3-4 鼓動
その夜、穂香の携帯に父親からの着信があった。穂香は通話ボタンを押すとわずかに怒気を込めていった。
「もしもし。穂香だけど」
「お父さんだけど、今晩帰れそうにないんだ」
「あのねー、ウチには歩夢君がいるのよ。うら若き男女をひとつ屋根の下に置き去りにして父親として平気なわけ?」
「ああ、そうだったね。でも穂香のような女傑を襲えるようなら男として見込みある。じゃあ、よろしく」
「何よそれ! あのねえ、こら、待ちなさい!」
直戸は一方的に電話を切った。すっかり興奮していた穂香であったが、背後に歩夢がいることを思い出して恥ずかしくなった。
「ははは……」
気まずく笑う穂香に歩夢は静かにいった。
「大丈夫だよ、僕は襲ったりしないから」
「えっ。そ、そうだよね。私みたいなデブでブサイクな女、襲ったりしないよねえ。なにいってるんだろ、私」
「穂香さんはデブでもブサイクでもないよ。むしろ可愛いと思う」
そう言われた瞬間、穂香の顔が真っ赤になった。いやだ、恥ずかしい、こんな顔見られたくない。そう思った穂香はとにかくその場を立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっとお惣菜買いにコンビニ行ってくる!」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
穂香はそそくさと家を飛び出し、駆け出して行った。途中で息が切れて膝を両手で押さえて立ち止まった。
「はあ、はあ」
心臓が激しく鼓動して苦しい。急に走ったからだろうか、それとも歩夢君から「かわいい」なんていわれたからだろうか、ドキドキが止まらない。どうしよう、あの家にはもう戻れないよ。お父さん、早く帰って来て! そう心の中で叫ぶ穂香であった。
†
「ハックション!」
「……大丈夫かい、旦那」
「ああ失礼。……もう一度きくが、村下周三を本当に知っているんだな?」
直戸は停車中のダンプを数台当たってみて、ようやく村下を知っているという運転手に巡り会えた。そして自販機のカップ麺を情報料として話をきこうというのだから随分せこい話だが、当の運転手は満足気である。
「知っているっていっても、立ち話した程度だがな。奴は佐伯智茂っていうアシスタントとコンビで産廃の運び屋をやってたんだが、女に騙されたとかで多額の借金で火の車だった……トラック乗りが〝火の車〟なんて縁起でもねえよな」
「もしかして、それで〝パイン〟の仕事を請け負うことになったのか?」
「なんだあんた、パインを知ってるのかい。俺たちの間じゃ大騒ぎさ、よりによってあんなヤバイ奴の仕事に手を染めたなんてな」
「そのパインって人物はそんなにヤバイのか?」
「ヤバイなんてもんじゃない。実際あれから村下の姿を見たもんがいねえんだ。消されちまったんじゃないかって噂になってるぜ」
「パインとコンタクトを取る方法はないか?」
「やめとけ。悪いことはいわんが奴とは関わらない方がいい。どうしてもというなら、この辺に奴のパシリが仕事の斡旋でウロついているから、そいつを捕まえればもしかしたら辿り着けるかもしれん」
「そうか、ありがとう」
直戸は食べかけのカップ麺を残して運転手から離れ、雁屋に電話した。
「もしもし、綾小路だが、掴んだ情報によれば、村下周三は佐伯智茂というアシスタントを雇っていたらしい。もしかして浜名湖のドザエモンという可能性もある。調べてみて欲しい」
「佐伯智茂け? 調べてみるだに!」
†
簡単な夕食を済ませた穂香と歩夢は、時々気まずくならない程度の会話を交わしながら、テレビや携帯を見たりして夜の時間を過ごした。
「ねえ、私もう寝るけど、歩夢君はまだ起きてる?」
「うん、あとちょっとしたら寝るよ。穂香さん先に寝てて」
「わかった。じゃあ、あんまり遅くならないようにね。おやすみ」
「おやすみ」
それから穂香は寝支度をして自分の部屋の布団に潜り込んだ。明かりを消して目をつぶったが、なかなか寝付けなかった。
そのうち、居間の扉が開く音に続いてミシッミシッという足音がきこえた。ああ、歩夢君もう寝るんだ。そう思った矢先である。
コンコン
部屋のドアをノックする音がした。歩夢君だわ。もしかして……もしかして? 穂香は初めて少年を連れてきた時、服を脱いで上半身裸になった少年の姿を思い出してしまった。あの程良く鍛えられた筋肉。触ったらどんな感触なんだろう。もしあんな身体で抱きしめられたら……などと想像したら顔が紅潮してしまった。
「あの……僕だけど、ちょっといい?」
穂香は咄嗟にパジャマの中に顔を入れて体臭をチェックした。だ、だめだわ。こんなことならもっとちゃんと洗っておけばよかった……などという思いが頭を駆け巡った。
「あ、もしかしてもう寝てたかな?」
「ちょ、ちょっと待って。今行く」
穂香は咄嗟にデオドラントスプレーを身体に吹き付け、ドアを半分開いて外にいる歩夢を覗き見た。
「どうしたの?」
「起こしちゃったらゴメン。あのさ、病院でもらった薬って穂香さん持ってたよね。寝る前に飲んでおきたいと思って」
「あっそっそうだよね。ハハハ、ゴメン。今持ってくるね」
穂香は慌ててバッグから薬の入った紙袋を取り出し、歩夢に渡した。
「これでよかったかな」
「うん、ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
穂香がドアを閉めると、歩夢の足音が徐々に遠ざかって行った。
(行っちゃうんだ……って、そうだよね、へへへ)
再び布団に潜り込んだ穂香は、自分の心臓のバクバク鳴る音がうるさくてますます寝付けなくなってしまった。
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