5-5 似顔絵の人物

 それから三人は数学教師の但馬実と会った。喜一が以前、記憶を頼りに描いた絵の人物である。

「うわぁ、ホントそっくり!」

 穂香が開口一番に叫んだ。

「はい?」

 当の但馬は何のことか分からず、当惑の表情を浮かべた。

「ああ、あまり気にしないで下さい。単刀直入にお聞きしますが……とその前に、僕はここに通っていた頃の記憶を失っています。だから先生からしてみれば分かり切ったようなことを質問するかもしれませんがご了承下さい」

「ああ、大体のことは江梨久から聞いているよ。それで聞きたいことって何だね?」

「先生、『ほろしつみ』というわらべ歌の話を授業中にしたことはありませんか?」

「『ほろしつみ』? どんな歌だね」

 そこで喜一は歌詞の書いたメモを手渡した。


〽鷹さん呼ばはばほろし摘み 

 鳥さんむかさりみのり摘み

 観音さんのきざはしに 

 遂に宴の幕も閉づ 

 色の照る日も空にあり


「いや、知らないねぇ。当然僕が授業中に君たちに話したこともないよ。もっとも僕は教師でありながら人前で話をするのが苦手でね、授業中に雑談で場を和ませるなんて高度なスキルは持ち合わせていないんだ。中には退屈して歌う奴までいた……」

 と、そこまで言った時、但馬は何かを思い出したようにハッとなり話を止めた。

「どうかしたんですか?」

「そうだ、あの時あいつが、宮地が歌っていたのがこの歌だよ」

「宮地が? その時の状況、詳しく覚えていますか?」

「あの時は……いつもそうなんだがほとんどの生徒は真面目に授業を聞いていなかった。宮地は匠や田辺とつるんで喋ってたんだが、宮地がその歌を歌ってた。それを聞いて匠たちが『うう、怖ぇー』などと合いの手を入れてたように思う。そして新田をわざわざ呼び寄せて歌を聞かせたんで『あいつら、またやってるのか』と思って注意しようとしたんだが、そこでチャイムが鳴った」

「それ以降、宮地がその歌を歌うことはありましたか?」

「いや、覚えている限り、それきり授業中に宮地が歌うことはなかったな」

 職員室を出ると、恋空が但馬の説明を補足するように言った。

「宮地はね、あのグループの中では新田を怖がらせるためのネタを発掘する役目をしてたのよ。さっきの但馬の話から推測すると、『ほろしつみ』という歌の話もそんなホラーネタの一つだったんじゃないかしら」

「色々話を聞いていると、新田という生徒が事情を知っていそうだな。僕、ちょっと行って会って来ようと思う」

「無理よ、今引きこもりで不登校なのよ。学校の人とは会いたくないと思うわ」

「話を聞く限りでは、自分で言うのも何だけど天草喜一に対して新田は心を開いていたんじゃないかという気がするんだ。とにかく行ってみるよ」


 結局、喜一は一人で新田を訪ねることにして、穂香と恋空は新田家の近所にある喫茶店で待機した。注文した紅茶が運ばれてくると、恋空は窓の外を眺めながらカップに口をつけた。その様子が穂香には妙に艶かしく見えた。

(この人、歩夢君……いや、喜一君とはどんな関係だったのかしら。親しいみたいだけど、付き合ってる感じではないかな)

 穂香がそんなことを考えて悶々としていると、いきなり恋空が視線を合わせてきた。穂香は慌てて目を逸らしたが、今度は恋空が穂香をジッと見つめた。

「ねぇ、私と天草君がどんな関係だったか気になっているんでしょう?」

「べ、別に」

 穂香はそう言いながらも、顔を紅潮させることで肯定していた。

「わっかりやすいなぁ。ねぇ、知りたい? 私たちのカ・ン・ケ・イ」

「だから別にいいってば」

「そんなに遠慮しないで。……教えてあげる。私たち、つきあってないけど、一回キスしたの」

 それを聞いて穂香は紅茶を気管に入れてしまい咳き込んだ。

「けほけほ」

「ごめん、ちょっと揶揄からかっただけ。あなた、天草君のこと好きなのね……でもあいつ、そういうところ鈍いからなあ。さっきもさ、『穂香さんは恋空には突っかかるけどホントは優しい子だからわかってあげて』なんて言うのよ、ウケるー! わかってないのそっちじゃんね」

 穂香はそれを聞いて少し心が温まった気がした。喜一がそんな風に自分をフォローしてくれたことがちょっと嬉しかった。


 一方、喜一はスマホのマップアプリを頼りに新田家に辿り着いた。インターホンのベルを鳴らすと新田の母親が応答した。

「はい、どちら様ですか?」

「安東高校二年B組みの天草です。新田君はいますか?」

「天草君? ちょっと待っててね」

 しばらく待っていると、玄関のドアが開き、母親が手招きをした。

「どうぞ、中に入って」

「はい、お邪魔します……」

 そして靴を脱ぐと母親は息子の部屋の前まで案内した。

「ここが圭二の部屋よ。私が行ったらノックしてみて下さい」

 喜一は母親の指示通り、ノックしてみた。

「あの、安東高校の天草だけど、お話出来るかな?」

 するとしばらくの沈黙の後、ドア越しに声が聞こえた。

「天草? じゃ、入って」

「うん、入るよ」

 喜一はゆっくりとドアノブを回してドアを押した。一歩部屋に足を踏み入れると、締め切った部屋独特の澱んだ空気が鼻をついた。

「ええと、君が新田君かな? 実はね、僕、記憶が……」

 そう言いかけた時、新田が突然手をついて土下座した。

「ごめん天草! 僕のせいであんなことに!」

「ちょっと待ってよ、あんなことってどんなこと? 僕、記憶喪失で何にも覚えていないんだ。何があったか順を追って説明してくれるかな?」

 新田はしばらく額を床につけたままの状態を続けていたが、やがて頭を上げてこれまでの経緯を語り始めた。

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