第五章 記憶への旅

5-1 証拠

 石角秀俊の証言を後ろ盾に、雁屋は刑事課長の中三川次郎の元を訪れ、松田泰造逮捕に踏み切るよう直談判した。

「しかしね、雁屋君。揃っているのは状況証拠だけじゃないかね」

「松田は逃亡中だで、一刻も早よ捕まえんと、手遅れンなるかもしれんに」

「この件には色々なお偉いさんが絡んでいるんだ。物証もなく下手に逮捕などしたら二度とこの事件は追えなくなる。もしやるなら確実な物証を掴め。逮捕状はそれからだ」


 中三川課長の保身的態度に気を悪くした雁屋は直戸の店に行くことにした。店では少年がにこやかに挨拶した。

「いらっしゃいませ」

「ほお。道下君、もなかなか様ンなってきたに。あんま立派だもんでできただよ」

「暑い……ですか?」

 その時、直戸も店頭に出てきた。

「道下君、気にしなくていい。いつもの下手な駄洒落だ」

「えっ、そうだったんですか。すみません、気がつきませんでした」

 雁屋にペコペコ頭を下げる少年の肩を、直戸がポンと叩いた。

「それより、このヴィオラ・ダ・モーレをアクトシティの楽器博物館に届けてくれないか」

「わかりました、行ってきます」

 嫌な顔一つせず言いつけを守って出かける少年の後ろ姿を見て雁屋がしみじみ言った。

「いい少年だで、いつか手放すンがもったいないら」

「ああ、でも早く身元が判明して元の生活に返してやるのがお互いベストだろう。ところで今日はどんな要件だね?」

「パイン……もとい、松田泰造の逮捕だけえが、確実な物証を抑えることを条件として突きつけられたで、何かいいアイディアねぇけ」

「それなら、パインに渡したという水の一部を石角はまだ持っているかもしれない。それと被害者の体内の水と一致し、かつ本物の湖水と何らかの相違が発見出来れば証拠となるのではないかね」

「なるほど」


      †


 そして雁屋は一人で石角の元を訪ねた。2LDKのマンションに石角は在宅していた。

「私は警備員として夜働いていましてね、昼間はこうして家にいることが多いんです。まあ、ほとんど寝てますね」

「そうかね。ところで花菜さんとはその後連絡あるけ?」

「いえ、何度か彼女の携帯にかけてみましたが繋がりませんでした。そして先日携帯を解約したみたいです」

 雁屋は少し考え込んで小声で話した。

「実はおんしにゃ黙っとるよう言われとるけぇが、花菜さん、実家に帰っただに。一応実家の住所も聞いとるで、……こっそり聞いとくけ?」

「いえ、しばらくそっとしてあげたいと思います。ご実家も影山徳治という資産家の後ろ盾を失って大変でしょうし」

「影山っちゅうと、影山興産の?」

「影山興産をご存知なんですか?」

「このあいだ、早出総合病院のガサ入れでマニフェスト見た時、影山興産の名前があっただに。生活環境課の刑事がいうには、おえん仕事やっとるって話だで。しかもそん仕事にゃあ大抵パイン、つまり松田泰造が絡んどるだに」

「松田泰造は影山徳治の私生児なんですよ。花菜さんとの縁談は、ご実家の工場の救済の条件として影山が持ってきたそうです」

「なるほど、ほいでパインは影山興産ン仕事、請け負っとっただに」

「ええ……」

 そこで石角は一旦話を切り、二つの小瓶を取り出して雁屋の目の前に置いた。「おたずねの品ですが、こちらがパインに渡していた水の残りです。青いラベルが佐鳴湖、赤いラベルが浜名湖です。時間も経過していますので、かなり変質していると思いますが……」

「ああ、ありがとう。ほんだぁ、こちら調べさせてもらうで」


      †


 雁屋は石角から受け取った水の入った小瓶を鑑識官の上杉和馬に手渡した。上杉は村下と佐伯から採取された水、本物の湖水と比較してみた。しかしそれぞれ時間の経過や保管状態の違いで水質に変化は見られたものの、佐鳴湖と浜名湖の水と同一のものという結果を出さざるを得なかった。上杉はその完成度の高さに驚きの声を上げた。

「これ、本当に人工的に合成した水なんですか?」

「ああ、作った本人がそう言ってるから間違いない」

 結局、科捜研に送り、再度綿密に調べさせた。雁屋は上杉と相談した結果、科捜研にサンプルを送り、精密検査を依頼することにした

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