1-3 居候

 穂香の父親はしばらく考え込んだが、とりあえず話だけきいてみようという気になった。

「まあいいだろう。話してくれ」

 と話を促す直戸を、穂香は「お父さんたら!」と諌めたが雁屋は構わずに話しはじめた。その内容は掻い摘んで言うとこのようなものであった。


 一昨日、佐鳴湖で身元不明の男性の水死体が発見された。鑑識の結果、他殺の可能性はなく事故死と断定されたのだが、それから間もなくして浜名湖の舘山寺あたりの湖岸でも身元不明の男性の水死体が発見された。そちらの方もやはり水難事故死と断定されたが、両者の鑑識資料を見比べると、遺体の状態があまりにも酷似していた。雁屋はそれを偶然で済ませるにはどうにも腑に落ちないと言うわけである。


「つまり自殺ではなく、同一犯による他殺だ……そうあんたは睨んでるというわけだな」

「んだで、その辺調べようとしただが、こん事件ん捜査ぁ急に打ち切られ、その上報道規制もかけられた。何か匂うら?」

「だからって俺を巻き込まないでくれ。本業の合間にあんたが勝手に捜査していればいいだろう」

「だけんがという上んお達しだに。俺りゃもう表向きにはこの事件の捜査ぁ出来おせん。ここはもう名探偵綾小路直戸の出番だもんで……」

 そこまでいいかけた時、穂香が出てきて雁屋を追い出そうとした。

「はいはい、もうお話は終わりましたよね。ご用がお済でしたらどうかお引き取り下さい!」

 穂香に押し出されながら雁屋は「そういうことだで、よろしく!」といい残して綾小路家を後にした。


      †


穂香ほのか、全くお前は雁屋さんに対して態度が大きすぎるんじゃないか」

「お父さんは人が良すぎるのよ。刑事だった頃どれほど家族に迷惑かけたか忘れたわけじゃないでしょうね?」

「もちろん忘れてはいないし、母さんにも申し訳なかったと思っている。……ところで、その少年は誰だ?」

 穂香の父親に見つめられた少年は、咄嗟に「道下……歩夢です。歩くに夢、と書きます」といった。

「歩夢……ほう、変わった名前だな」

 娘の穂香がフォローする。

「お父さん、この子記憶喪失なの。自分の名前も思い出せなくて、それで暫定的に『道下歩夢』という名前を私がつけたのよ」

「記憶喪失というと、どれくらい思い出せないのかい?」

 少年が答えた。

「言葉はもちろん分かりますし、世の中の常識のある程度のところは知っています。でも、僕自身が何者でこれまで何をしてきたのか、全く思い出せないんです」

 穂香が割入っていった。

「だから、道下君の記憶が戻るまでここにいてもらおうと思うんだけど……いい?」

 穂香の父親はそれには答えず、ただ少年の全身をじっと眺めた。

「道下君、ちょっと上半身裸になってくれないか」

「ええ? ちょっとお父さんてば!」

 同じ年ごろの男子が裸になると聞いて穂香は顔を赤らめて手で覆い隠したが、少年は構わずにシャツを脱いで上半身裸になった。

「なかなか均整のとれたいい体だ。何かスポーツをやっていたのかな」

「わかりません。記憶がありませんから」

「なるほど。ところでここに強い打撲の痕があるが、痛むかな?」

 穂香の父親は少年の腰のあたりを軽く押した。

「痛たたっ」

「……骨にひびが入っている。衣類にも僅かながら黒い塗料が付着している。おそらく車がぶつかったのだろう」

 穂香が尋ねる。

「お父さん、もしかして轢き逃げかしら?」

「ああ、おそらく痣の感じからしてトラックのバンパーが当たったんだろう。幸い接触程度で済んでいるが、その時のショックで記憶が飛んだんじゃないかな」

 少年は感心した様子でいった。

「元警察官っていってましたが、そんなことまでわかるんですね」

「まあ、あの頃はこんなことばかり調べるのが仕事だったからね。……ともかく病院で手当てを受けて、それから今後のことを考えていくとしよう。ああ、私はこの娘の父親で綾小路直戸あやのこうじなおとだ。どれだけ力になれるかわからないが、困ったことがあったらいってくれ」

「……何だかご面倒おかけしますが、よろしくお願いします」

 こうして少年は病院で手当てを受けた後、綾小路家でしばらく居候することになった。

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