2-4 ランチ
それからしばらく経ったある日。
祐也の愚図り方がひどくなって来た。石角を避けてサッカーの練習を休むようになってから祐也は明らかにストレスが溜まっているようだった。泰造も祐也の状態を見て不機嫌になり、花菜のことをなじるようになってきた。
もう限界だ。花菜は思った。今の状況を改善するには石角に頼るしかない。そう思って花菜は祐也を連れて再びサッカーの練習に顔を出した。
花菜と祐也がグラウンドに現れると、ボールを蹴っていたサッカー少年たちが一斉に振り向いて声を上げた。
「あっ、祐也だ!」
子供たちは花菜と祐也のところに駆け寄って来た。そして石角も彼らの姿を見つけると、嬉しそうに微笑んだ。花菜は石角のその優しい表情を見て、心が春先の雪山のように溶けていくのを感じた。
「こんにちは」
石角はにこやかに挨拶した。花菜の心の痛みをどれくらい察しているのかはわからないが、その声には癒しの響きがあった。
「こんにちは。ご無沙汰してます」
花菜の返事に軽く頷いた石角はベンチに座り、その隣の席を花菜に勧めた。
「みんな寂しがってましたよ、祐也君が最近来ないって。でもこうしてまた会えて良かったです。見て下さい、あの嬉しそうな顔」
「本当ですね。でも、何だか石角さんやみんなに甘えてしまっているみたいで心苦しいです」
「それはみんな同じですよ。祐也くんが張り切ってくれているおかげで、僕たちには励みになっているんです」
それはお世辞などではない、本心から語られた響きを帯びていた。花菜は誇らしげな気持ちになった。そしてそんな気持ちにしてくれた石角に感謝した。
子供たちが反復練習に入ると、石角はコンビニの袋からパン取り出して食べ始めた。時間からすれば〝おやつ〟の時間だが、食べている物からして遅い昼食のようだった。
花菜はふと考えてみた。こんな真昼間から子供とサッカーをしているなんて、どんな職業なのだろう。普通のサラリーマンではまずありえない。
「……どうかされましたか?」
と、石角にきかれて花菜はドギマギした。
「え? いや、その……」
「何か気になることでもありますか?」
「そういうわけじゃないんですけど、石角先生って運動も出来て有能そうで、普段何をされてる方なのかなって、ふと思ったんです」
石角はパンの袋を丸めながらこたえた。
「僕は以前、潤和アクアケミカルという会社で研究員をしていたんですが、……ワケあって解雇となりまして、今は警備員をしています。夜の任務が多いので、昼間が空くことも多いんです」
「なるほど、それでサッカーのコーチも出来るんですね」
花菜はものはついでとばかりに尋ねてみた。「……ご家族は?」
石角は今度は複雑な笑みを浮かべた。
「妻は息子がまだ小さかった頃に亡くなりました。その息子も、難しい病気で入院し……最近亡くなりました」
「そうでしたか……私ったら軽々しくデリケートな質問をしてしまって、すみません」
花菜は恥ずかしくなり、穴があったら入りたい気持ちになった。そんな花菜に気遣うように石角が言った。
「こちらこそ、何だか変な話にしてしまいましてすみません。あまり気になさらないで下さい」
そう言いながら石角はまたパンを食べ始めた。作る人がいないとは言え、栄養の偏った食事だなぁ、と花菜は思う。とその時、ふとあることがひらめいた。
「差し出がましいようですが、今度の練習の時、私が石角さんのお弁当作ってきてもいいですか?」
花菜の積極的な提案に、石角は少したじろいだが、満更でもなさそうだった。
「それはとてもありがたいですが、ご面倒ではありませんか?」
「とんでもないです。祐也がお世話になっているお礼ですよ」
花菜は嬉々として言った。石角は煙に巻かれたような気がしたが、楽しみになっていた。
†
そして次の回の練習終了後、花菜は持ってきた弁当を広げた。派手さはないが上手に盛り付けられていて、石角は食欲をそそられた。
「うわあ、美味しそうですね」
「何かちょっと失敗しちゃったので、まずかったら残してくださいね」
「そんな、とても美味しそうじゃないですか。いただきます」
石角は花菜の手料理をいくつか口に入れた。よほどうまいと思ったのか、顔がほころんでいた。
「すごく美味しいです。何というか、家庭的な味ですね」
「そう言ってもらえると嬉しいです。あんまり大したもの作れないのでお恥ずかしいんですけど」
花菜は自分の家の食事時のことを思い出した。泰造は細かいことにうるさく注文をつける。さらに一度言ったことを守れていないと酷く罵倒する。食事の時くらい楽しくしてくれたらいいのに……そう思っても中々言い出せない。息が詰まる……もうこんな生活はうんざりだ、と花菜は思いめぐらしていた。
「どうされましたか?」
花菜が考え事を始めたので、石角は気になって尋ねた。
「あ、すみません。私は夫から料理を褒められたことがないので、なんだかうれしくてつい……」
「そうなんですか? こんなに美味しいのに」
「怒られてばっかりで……いつもそうなんです。料理だけじゃなくて色々なことも……」
石角はしばらく思い巡らした後、おもむろに言った。
「それは耳の痛いお話です。妻がいた頃は、家事の苦労など知らずに文句ばかりいっていたものです。それが、彼女がいなくなってからというもの、一人で全部をしなくてはならなくなって……いかに家事をしながら子育てするのが大変か良くわかりました。しかも、どれほど妻がきちんとしてくれていたかも……。もし僕があの世に行くことがあれば、真っ先に彼女のところへ行って謝りたい、そしてありがとう、といいたい」
「……何だか良いお話ですね」
石角の話を聞きながら花菜の目が僅かに潤んだ。そして石角は話を続ける。
「松田さん、今のご主人にはあなたのなさっていることがどれほど素晴らしいかわからないかもしれません。でも、今の僕にはわかります。あなたは最高の母親であり奥さんです。亡くなった妻に出来なかった分、あなたを褒めさせて下さい。僕は最大限の賛辞をあなたに贈ります」
石角と花菜の見つめ合う視線が互いに熱くなった。サッカー少年たちはそんな彼らの様子など構うことなく練習の後片付けに勤しんでいた。
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