3.受け入れ(2)

 ウーのその姿を見て孝太郎は困惑した。声は確かにあの時の女の声なのだが、まさか小学生の低学年にも見える幼い少女のものだったとは。加えて、魔王というその名乗りは彼女の今の服装にあまりにミスマッチであった。


「――魔王、のコスプレってことだよな。服だけ着替えて飾りを取り忘れたのか? なかなかおっちょこちょいな子じゃないか」

「おにいちゃんしっかりして。さっきも言ったけど、ここは異世界で、魔王のウーちゃんも女王のイングリットさんもホントにいるんだよ」

「そうか。……まってくれ。最後のは聞いてないぞ」


 孝太郎は頭を抱えた。そもそも目が覚めたら突然別世界にいたなどと、彼には俄かに信じきれることではなかった。ただ、ちよがそう言うなら、そうなのだろうと納得だけをしていた。全てを飲み込めたわけではないのだ。


「アハハッ! そういえば自己紹介すらできてませんね! イングリット・マルガリータと申します。この国、ルクスを治めております!」


 イングリットがそう言って、胸に手を置いて鼻を鳴らす。

 孝太郎はその誇らしげな様子を見て嘆息した。


「調子に乗った……いや、背伸びした少女にしか見えない」


 贔屓目に見てもお嬢様学校の女子高生まで。孝太郎はそう思った。そのくらいには品格のある所作ができている。……あの舌打ちや男勝りの口調はきっと聞き間違いだろう。


「アハハッ! いま何か言いかけました?」


 あの青い瞳が見える。


「いや気のせいだろう」

「そうですか。――まあ、ほんのひと月前の話ですから未熟に見えても仕方ありませんね。しかし、それでも私がこの国のトップなのですっ! アハハッ!」


 イングリットは快活に笑った。本当に愉しそうだ。


「……」

「おにいちゃん!」


 疑う孝太郎の顔をちよがぺちっと叩いた。その拍子に、ちよの人差し指が鼻に入って孝太郎は少し唸った。


「あっ、ごめんね」

「いや。わかったよ」

「くぁ……。なあイングリット、そろそろ風呂に行った方がいいんじゃねーか」


 あくびを噛み殺しながらウーがイングリットを見る。イングリットは「そうでした」と手を叩いてちよを誘った。


「さ、ちよちゃん行きましょう。もう夜が来るんですよ」

「えぇぇ、おにいちゃんやっと起きたんだよ? 話したいことがいっぱいあるの。もうちょっと待って」

「お風呂に入ってスッキリしてからにしましょう。孝太郎さんもそれでいいですよね?」


 イングリットは孝太郎を見て頷いた。

 孝太郎はウーを見る。ウーは頷きで返した。


「……ちよ。今日やることを全部終わらせて、それでゆっくり二人で話そう」

「えぇー、ヤダ。1日くらいお風呂サボってもいいよね?」

「それはダメ。ほら、女王様が手を伸ばして待ってるぞ」


 イングリットはベッドを回り込んでちよの傍まで来ていた。孝太郎はちよの腕をとりイングリットに向けた。


「はい、キャッチ。取っちゃいました~」

「もぅー。おにいちゃんはたまに強引なんだから」


 イングリットに連れられてちよが部屋を出ていく。


「ドアですよー。左側近いですよー。気を付けてください」

「はーい」


 そして、孝太郎とウーの二人きりになる。


 二つの足音が完全に消えて、一瞬の静寂が場に流れた。夜が深まり、月と星の明かりが窓から射し込むも、薄暗がりにお互いの顔が見えるほどではない。しかし――。

 孝太郎は息をのんだ。そこに立つ少女の赤の瞳が夜の帳に輝きを増したのが見えたからだ。それは蛇のような、獲物を見る捕食者の眼だ。

 彼は背中に這うように広がった悪寒に耐えきれず、ベッドサイドのランタンを付けようとして、それが電灯でないと気づいた。


「そんなビビんなって。取って食ったりしねーから」


 そう言いつつ、ウーは孝太郎の足元、事務机の前まで歩く。彼女がそこに立つまでに、事務机の上のランタンが独りでに灯った。


「いま……どうやった?」

「ほらそっちも」


 ウーの声に、ベッドサイドのランタンが火を灯す。

 そして二つの光源が、二つの頬を暗がりに照らしだした。

 孝太郎が足を引き、枕の近くで胡座をかいた。ウーの近くに体を置くのを恐れている。この少女から溢れでる得体の知れない雰囲気に呑まれている。


「……リモコン、でも隠し持ってるのか?」

「へっ、疑り深いやつだな。もう気づいてんだろうに」


 呆れた様子でウーが続ける。


「これが魔法って奴だ。あんたを救った力の一つさ。――ちよが言ってたろ? ここはあんたらのいた世界とは違う世界っつーこと。いい加減認めちまいなよ」


 孝太郎は痛そうに頭を抑えた。――もうほとんど認めている。ただ一つ、納得できないことがある。


「……なら、あんたらなんでこっちの世界の言葉を喋ってるんだ。だからコスプレ感が拭えないんだ」

「へへ。なかなか賢いじゃねーか」


 ウーはニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべた。


「あんたはラ・クレラバリトゥーラを通ったんだ。これはの言葉で、星の道だな。こっちじゃ星は神様でな、つまり星の道は神の道、あんたの世界とこちらの世界を繋ぐ異空間。んで、そこを通ると神様からのギフトが得られる。――いろいろすっ飛ばして言うと、あんたは神様の自動翻訳を通してうちらの言葉を聞いてるってこと」

「……」

 

 孝太郎は胸の前に腕を組んだ。そうして黙っている。


「うちらが実際に何て言ってるか知りたいなら、目を閉じて声に集中するといい。気ぃ利かせて聞かせてくれるぜ。やってみるか?」

「いやいい」

 

 首を振る孝太郎にやれやれといった感じでウーが首を傾げた。そうして何か思いついたのか、彼女は事務机から紙とペンを取り出すと、何がしか文字のようなものを書いて孝太郎に見せつけた。


「へへ。これはルクスの文字で、意味は赤色だ」

「読めない」

「だよな。この通り、翻訳されるのは声だけだ」


 ウーは文字の上に『』とふりがなを書いた。


「文字は自分で習得し……」

「――いやまて、まてまて。流石におかしいぞ」


 孝太郎はウーを手のひらで制止させた。


「その字。いやそれ以前に星の道、ラ・クレラバリトゥーラだったな、なぜそれを訳することができる? 言い換えではなく訳するとあんたは言ったな。そんなこと、日本語を話せなければ無理だろう」



 あなたは「太陽」という言葉を英語に訳せるだろうか。もちろん、誰でもできると信じて聞いている。答えはSUN、「サン」である。

 ではドイツ語に訳せるだろうか。答えはSONNE、「ゾネ」である。

 ではスワヒリ語ではどうだろうか。答えは……。

 ここまでやればもうお分かりだろう。

 そう、固有名詞を他所の国の言葉に訳す、なんてことはその言語を理解していなければできっこないのだ。

 神の自動翻訳とやらがそこまで気を利かせているのなら話は別だが。


 はたして、ウーは嬉しそうに破顔した。


「えへっ。実はずっと日本語で話してたんだ。あんたらの世界の言葉なら、うちとイングリットならほとんど使えるよ。勉強したんだ」

「……それに意味があるとは思えないが」

「興味本位ってやつ。まぁとにかく、あんたがこの世界で言葉に困ることはないってことはわかったろ。――はい、アイスブレイク終わり」


 ウーはその見た目相応の子供らしい笑みを潜めて、少し気だるげに言う。


「おー……約束、覚えてるよな。人を殺してほしいんだ」

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