第5話 エリザの正体

「そろそろ、お腹が空いてきたな」

 エリザのゆっくりとした所作に我慢できなくなったエウベルトが喉を鳴らし呟いた。


「ちょっと、雰囲気台無しですわ。そこは、『いったい何を取り出すんだ?』とか、そういう言葉が相応しいですわよ」

「雰囲気を大事にしたところで、腹が満たされるとでもいうのかい?」

 エリザの忠言も気にせず、エウベルトは腰にぶら下げた袋の中から携帯食料を取り出し食べ始めた。


「もういいですわ」

 ドレスの胸元からペンダントを取り出したエリザは、ペンダントトップをエウベルトに向け、

「こちらをご覧になれば、全て分かりますわよ」

 そうアピールをするのだか、エウベルトはそんなエリザを無視して、乾いたパンを噛み千切ろうと、勢いよくパンを噛み続けている。


「あ、あのー、わたくしが偉い事の証明で、これを見ていただきたいのですが……」

 エリザは必死にペンダントトップをアピールするが、パンに夢中なエウベルトは全く気付かない。


「そんなことより、魔法使えるんだろう? この水筒に水を入れてくれないか? パンが硬くて。ふやかさないと無理だ」

「魔法だって力を使うのですわよ。お手軽にホイホイと使うものではないのですが。はぁー、仕方ないですわね。食べ終わったら、ちゃんと見てくださいよ」

 ペンダントから手を離し、エリザが水筒を受け取ると、その手の周りで、フワッと青い光が再び動き始めた。


「この水筒に、水を入れてください」

 エリザの声に呼応するよう、青い光が一瞬強くなる。

「はい。どうぞ」

「おっ、有難う、有難う。すげー、本当に入ってるな」

 エリザに水筒を渡されたエウベルトは、魔法の凄さに改めて感動したようだ。


「これくらい、大した魔法ではありませんわ。何なら、そちらのパンも柔らかくして差し上げましょうか?」

「なに?! そんなこともできるの? まるで魔法だな! じゃあ、この袋に入ってる全てのパンを柔らかくしてくれ」

「まるでというか……そう、魔法ですわ。では、その袋を貸してください」

 中身はあげないと警告するエウベルトに対し、要らないですわと不機嫌そうにエリザは袋を受け取った。


 その動作に共鳴するように、青い光がエリザの顔の前にスーっと近づくと、エリザはその光に向け、また独り会話を始めた。

「この袋に入ってるパンを適度な硬さにしてください」

 魔法の発動を頼むため青い光を見つめていたエリザが顔をしかめ、面倒くさそうに、

「そんなことよりって、分かってますわよ。戻ったら、お花飾りを作るのでしょう。忘れておりませんわ」

 しつこいなと、不機嫌さを隠しきれずに喋るエリザが、今度は眉根にシワを寄せ少し思案して、

「どれ位の硬さかって、程よい硬さとしか」

 と喋るやいなや、またもや顔をしかめ、呆れ気味に、

「いや、ですから、戻って直ぐは無理ですわ。色々と用事を済ませたら作りますから」

 そう応えると、エリザは一つ溜め息をつき、光を見つめるその顔の全てのパーツが嫌だという感情を表し、

「いや、柔らかくしてほしいと言われると思うのですが………分かりましたわ。聞いてみます」


 エウベルトは、哀れむような表情でエリザに水筒を差出し、

「おい。突然、一人で喋りだして、頭でもおかしくなったのか? 水でも飲んで落ち着け」

 と、心配をしている。

 そんなエウベルトの方を向き、エリザは目の前の青い光を持ち上げるように手を前に出した。

「こちらに水の精霊がいらっしゃるのですが、やはりエウベルトさんには見えませんか?」


 心配そうにしていたエウベルトだったが、そういうことかと安心して笑顔になった。

「いやぁー、焦ったよ、精霊と話してたのか。いきなり一人で喋りだして、目もいっちゃってたし、ヤバい人の隣に座っちゃったって、後悔してたんだよ。アハハハハ」

「はぁー?! 一人で喋りだしたというのは、その通りですが、目は普通だったはずですわ。そう見えたのなら、エウベルトさんの見間違いです。訂正を求めますわ」

 いつも穏やかなエリザでも、精霊に愚弄され気が立ってるところ、エウベルトに奇人扱いされ、流石にカチンときたようだ。


「パンを柔らかくしてくれるなら、何でもいいよ。面倒だから、目はいってなかったって事にしといてやるから、早くしてくれよ!」

 突然怒り出したエリザの強い主張にも、エウベルトは怯まずに、空腹のイライラを強い口調でぶつける。


「上からの感じが引っかかりますが、訂正してくれたので、一先ず良しとしますわ。パンの事なんですが、精霊が『柔らかくするの面倒だから、いっそ直接胃にパンを転移させたい』と仰ってるのですが、それでも宜しいですか?」

「いやいや、いい訳無いじゃん! 俺はね、空腹を満たしたいんだけど、食事も楽しみたいの。そんなの当たり前の事だろ? 馬鹿なの? 大馬鹿なの? その精霊は」

 そうでなくとも空腹でイライラしていたエウベルトだが、変な提案をされ余計にイライラが募ったようだ。すると、それまでエリザの前にいた精霊と思しき青い光がエウベルトの顔の前に移動し、ただの青い光でしかないにも関わらず、どう見ても怒りをあらわにしていると思わせるような動きをし始めた。

 しかし、エウベルトには怒りの青い光が全く見えていないので、気にせず精霊を馬鹿だ馬鹿だと強い口調でこき下ろし、そんな状況を見てエリザはただただオロオロしている。


「それは、そうですわよね。わたくしもそう思ったのですが、精霊が本当に聞いてみてと仰ったので、ですから本心ではないのですよ。馬鹿とかそういう事ではありませんわ」

「念の為でも、あり得ないっしょ」

「ですから、精霊も直接胃の中になんて良いとは思ってないけど、もしかしたらと本当にって事なので、あり得ないのは承知の上で聞いただけですわよ」

「いやだから、あり得ないのは承知の上なら、聞くなよって話でしょ。とんでもなく馬鹿なんだな、その精霊は」

 精霊に対する罵倒を何とか取り繕おうとするエリザだが、エウベルトは正に取り付く島もないというやつで、暴言も口調も激しくなるばかりだ。


「あーぁ、魔法って憧れてたのにさ、発動をお願いする相手の精霊が、こんな馬鹿だったなんて本当にがっかりだよ。その精霊に、俺の憧れを返して欲しいよって言ってやろうか?」

「もう、言ってるも同然ですわ。本当にやめてください。そろそろ限界です」

「あっ、でも、馬鹿はこいつだけで、他の精霊はもう少しマシなのかもな。どうなんだ?」

 エウベルトのマシンガンのような暴言の吐き散らしをどうやっても止められないエリザは、両手で頭を抱え、「あっーー!」と叫び、自身の膝の上に突っ伏してしまった。


 エリザの突然の叫びと、突拍子もない動きに、エウベルトも驚いたようで、マシンガン暴言が止まり、目を白黒させている。そして、エリザの肩にそっと手を置き、暴言を吐いていた声とはガラリと変わり、優しい声でそっと話しかける。


「ど、どうした? 突然大声なんか出して?」

「もう、ダメですわ」

「何がダメなんだ?」

「あなたのせいで、精霊がヘソを曲げてしまいましたわ。こうなると面倒ですわよ」

 突っ伏した姿勢のままエリザはそう言うと、顔を上げエウベルトの方を向き、

「たかだかお食事の事で、愚痴愚痴愚痴愚痴と、いいかげんにしろーーー!!」

 と叫び、尚もまくしたてる。

「だいたい、わたくしは、で、いいですか、で魔法を使ってあげようとしていたのに、貴方には…いや、騎士道というものは、他人に何かをしてもらった時に、感謝をするという当たり前の事が出来ないものなのですか?」

「いや、それは……」

「水筒に水を入れてもらった、そしてパンまで柔らかくしてしてもらおうとしている。そんな時にちょっと気に食わない事が有ったからって、あそこまで執拗に文句を仰るのが貴方の言う騎士道というなら、どうぞその騎士道とやらをお極めください。わたくしとこちらの精霊は、そのような考えの人に使用する魔法は持ち合わせておりませんわ。どうぞ、硬いパンをせいぜい一生お噛みなさり、歯をボロボロになされるとよろしいですわ」

「ぐぬぅ、確かに、先程の暴言は騎士道に反するな。空腹で苛立っていたようだ。すまなかった」

 エウベルトは、エリザに一礼して謝罪した。


わたくしには謝らなくても良いので、精霊に謝ってください」

「そうだな。でも、見えないし、どうすればいいんだ?」

「あー、もう。間を取り持つのも面倒ですわね。精霊は貴方の目の前で、貴方のお顔を殴る蹴るしておりますわ。目の前に、10回位謝れば、許してもらえると思いますわよ」

「うん。分かった!」


 その後、エウベルトは体を正面に向け、居住まいを正し、虚空に向けて、「先程の数々の暴言、誠に申し訳ございませんでした」等々、様々なバリエーションで謝罪をするが、その度にエリザは「もっと心を込めて」、「そんな謝罪では、世界は変えられませんわ」、「歌っているときのダンスがおざなりになっておりますわ」、「一部と二部の間の休憩時間は、暗転させた方がいいかもしれませんわね」等々、ダメ出しを行った。


「もう飽きたから、許してくれるそうですわよ」

 そんなやり取りを繰り返す事20数回、様々な趣向を凝らしあの手この手で謝罪を繰り広げたエウベルトに、エリザが笑顔を向けた。


「いやー、良かった! ここまで謝罪術が上達したら、もうなにをしでかしても許してもらえる自信しかないよ」

 謝罪の最後に披露した土下座の名残で、まだ両ひざをついたままのエウベルとの表情は、いささか疲れを感じさせるものの、謝罪の境地に達した満足感で一杯だった。


 そんなエウベルトを生暖かい目で見ているエリザの元に青い光がスーッと近づくと、エリザが持っているパンの袋と同期するように淡く発光した。

「はい。では、柔らかくしたパンです。硬さの要望あれば、仰ってくださいね」

「おお、ありがてぇ。あっ、しかも熱くなってるじゃないか。まるで魔法みたいだ」

 パンの袋をエリザより受け取ったエウベルトは、袋越しにも伝わってくるパンの暖かさに驚いた。

 土下座のために椅子を降りていたエウベルトは、再度エリザの横に座り直し、激しく貧乏ゆすりをしながらパンを頬張り始めた。

 黙っていればかっこいいのに、変な事ばかり言うし、食べ方も汚いしで、正に残念イケメンといえるだろう。


「いやー、謝罪の後のパンがこんなに旨いとは。謝罪って大事なんだな〜」

 パンを数個、掻っ込むように食べ、エウベルトは一息つき、水筒の水を飲み始めた。

 相変わらずおかしなことをいうエウベルトに対し、エリザはハーッと溜め息をつく。


「謝罪はパンを美味しくするためでは無いですし、大事じゃないとは言いませんが、あんなに精霊を怒らせないようにした方が良いですわよ。その気になれば、人間なんて簡単に殺されてしまいますわ」

「精霊って、人間を殺さないんじゃないのか?そんなこと聞いた気がするんだけど」

 引き続き激しく貧乏ゆすりをしながら、再びパンを食べ始めたエウベルトだが、空腹もだいぶ満たされたようで、その食べっぷりに先程までの勢いはない。


「原則としてはそうですが、精霊が人を殺さないのは、縁起が悪いからとかそういった感覚で殺さないだけですわ。ほら、精霊にとって、人間って有益ではないですか」

「いや、知らんけど」

「まぁ、有益なんですよ。ですから、そんな有益な人間を殺すなんて行為は、不吉だからしたくないって程度なので、あまり怒らせると本当に殺されてしまいますよ。先程も危ないところでしたわ」

「そうなのか?」

「えぇ、肺に水を充満させるか、体中の血液を濾過して水にするか、心臓内に大量の水を注入し破裂させるか、殺し方を迷う段階までいってましたわ」

「それで死ぬの?」

「死にますわ。絶対に。歳を重ねるに従って、人間の水分保有量は下がっていくのですが、成人でも体の60%以上は水分なのですよ。水の精霊は水分を扱うのに非常に長けているんです。ここまで言えば、流石に分かりますよね? つまり、エウベルトさん、貴方の体の60%以上は意のままに精霊に操られてしまうということですわ」

「凄いね」

 貧乏ゆすりが激しくなるのに比例して、うっすら汗をかき始め苦悶の表情が濃くなるエウベルトの受け答えが、どんどん雑になってきていた。

 エリザは真心込めて、エウベルトに忠告しているのに、全く響いていない現実に只々、溜め息をつくことしかできなかった。


「まぁ、こんなことで死ぬ死なないは置いておいて、とにかく精霊を怒らせるような言動は慎んでいただきたいと、それだけ分かってください。エウベルトさんは、我がアドゥリーアにとってなくてはならない人材なのですから」

 このエリザの発言が功を奏したのか、先程まで汗ばみ苦しそにしていたエウベルトの表情が少し緩み、貧乏ゆすりもおさまり始めた。そして、ちょっと考え込み難しそうな顔をして喋り始める。

「でも怒らせないようにと言われてもさ。見えないし声も聞こえないからどうしようもないよな」

 それを聞き、エリザはハッとした顔をして、 

「そうか。そうですわね。お喋りできない方は、怒らせる機会なんて滅多にありませんわね」

 と、新たな気づきを得たようだ。

「そうだよ。ほんと、馬鹿だな」


 エウベルトに馬鹿にされてムスッとしたエリザだったが、怒りに身を任せ変な事を言わないよう、深く二度三度と深呼吸し、平常心を取り戻して、エウベルトに話し始めた。

「物心ついた時から精霊とお話しておりましたので、精霊を気にして生活する必要がない方もいること、考えてもいませんでした。どうも、すみません」

「許してやるけど、変な事を言わないよう、気をつけてくれよ」


 エリザの激しくも小刻みな深呼吸音が馬車内に響き渡る。

 だが、深呼吸では抑えきれない程にイライラがたまってきたようで、馬車内にしては少し大きめのトーンで話し始めた。

「いいですか、精霊が見える見えない関係なしに、相手が精霊であれ人間であれ、こんな事を言ったら相手が怒るという事くらいは分かっておくべきですわ。エウベルトさんは、その能力が低すぎます。もしエウベルトさんも精霊が見えてお話出来るようになったらどうなってしまうか、心配ですわ」


 すると、エウベルトが驚きの表情で、エリザを見つめた。

「えっ? これからでも精霊が見えるようになれるの?」

「はい。わたくしのように、生まれつき見える人もいれば、成長していく段階で見えるようになる人も少ないですがいらっしゃいますわよ。多くは、怪我や病気で生死の境を彷徨ったりした後とか、雷にうたれたりとか、明確なきっかけがあるのですが、いつの間にか見えるようになるって方もいらっしゃるようです」


「そうなんだ! キャッホーイ!」

 歓喜の雄叫びをあげ、エウベルトは大きくジャンプし、興奮の色を隠せないまま椅子に座ると、ウッとうめき、再び激しく貧乏ゆすりをし始めた。


「あと、遺伝の要素が強いので、ご家族に精霊が見える人がいらっしゃいましたら、エウベルトさんが精霊を見えるようになる可能性も高くなりますわ」

「んー、いないかな」

わたくしの場合、ほら、アドゥリーア家は伝統的に精霊を見える人が爵位を継いで、配偶者も精霊が見える人にするという決まりがあるので、わたくしのように精霊が見える子供が生まれる可能性が高いのです」

「へぇー」

「エウベルトさんもご存知だと思いますが、我がアドゥリーア家が率先して精霊を大事にしているおかげで、アドゥリーア領には優秀な精霊が沢山いるのですわ。その優秀な水の精霊の魔法の力を最大限に活かして、観光都市として発展しているのです」

「あっ、そう」

「ですので、今後も癒やしの観光都市として水の精霊の力を存分に……」

「やばい!!!」

 エリザが話し途中にも関わらず、エウベルトは貧乏ゆすりをしながら股間を抑え、断末魔のような叫び声をあげた。

「もう、限界だ。漏れるよ。小便が漏れそうだ! 水を飲み過ぎた!」


「ちょっ、ちょっと、やめてくださいね。あとどれ位我慢できますか?」

「そんなの、分からねぇーよ! 俺はベストを尽くすだけで、その結果どれ位我慢できるかなんて知ったこっちゃない!!」

 そう叫ぶと、エウベルトは、両拳を握りしめ、

「うぉぉぉーー!!! 持ちこたえてくれ、俺の三半規管!!!」

 と、馬車中に響き渡る声で叫んだ。


「三半規管は関係ないのですが、そんな事を言ってる場合ではないですわね。大惨事になる前に、お願いします!!」

 緊急事態に慌てふためくエリザは、謝罪騒動後から自分の近くを浮遊している青い光の方に向き、必死に懇願した。

 すると、青い光がエウベルトのお腹の方に強く発光しながら急ぎ気味に近づいていき、続いてエウベルトのお腹が淡い光に包まれた。

 両拳を握りしめギリギリで踏ん張っているエウベルトだったが、お腹が淡い光に包まれると、辛そうにしていた表情がまるで大悟りを開いた賢者のそれに変わった。

 表情を見る限りでは、絶望的な状況だが、エリザはにこやかにホッと一息ついている。


 大賢者モードのエウベルトは、暫く大放心したような目つきだったが、大覚悟を決めたようで股間に視線を移した。

「久々に、やってしまった……ってやってない」

 自分に起こった出来事に困惑しているエウベルトをエリザはにこやかに見つめている。

「間に合ったようですわね」

「いったい、何が起きたんだ?」


 エウベルトの質問に答えようとしたエリザが急にモジモジし始める。

「エウベルトさんの、あのー、お小水を、魔法でお外に捨てたのですわ」

「お小水って?」

「あのー、そのー、ですから、おしっこのことです」

 真っ赤になって、エリザは恥ずかしそうに答えるが、エウベルトは何も気にしていないようだ。


「あー、そうか魔法で捨ててくれたのか。いやー助かったよ。漏らすのもちょっと恥ずかしいもんな」

「だいぶ、恥ずかしいですわよ」

「ほら、トイレに領主様とかの名前を覚えるように紙を貼ったって言ったじゃん。それから、尿意を催した際にトイレに行って小便と勉強をするように意識したら、小便をトイレでする習慣がついたんだよな。まさに一鳥二鳥ってやつだ。その頃から、漏らさなくなったから、6年振り位に漏らすとこだったよ」

 あっけらかんと自身の粗相歴史について語るエウベルト。

 しかも、結構な年齢まで漏らしていたとのカミングアウトの割には、悪びれる様子は一切ない。

 恐らく、周りも十代前半の頃は、漏らしていると思っているのだろう。


 頓珍漢なエウベルトの対応も慣れたもので、エリザは普段の口調で淡々とツッコミを始めた。

「まずは、一鳥二鳥ではなく、一石二鳥ですわ。一鳥二鳥では、ただ鳥の数を数えているだけです。鳥の業者さんのようになってしまいますわ。次に6年振り位にに漏らすところだったと言いましたが、それでは13歳位まで……」


「ええええええええぇぇぇぇぇ!!」

 理路整然と一つ一つを解きほぐすようなエリザのツッコミを遮るように、エウベルトはエリザの胸元に熱視線を送り、驚愕の雄叫びをあげた。


「ちょっと、そんなとこジロジロ見ないで下さい」

「これって、アドゥリーア家の徽章じゃないのか?!」

 胸元をジロジロと見られ恥ずかしそうにしているエリザのその胸元にあるペンダントトップを指差し、エウベルトは狼狽している。


「そうですわよ。ですから、わたくしは、領主ステファノ・ディ・アドゥリーアの娘、エリザ・ディ・アドゥリーアですわ」

「えっえー!? 本当か? この徽章、盗んだんじゃないのか?」

「アドゥリーア家の徽章が盗まれでもしたら大騒ぎになりますわよ」

「それもそうだな。ということは………、はっ、タメ口きいて、すみませんでした!」

 隣に座っていたはずなのに、気づくと土下座の体勢をとっていたエウベルトの無駄のない動きに、エリザは凄いと感嘆の声をあげ見とれている。


「そうだ! さっき会得した謝罪の技を今こそ披露するときだ。見ていてくれよ。いや、くださいよ。まだまだアイディアが沢山あるんだよ、です」

「言葉遣いだけではなく、傲岸無礼ごうがんぶれいでしたわよ。でも、その土下座で、もう全て許しますからこれ以上の謝罪は結構です。その猿ぐつわと手錠は外してください」

 ゴソゴソと謝罪の準備に勤しんでいるエウベルトの動きを何とか阻止しようとエリザは両手をブンブンと振った。


 謝罪準備の手を止め、エウベルトはキョトンとした表情をエリザに向けた。

「よく分からないのですが、俺って睾丸プレイをしてたんですか? 何なんですか、睾丸プレイって? 何かよく分かりませんが、睾丸プレイをしてたんだし、やっぱり手錠はした方が良くないですか?」

わたくしもそんなものが何かは知りませんが、傲岸無礼は、偉そうで無礼な態度をとることです。無礼な態度も先程の土下座で許しましたから、もう謝罪は止めて下さい」

 エリザは強い意志を持って、エウベルトの長々とした謝罪劇を断固阻止したいようだ。


「そうですか。では残念ですが、この謝罪はまたの機会にとっておきます」

 エウベルトは謝罪道具を甲冑の中に片付け終え、口惜しそうに目をつぶり、天を仰いだ。

 すると今度は、何か閃いたようで、突如目を見開いた。

「そうだ。外にいる連中にも、こちらにいるのは、アドゥリーア家の方だと伝えなくては」

 馬車の外に出ようとするエウベルトに、エリザが背後から声をかける。


「皆さん、知ってらっしゃると思いますわよ」

「いやいや、賢い俺でも知らなかったんだから、粗暴で野蛮な外の連中が知ってる訳ないですよ」

わたくしに対する、アルド隊長はじめ、護衛の皆さんの態度を思い出して下さい。皆さん、丁寧に礼儀正しく接してくださいましたわ。貴方くらいですわよ、わたくしに対して無礼な態度をとったのは」

「つまり、どういうことですか?」

 エリザの口調に、普段以上に熱がこもっているのを感じたが、内容を理解できなかったエウベルトは振り向きざまに真剣な顔で、問いただした。


「いいですか、貴方以外は賢くわたくしがアドゥリーア家の人だと知っているので、丁寧に接していただいているのですが、貴方だけは賢くなくわたくしのことを知らないし勘違いするしで、無礼な態度をとったと、そういうことですわ」

「つまり、俺だけが賢くなくて、勘違いをして無礼な態度をとっていたということですか?」

 相変わらず真剣な表情をし、エウベルトはただただ、エリザの言う事を繰り返すと、ハッと何か閃いたような表情をし、吐き捨てるように喋りだした。

「そうか、これがさっき言ってた、睾丸プレイですね。つまり、俺は睾丸プレイヤーって事か。なんてこった!」


「ですから、傲岸無礼です。覚えられないならこんな言葉は覚えなくて結構ですわ。とにかく、エウベルトさんが無礼の塊だと自覚して、それを直すように努力して下さい」

「あわわわわわ、俺は無礼のかたまりだったんですね、申し訳ございませんでした。これから新時代の謝罪をいたします」

「ですから、もう謝ってもらったので、新時代とやらの謝罪は不要です。手錠を外して猿ぐつわはお仕舞いください」

 身を屈め謝罪の準備をしているエウベルトの側に行き、エリザは道具を片付け始めた。

 謝罪道具を仕舞われるのを、口惜しそうにエウベルトは眺めている。


「それにしても、やっぱり俺って馬鹿なんですね。はぁー、これじゃあ異常に強いだけしか取り柄がないですよ。異常に強いだけの騎士なんて、何の意味があるんですかね?」

 道具を片付け終えエウベルトに渡したエリザは椅子に座り直し、椅子の横で直立しているエウベルトを見上げ、素頓狂な問いに答え始めた。

「騎士にとって、強さは一番大事な事ですわ。異常に強いだけの騎士で、大いに結構です。でも、そうですわね。ちょっと水筒を貸してください」

「いいですけど、飲んだ分は魔法で補充してくださいよ」


 飲みませんわと応え、水筒を受け取ったエリザは、自身の右肩付近に浮遊する青い光の方を向き、精霊と話し始めた。

「この水筒に入れた水が頭が良くなる能力ちからが付与された水に変化するようにすることってできますか?」

 エリザは首を振ると、

「いや、今入ってる水じゃなくて、水筒の方に中の水を変化させる魔法をかけて欲しいのです」

 そして、今度は頷きながら、

「そうです。効果は半永久的に持続するように、水筒に魔法をかけてください」

 引き続き頷きながらも、エリザは意を決した面持ちで、

「相当な力が必要になるんですね。分かっておりますわ。今までわたくしのために貯めていただいた力を使ってください」

 エリザのその言葉を受け、水筒が一瞬ボッと神々しいまでに美しく淡く光った。


 エリザはご満悦な表情でエウベルトに水筒を差し出したが、エウベルトは先程の神秘的な光も見えておらず、エリザと精霊との会話もあまり聞こえなかったので、何のために一度水筒を渡したんだろうと怪訝な顔をして、水筒を受け取った。

 そんなエウベルトに念を押すように、エリザは熱っぽく語り始めた。

「こちらの水筒に、かなりの魔力をこめて魔法をかけました。今後、この水筒に入った水を飲み続けていただけば、頭が良くなるはずです」

「えっ?! それじゃあ、まるで魔法ですね」

 魔法をかけてくれていたのかと、エウベルトの表情はパッと明るくなり、嬉しそうにしている。

「はー、そうですわ。何度も言っているでしょう。これは紛れもなく魔法なのですわ」

 エリザは何度も繰り返される今までと同じようなやり取りにうんざりしているようで、大きく溜め息をついた。


「こころなしか、美味しく感じます。おかわりを下さい」

 エウベルトは早速、一気に水筒の水を飲み干すと、エリザに水筒を押し付けるように渡した。

 エリザは苦笑いを浮かべながら、水筒を受け取り、「また、トイレに行きたくなってしまいませんか? 大丈夫ですか?」と、心配をしながらも、魔法で水筒に水を入れた。


「魔法の効果により、水筒の中に入れた水に頭が良くなる力が付与されるのは、10分程度はかかると思います。ですから水を入れてすぐに飲んでも、効果は出ないですわ」

 水筒を返してもらうなり、早速水を飲もうとしていたエウベルトも、エリザが話した内容を理解したようで、飲むのをやめた。

「分かりました。ちょっと、待ちます。それで、ガブガブ飲んで、大天才になります。大天才になったら、テストで百万点とりたいです」

「そうですわね。百万点とれるといいですわね。ただし、魔法も万能ではありません。アタマが良くなるや、攻撃力アップや、守備力アップ等のステータス値を上げるような魔法というのは、効果が一時的で長続きしないのです」

「えっ、ちょっとの期間だけしか、頭が良くならないんですか? それじゃあ十万点位しかとれないかも」

 百万点の意欲に燃えていたエウベルトの双眸の光がいっきに霧散した。


「それでは意味がないので、頭が良くなるように脳の成長を促す力をお水に与えているのですわ。この魔法は、成長をサポートする魔法なので、即効性が期待できないんです。ですが、一度成長したら、期限切れで能力が下がることはありません。ですので、長期間になりますが、その水筒でお水を飲み続けて下さい。始めての試みなので、上手くいくかは分かりませんが、きっと効果が出るかと思いますわ」

「説明は簡潔にしてください」

 エリザの長い説明の途中から、諦めモードに入っていたエウベルトは、当然の権利を主張するように訴える。


 エリザは、ウーンと考え込むと再び口を開いた。

「ポイントは2つです。先ずは、水筒にお水を入れたら、10分後以降に飲んでください。あと、直ぐに効果が出なくても、毎日、続けてください」

「なるほど。2つだけなら簡単ですね。何とか覚えられそうです」

 エウベルトは満足そうに小刻みに何度も頷いた。


「効果も一時的じゃないなら、百万点も取れそうですね。嬉しいなー。そうだ! 俺、この魔法のような水を、聖なる水で聖水って呼ぼうと思います。良いですか?」

 何のテストで百万点を取りたいのかよく分からないが、一度諦めかけた百万点が再度現実味を増してきたことに、エウベルト興奮気味だ。

「そうなさりたいのなら、どうぞご勝手に」

 心躍らせるエウベルトとは対照的に、エリザは心底興味なさそうに答える。


「よーし! エリサ様の聖水を飲んで、俺はパワーアップします! 飲むだけじゃ勿体ないから、全身で聖水を浴びます。俺はエリサ様の聖水の虜ですよ」

「聖水と呼ぶのは構いませんが、わたくしの名前をつけないで下さい!! 意味合いが変わってきますわ!!」

 無関心に受け答えをしていたエリザも、聖水に名前をつけられる事だけは、頑なに拒絶した。

「分かりました。なるべく気をつけます」

 エリザの気迫に気圧され、エウベルトはエリザの申し出を渋々承諾した。

 そして、目を瞑りながらなにかを考え始め、指で大きく開けた口を指すと、口を閉じゴクリと喉を鳴らし水の代わりに空気を飲み込み、水の通り道を意識するようにゆっくりと指で指す箇所を下ろしていき、股間を指したところで、口と目を同時にハッと開いた。

「そうか。せっかく聖水を体内に取り込んでるんだから、小便は極限まで我慢するべきですよね?」

「いや、それはもう、体内に不要な排泄物です。ですから、遠慮なく排泄していいんですよ」

「そうなんですね。俺の小便には聖水の能力は無いから、気にせずに放尿していいと、そういう事ですか?」

「そうですね。付け加えると、誰しもの排泄物も、聖水ではありませんわ。紛らわしいので聖水と呼ばないほうがいいかもしれないです」

 エリザは、聖水と呼びたいというエウベルトの申し出を軽い気持ちで受けてしまったことを、心から後悔しているようだ。


「分かりました。纏めると、先ずは水筒に水を入れて10分おくと聖水になるのと、次に継続して聖水を飲むのと、最後に俺の小便は聖水じゃないから捨てていい、の3つを実践すればいいんですね」

「余計なのが増えましたが、まぁそれで結構ですわ。こんな面倒は、もうかけられたくないので、是非とも頑張って下さい」

 ポイントが2つから3つに増えたことに、眉をひそめ不服そうな表情を浮かべるエリザだが、これで済むならとさっさと話を終わらせたようだ。


「1」

「2」

「3」

 文字通り魔法のような水筒を棚ぼたで入手したエウベルトは、嬉しそうに10分へのカウントアップを始めている。

 エウベルトがカウントアップに夢中になってくれたおかげで、ようやく馬車内に静寂が訪れた。

 自身が座っている椅子のすぐ横で、行儀よく直立しボソボソとカウントアップをしているエウベルトを見上げて、エリザはあくびを噛み殺した。


「昨夜は寝ておりませんので、用がないようでしたら、少し仮眠を取らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「はい。別にいいですが、この聖水を飲み終えたら、また入れて下さいよ」

 エウベルトのお願いに対し、エリザは渋い顔をした。

「申しわけないのですが、10分おきに起こされては堪りませんので、精霊に頼んでおきます。この馬車で帰る間は、自動で水を飲み終えたら補充されると思いますので、安心してください」

 そうエウベルトに言うやいなや、エリザは上半身を椅子の上に横たわらせた。


「自動で補充されるなんて、まるで魔法みたいですね」

 と、相変わらずのエウベルトの返しに対し、無視しているのか寝てしまったのか、エリザからの返事はなかった。


「1」

「2」

「3」


エウベルトがボソボソと、10分へのカウントアップを再開した。

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大魔法使い ピッピ ゴロ太 @gorotakun

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