第二章 ランドマーク

2-1 サッカー少年

 川面かわもの照り返しがまぶしい天竜川の河川敷グラウンドで、サッカー少年たちが練習に勤しんでいた。そんな中、松田祐也ゆうやという男の子が練習に加わらず、グラウンドの隅でひとり遊びをしていた。別に体調不良でもなければ怪我をしたわけでもない。ただやる気がなく練習をサボっていたのだ。

 そしてそんな祐也を誰も注意しなかった。プロでもないありあわせの指導者には、やる気のない子供のフォローまでは手がまわらないのだ。

 このサッカークラブはもともと地元の町工場がスポンサーになって始まったものだったが、その工場は不景気で倒産の憂き目に遭い、このクラブは後ろ盾を失い、コーチを雇う余裕もなくなった。それで残されたメンバーの保護者の内、サッカー経験のあるものが有志で指導にあたっていた。浜松中央署の刑事、雁屋誠憲かりやまさのりもそんな保護者のひとりとしてこの日、子供たちを相手に奮闘していた。


 そうして祐也が遊んでいるところに、一人の青年……と呼ぶには少し立派な年頃である、三十前後の男性がやってきた。背が高くて体格も良い男前。もちろん、そんなことは幼い子供にはどうでもいいことだ。

「君は何をしてるんだい? こんなところで」

「……おじさん、誰?」

「質問をしているのはこっちさ。君はみんなと一緒に練習しないのかい」

 祐也は首を振って顔を膝の間に埋めた。と、その時ゴールを外したシュートボールが勢いよく祐也達の方めがけて飛んで来た。

「あぶない!」

 練習中の少年たちが叫んだ。

 すると男が祐也の前に立ちはだかり、ボールを胸で受け止め、足元まで滑り落とさせると、数回リフティングした後数メートル高く蹴り上げ、グラウンド中央めがけてオーバーヘッドシュートした。

「すげー!」

「カッコいい!」

 サッカー少年たちが目を輝かせて男を見た。祐也もその一人だった。

「おじさん、すごいね。もしかしてプロ?」

「まさか。学生時代にサッカーをやっていただけだよ」

「へえ。でも、どうしたらそんな技が出来るようになるの?」

「基本練習をみっちりすることさ。地味だけど反復練習は何をするにも不可欠なんだよ。ほら、あの子たちみたいにね」

 男は練習中のサッカー少年たちを指差した。

「だめだよ、僕、いくら練習してもみんなみたいに上手くならないんだ」

「焦るな、時間はちゃんとかけろ。そうすればみんなと同じように……いや、もっと上手くなれる」

 すると、祐也は立ち上がって彼らの方へ駆け寄り、練習に参加した。男はベンチを見つけるとそこに座り、しばらく少年たちの練習風景を眺めていた。

 やがて練習が終わり、男が立ち上がって帰ろうとした時、たまたまその日指導をしていた雁屋が駆け寄って来た。

「いまさっきオーバーヘッドシュート見ただけぇが、ばかうめぇもんで驚いただよ。おんし、かなりサッカーやってるら?」

「いえ、大したことはありません。学生の頃、あんまり強くなれなかったんで、ああいう派手なパフォーマンスばかり練習してたんですよ」

「なに謙遜こいてるだ。さっきの身のこなし、伊達にサッカーやってたんじゃできゃせんで。ひとつ相談だけんが、空いてる時間でいいで、あの子たちにサッカー教えてもらえんかね」

「……それはご勘弁下さい。私は教えられるほどのものは何も身につけていないし、いつまで浜松にいるかわかりませんから」

「おんしの都合つく範囲でいいだよ。ここで教えてる連中もみんな仕事を抱えとるで、ちーとでも指導要員増えると助かるに。それにみんなサッカー、どへぼいもんで……」

 そんな話をしていると、いつの間にか少年たちが集まってきた。そして期待を込めた目で全員が男に注目した。そんな目で見られては男としても無碍に断るわけにはいかなかった。

「わかりました。時間の空いた時だけですが、みなさんの指導をしましょう」

 男がそういうと、子供たちは「やったー!」と歓声を上げ、雁屋はすり寄ってきた孫の遼の頭を撫でた。

「俺はこの子んで、雁屋誠憲だに、よろしく」

「私は石角秀俊いしずみひでとしと申します。また連絡させていただきます」

 こうして雁屋と石角は固い握手を交わした。二人がここで出会ったことは奇妙な因縁の取り合わせというより他ないのだが、この時の二人には知る由もなかった。

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