2-5 限界
それからも花菜は祐也のサッカー練習に付き添った。石角は花菜と祐也を見ると、親しげに手を振った。あのお弁当会食以来、石角と花菜はより一層親密になり、互いに秀俊さん、花菜さん、と呼ぶようになった。
近頃、泰造は仕事上でストレスを抱えているのか連日のように妻子に辛く当たっていた。花菜はもうボロボロでいつ壊れてしまってもおかしくない程になっていた。石角と会うことで何とか自分を保っている気がした。その様子を気遣うように石角がいった。
「花菜さん、何だか辛そうに見えますが、大丈夫ですか?」
「ええ……最近ちょっと疲れているみたいです。でも大丈夫ですよ」
花菜は精一杯健気な笑顔を見せた。石角にはそれがかえって痛々しく見えた。彼は花菜の心中を察するようにいった。
「厳しいことを言われるからって根を詰めていたら潰れてしまいますよ。たまにはご主人の目を盗んで手を抜いて下さい」
「ふふふ、ありがとうございます。でも主人の目を盗むなんて、それこそ生き馬の目を抜くようなものです」
「なるほど……」
石角はしばらく黙り込み、思い切った調子でいった。
「あの……もしよかったら、これから二人で気晴らしにドライブにでも出かけませんか?」
「えっ? でも祐也もいますし……」
「誰かお友達のところにでも預けられませんか?」
「正直そこまで甘えられる友達もいなくて……やはり、ドライブはやめておきます。お誘い下さって嬉しかったんですけど……」
花菜がやんわりと断ると、石角は決まり悪そうに手を振った。
「……そうですよね、人妻をドライブに誘うなんて、僕がどうかしていました。今いったことは忘れて下さい」
そう言って石角は当たり障りの無い話題で取り繕いながら子供たちの様子を眺めていた。
その夜、祐也はなかなか寝付かなかった。絵本を読んだり、子守唄を歌ったりして長い格闘の末にようやく祐也が寝息を立て始めた。その時、タイミング悪く酔った泰造が帰ってきた。
「おお、今帰ったぞ。祐也、元気でやってるか」
「あなた、祐也は今寝かし付けたところなの。少し静かにしてもらえませんか?」
花菜がいうと、陽気だった泰造の表情は一変して鬼の形相になった。
「お前、いつから俺にそんな偉そうな口を叩くようになったんだ? 最近俺が甘い顔していると思っていい気になってるんじゃないか?」
泰造は花菜の髪を鷲掴みにして彼女を床になぎ倒した。そして殴る、蹴るの暴行を加えた。彼女は亀のように体を丸めて夫の暴行に耐えた。
その時、寝ていた祐也が起きて金切り声で泣き叫んだ。すると泰造は祐也を捕まえ、寝巻きを剥ぎ取り丸裸にして全身を平手で叩き始めた。
「パパのいうことが聞けない子は……お仕置きだ!」
花菜は野獣と化した夫にしがみついて嘆願した。
「祐也は……祐也はやめて下さい! 私なら、いくら殴られてもかまいませんから!」
すると泰造は鉾先を再び花菜に向けた。〝お仕置き〟は夜通し続いた。花菜は思った。
(もう限界だわ。このままでは死んでしまう……)
夜が明けて夫と息子を送り出した後、記憶を頼りに石角の携帯に電話をかけた。
「もしもし、石角です」
「花菜ですけど……突然のお願いですみません。これからドライブに連れて行って下さい!」
花菜の悲痛ないい方に石角は気圧されたが、しばらくして静かに言った。
「……わかりました。いつものグラウンドで待っています」
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