へえ、どう違うんですか?」

「天然ものと養殖ものは殻だけ見たら分かんねえけどよ、天然ものは黄身がプルンとしてるんだ。これは割った途端にグチャだろ。うまさが全然違うんだよ」

「そんなものなんですか」

 吉田はそう相槌を打った瞬間、パッと閃いた。

「そうだ、卵ですよ! どうして気がつかなかったんだろう」

「え?」

 吉田は食べかけの牛丼も放り出して顕微鏡へと向かった。そしてまた作業に没頭し出した。

「おいおい、お前の分食っちゃうからな」

 繁原の声にも反応せず、吉田は作業を繰り返した。そして一時間後。

「わかりましたよ、人工と天然の湖水の違いが」

「ほう、どう違うんだ?」

 吉田は顕微鏡の映像をモニターに映しながら説明した。

「見てください。浜名湖の湖水には天然、人工両方にワムシの耐性卵が含まれています。これはそれぞれ一つずつ摘出したものです」

「ほう、見ただけでは違いがわからんが」

「それぞれの卵から内容物を抽出し、成分分析した一覧がこちらです」

 吉田はプリントアウトされた表を差し出した。

「……人工湖水の耐性卵の成分はポリエン酸がやたらと多いな」

「そうなんです。人工湖水の耐性卵は言わば養殖もので、ポリエン酸の含有量が極めて高いんです。そして被害者体内から抽出された耐性卵もやはり人工湖水と同質のものでした」

 繁原は目を輝かせて吉田の肩をポンと叩いた。

「吉田、よくやった。これで事件性が証明できるだろう。早速レポートをまとめて至急浜松中央署に送ってくれ」

「はいっ!」


      †


 科捜研からの報告書に目を通した雁屋は朗報に顔をほころばせた。そして中三川刑事課長のデスクに報告書を叩きつけ、相手の顔を覗き込むように言った。

「逮捕状くれるら? ヤリダイさせてもらうで!」

 中三川課長は無言のまま雁屋としばらく睨み合い、科捜研の報告書を手に取ると、即座に席を立って退室した。

「よっしゃあ! 松田泰造の逮捕ん踏み切れ!」

 雁屋は部下たちに発破をかけた。そして様々な方面に協力要請を出した。特に空港や港、非合法の船着場に至るまで泰造が出国しないよう目を光らせた。入国管理局の情報によれば、まだ泰造が出国した形跡は見られなかった。

「首洗って待っとけ、パイン! どこまで逃げても必ずとっつかますでな!」

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