2.受け入れ(1)

 陽の光が窓から射し込んでいる。孝太郎は目覚めた。


「朝焼け……ちよは!?」


 ちよはすぐ隣にいた。彼女は孝太郎のいるベッドの横に椅子に座って、顔だけをその枕の端にうずめている。


「くぅ……くぅ……」


 ちよはいつもの通り、穏やかに寝息を立てていた。孝太郎はちよの髪を撫でてホッと胸をなでおろす。


「よかった。――しかし、病院にしては変なところだな」


 彼は周りを見渡した。この部屋にベッドは一つだけ。背後には壁、正面の窓の前にはイスと机が置かれている。机の上には古風なランタンが見え、引き出しが多いのもあって恐らく事務机だろう。少なくとも病院食を摂るための物には見えない。

 孝太郎から見て右、ちよの寝ている側にも窓がある。ベッドサイドに置かれた台の上にもランタン、加えて水の入ったコップとお皿の上にはかじりかけのパン。

 左にはクローゼットと、そしてドアがあった。

 部屋の配置からしてまるでホテルの一室のようである。加えて在る物一つ一つが華美に過ぎた。壁紙、そして床のカーペットの基調が赤であるし、机やランタンまでこだわりのありそうな装飾がなされて、光沢につやがある。

 しかしあんな大事故の後なのだから、当然病院に担ぎこまれているはずだ。


「ハデだな、いくらだこの個室」


 つまらない贅沢ができるほど金はない。周りに誰がいようと気にしないから、大部屋でいいのだが。孝太郎は嘆息して天井を仰いだ。――おかしい。


「照明がない……。そうだ、そういえば」


 孝太郎は初めて自分の体に意識を向けた。なんと、何も着ていない。裸をブランケット一枚で覆われている。そして起き上がった時にズレたのだろう、上半身が剥き出しになっていた。


「ない」


 そこには傷一つない素肌があった。


「有り得ない。夢、でも見てたのか、俺は」


 フロントガラスを粉に変え肺を刈り取った鉄パイプの感触が胸の奥から疼いているのに。そのあまりにキレイな傷の後は、足りない部分に塗り重ねられた粘土細工のようで、孝太郎はただその不気味さに頭を抱えてうずくまった。

 その時、無遠慮にドアが開け放たれた。


「ちよちゃーん、そろそろお風呂……」


 入ってきた少女は孝太郎を見て少し固まったが、すぐに笑顔を作った。


「アハハッ! おはようございますっ! ――ヘラ、すぐに起こしてきて」

「はっ」


 少女の背後に誰かいたらしい。ハキハキとした女の声がして、すぐに立ち去る音が聞こえた。

 孝太郎は少女の姿をまじまじと見つめ、右手の指を唇に添えて考えはじめる。


「……最近の病院にはコスプレデーでもあるのか? まるで風俗だな」

「はい?」


 少女は笑顔のまま首をかしげた。彼女は白いドレスに上品なヒールを履いて、重く艶のある金髪には銀のティアラを付けている。瞳は海色に透き通って、。その美しい相貌も人の良さそうな表情と相まってますます、浮世離れしている。

 つまり、彼は混乱している。


「西洋のお姫さまか。最近はカラコンとかでうまくやれるもんだな」

「カラコンって何ですか?」

「……そこまで役に入り込むことないだろ。――いきなりだが病室を替えてくれないか。こんないい部屋を使えるほど金がない。安い部屋でいい」

「ええっと、ですね」


 少女が口を挟もうとするが、孝太郎が止まる気配はない。


「あぁ、あんたに言っても仕方ないかな。先生に直接言うよ、悪かった。そういやここは何て病院なんだ? あんな大ケガを綺麗に治せるなんて有名な所だろう。――そうだ、とりあえずパンツを持ってきてくれないか? なぜか服を着ていない」


 少女の眉根にしわが入る。


「あのー私」

「――いや待てよ、やっぱりあんな傷が全然残らないなんておかしいよな。なぁ、もしかしてここは精神病院とかか? 俺は強く頭でも打ったのか看護婦さん」

「ちょーっと話を聞いて……!」


 少女は声を張り上げた。が、


「そうだ、あの人はどこにいるんだ? なぁ看護婦さん、俺を助けてくれた人がいるはずだ。お礼をしないと――いや、そもそもあれは俺の夢? するとやっぱりここはホテルで、君は俺が呼んだデリヘル嬢?」

「は?」


 少女の笑顔が崩れた。今の彼女はキレている。しかし孝太郎は俯いている、気づいていない。


「ヤバイな、こんな良いホテル取った記憶ないんだが。デリヘルなんてもっとないぞ。俺は確かに事故ったよな。……なにがどうなってんだ? 目が覚めたら豪華な部屋とコスプレイヤーに歓迎されるなんてことあるか? 頭がおかしくなりそうだ――あっ君、デリヘルならもう帰っていいよ。ご苦労さん。……あー、っと、キャンセル料とかいるのかな?」

「……」


 少女はそっと目を閉じ、小さく首を横に振った。そして笑顔を作る。


「ちっ、めんどくせ」

「え? いまなんて……」

「ちよちゃーん! 起きてくださーい!」


 怪訝な顔をした孝太郎を無視して少女が叫んだ。ちよが「うー」と唸りながら身を起こす。


「んあ、イングリットさんおはよ」

「ちよ、よだれ」


 孝太郎がちよの口元をベッドシーツで拭き始めた。


「あーありがとおにいちゃん。……えっ!? お、おにいちゃーん! やっと起きたー!」

「おはよう、ちよ。それはこっちのセリフだぞ」


 ちよは孝太郎が起きたと知ると強く抱き着いて離れそうにない。孝太郎はそんな妹を優しく抱き返した。感動のご対面である。

 だがイングリットと呼ばれた少女が水を差す。


「ちよちゃん、ごめんなさい。申し訳ないですけど、この聴覚壊死脳チン野郎にお話をお願いします」

「む?」

「あー……」


 ちよは孝太郎の脇から頭だけ這い出した。


「ねー、どこまで話せたの?」

「アハハッ! なんにも話してません! だってこの人、人の話が聞けないですもんね耳が死んでるから!」

「失礼だな。ちゃんと聞こえてるよ」

「あら? 鼓膜は生きてたんですね! ――じゃあ死んでんのは脳神経かな!?」


 イングリットはその血管の浮き出たこめかみに指を差して言う。しかしあくまで笑顔である。

 ちよは一際ギュッと強く孝太郎を抱きしめた。


「殴らないでね?」

「人前ではしませんよ」

「それじゃだめ」

「アハハッ! 私の堪忍袋は高級ステーキのように切れやすいんですっ! 肉汁は染み出したら止まりません! 食べ切るまで!」


 イングリットは明朗快活な少女のように笑っている。が、目の奥が怖い。その青い瞳孔はいまにも噛み付きそうな憤怒の色に燃えている。


「肉シミね。なかなか変わった看護婦さんだ、なぁちよ」

「おにいちゃん黙って」


 ちよが嘆息した。


「イングリットさん。おにいちゃんがまたやったら、私がまたマッサージしてあげるからそれで……」

「ならいいでしょう!」


 イングリットはニコニコと歯を見せて柏手を打った。愛想笑いでないホントの笑顔のようだ。

 その音にちよが頷いて、孝太郎に顔を向ける。


「おにいちゃん、よく聞いて。私たちね、違う世界に連れてこられたの」

「ちよ、どうしたんだ。そんなふざけた話をマジメな声で……」

「――ふざけてないホントの話! おにいちゃんに話しかけた子がいたでしょ? その子がおにいちゃんの大けがを魔法で治してくれたんだ。でもダメージが残ってるからって、だからおにいちゃんいままでずっと寝てたんだよ?」

「……魔法」


 孝太郎はしばし考え込み、「そうか」と言って続ける。


「うん。ちよがそこまで言うなら、そうなんだろうな」

「えっ、それでいいんですか? あなたちゃんと考えました?」


 イングリットは不安そうに眉を寄せた。煽ったわけではなさそうだ。

 ちよが弁解する。


「イングリットさん、おにいちゃんは独り言多いし、コミュ障――えっと、人との会話が不器用というか苦手だしそもそも聞かないことあるけど、仲が良い人の話ならまずは信じてくれるんだよ。だから大丈夫」

「コミュ……ちよ、お兄ちゃんをそんな風に思ってたのか――ん?」


 孝太郎はちよの髪を見て、日の光が赤から紫へと徐々に変化していたのに気づいた。部屋も薄暗い、そろそろ明かりを灯す頃合いだろう。


「なんだ、夕焼けだったのか」

「おー、その通り。こちらの太陽――ジンに代わって、これから星々が大地を照らし始める」


 その気だるげな声とともに、ドアの向こうから小さな女の子が姿を見せた。13歳のちよよりも背が低く、幼い。

 黒くて、しかし綿菓子のようなふわふわの髪、あどけなくも整った顔。服装はスリッパとパジャマ、どちらも白地に小さな羊の絵がたくさん。腰のあたりからは細長く黒い尻尾をゆらしている。片手で深いクマの入った両目をこすり、あくびをして彼女は言う。


「くぁぁ……やっと起きたな。うちはウー、この世界で魔王をやっているものだ」


 赤い瞳が涙を残してニヤリと笑った。ウーと名乗った女の子はまた目をこすり、その耳の上に左右に付いた巻き角を気つけとばかりにポンッと叩いた。

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