第三章

第三章 広がりゆく、呪いの負債その一

 湘南高校で起きた生徒達の暴動事件から、一夜が明けた。暴徒化していた生徒達は、校内で散々暴れ回った後、やがて失神したように倒れ、事態は収束。

 その後、巻き込まれて命を落とした犠牲者と共に、全員が病院に搬送された。

 歴史ある名門私立高校の評判を、地に落とす程の大事件だ。以前の麻薬の売買などとは比べ物にならない程の。マスコミが騒がないはずはなく、こぞって前代未聞の事件として大きく扱われることになった。

 その事件のことを報道している朝のニュースを私は今、鷹羽探偵事務所の所長室に置いてあるテレビで、響子と一緒に見ている。

 壁一面の窓から太陽の光が差し込んできている、二人で使うには広めの所長室。

 私達は楽な姿勢でソファーに二人並んで座り、あわよくば新しい情報が出てこないかを期待していた。しかし、その報道内容は見当違いそのものだった。


「駄目だ。何も分かっちゃいない、こいつ。的外れもいい所だな」


 番組に呼ばれたコメンテーターは、目覚めた生徒達が何も覚えていないことから、集団ヒステリーではないかと饒舌な喋りで持論を展開している。

 だが、現場を見てきた者として、それは断じてあり得ない。とはいえ、世間に伝える内容としては無難な解釈と考えて間違いないのだろう。

 失望した顔をしながら、隣にいる響子はリモコンでテレビの電源を切った。


「湘南高校は今後、厳しい舵取りを迫られるでしょうね。この事件の影響は、来年以降の受験者数という形で表れてくるはずよ。けれど、それでも貴方は頑張ったわ、恵ちゃん。あの状況から生還するなんて、やっぱり貴方の悪運の強さは本物ね」


「慰めはよしてくれないか、響子。私は依頼人を守り切れずに失敗したんだ。結果的にただ働きになってしまったことは、別にいい。けど、由奈ちゃん達を死なせてしまったのは、私の不甲斐なさが原因なんだからね」


 今の私の気分は、最悪。当分は朝の寝覚めが悪くなりそうだった。今、思い返してみても、あの時の無力感がありありと蘇る。

 腕っぷしには自信があると思っていたが、やはり私はまだ半人前。父親から逃げるように自宅を飛び出してきた、ただの家出少女に過ぎないのだ。

 そういえば、父はどうしているのだろう。ふと父のことが頭を過ぎった。警察署長として、管轄内のこの事件の捜査にも関わっているのだろうか。

 それに……ここ最近、毎日のように父の鳳来丈一が夢に出てくる気がする。

 今朝見た夢も、父がどこかの部屋で儀式を行っており、それを殴られていた自分が見ているという内容だったはずだ。

 そしてそんな悪夢に飛び起きると、うちの事務所で飼い始めたあの黒猫が、私の身体の上に乗っかって甘える仕草を取っていたんだっけ。

 黒猫と言えば、いつも漆黒の悪意と共にセットで現れる、あの黒猫。

 私に懐いてくるあの子が、あんなのと関わりがあるとは思えないが、事件に関わり始めてから、黒猫には妙に縁がある。ただの偶然で片付けていいのだろうか。


「響子、そちらの捜査の進展が知りたい。聞かせてくれないか?」


「いいわよ、裏が取れていることの範囲内でならね。確認できただけでも、あのチェーンメールを受信したことがある人数は、百人を超えるわ。そして全員が何かしらの被害を受けている。予告された文面通りにね」


「少なく見積もっても、百人か。多いな」


 ただし、と言って響子はこれが前置きだと説明する。それらの被害の中で事件として扱われているものは、ごく一部だと響子は続けて話してくれた。

 やはり科学的な見地から捜査をする警察では、この怪異事件は手に余るのだ。私にしても、これまではオカルトを遊びの範疇で楽しんでいただけだった。それが今ではもうすっかり考えを改めている。

 過去に類のない、こんな怪奇現象を伴った事件を目の当たりにしたならば当然だ。

 しかし、このフットワークの軽さこそ、公僕にはない私立探偵の強みであると、再認識もしていた。民間の一探偵だからこそ追える、私達向きの事件なのだ、と。


「そもそもの、発端。最初にチェーンメールが送られてくるようになった、切っ掛けがきっとあるはずだ。せめて、それさえ掴めたならな。……いや、待てよ。そういえば、由奈ちゃんは県立図書館で見つけた古本の図案を参考にして、普通とは違ったコックリさんをしたって言ってたはずだな」


「貴方も気付いたのね、恵ちゃん。実は私達は今、所員を割いて、その古本を捜している所なの。もし良かったら、貴方も手伝ってくれないかしら」


「もうそこまで掴んで、調査を始めていたのか。だが、由奈ちゃんが図書館で借りたというなら、貸出履歴に残ってるんじゃないのか?」


 つい口走ってしまったが、響子がそんな基本調査を怠る訳がない。恐らくだが、その古本。まだ図書館には返却されていないのだ。

 では、由奈ちゃんの自宅にあるのだろうか? そこにもないとしたら、どこかに紛失した可能性もある。ともかく手掛かりが少しでもあるなら、たとえ無駄足になったとしても、虱潰しに捜して回らないといけない。

 由奈ちゃん達を救えなかった、負い目。そのことでいつまでも落ち込んでいる場合じゃないと自分に言い聞かせて、私はソファーから立ち上がった。


「ありがとう、響子。お陰でやるべきことが見つかったらしい。現在までの調査書を見せてくれ。手分けして、その古本の在り処を見つけ出そう」


「元気が戻ってくれて嬉しいわ、恵ちゃん。やっぱり貴方は、くよくよしてる姿なんて似合わないもの。調査書なら、ちょっと待ってて頂戴。すぐに持ってくるわ」


 響子はソファーから立ち上がると、所長室から退室していく。調査書類は探偵にとって、お金に変えられない重要な企業秘密だ。

 確か事務室の金庫に保管していると、前に響子が話してくれたのを思い出す。しばらくしてから、所長室に彼女は戻ってきた。その両手に、書類の束を握り締めて。

 かなり嵩張っているようだが、まずはあれに目を通してからでないと、仕事が二度手間になりかねない。

 ソファーに腰かけ直すと、手渡された書類の山を、私は一番上から順番に概要だけざっと確認していく。


「なるほどね。さすが仕事が早いな、響子。由奈ちゃんの自宅だけじゃなく、交友関係も洗い出し、すでに調べ終わってるってことか。だとしたら、それでも見つからない可能性……焼却でもして処分したか、あるいは……」


 まだ他にあり得そうな話があるとすれば、窃盗だ。もし盗まれたのなら、彼女や友人が持ってなかったとしても、何もおかしいことじゃない。

 ただその場合の問題点は、なぜそんな古本を盗む必要があったか、だが。しかし、あらゆる可能性を一つ一つ潰していくのが、探偵である私達の仕事だ。

 古本に関する記述がある書類を複数枚スマートフォンで撮ると、書類の束を響子に返して、立ち上がる。やるべきことが出来た。

 きっと由奈ちゃん達の無念を晴らす取っ掛かりを見つけてみせる。体力勝負の私にとって、行動することが、一番の問題解決方法なのだから。


「恵ちゃん、忘れてるわよ。出掛ける前にする、いつもの」


「ああ、そうだったね、響子」


 私はいつも通り魅惑的な肉体をしている響子と、ソファーの上で自身の身体を重ね合わせる。両腕を腰に手を回して、熱い口づけを交わす。

 やはり豊満な響子の乳房が、一際目を引く。彼女の今日のファッションである、ネイビーのスカートスーツに白ハイネックシャツが、それをより引き立てている。

 シャツの上から私は乳房を愛撫し、彼女もまた私が着ているレザーワンピースの隙間に指先を伸ばす。互いが互いを求め、すぐに私達の身体は火照り始めた。

 朝っぱらからだが、この情事は気付けの意味もある。昨日からついさっきまで落ち込んでいた、淀んだ気持ちのスイッチを切り替えるため。

 所長室から一歩出れば、鷹羽探偵事務所の所員達が各々の仕事を始めている。声を抑えることもしていないから、彼らにも私達の喘ぐ声が聞こえているはずだ。


「今日も情熱的ね、恵ちゃん」


「ああ、君こそね。お陰で元気が出た」


 私は響子から離れると、私達は揃って所長室を出た。やはりと言うか、所員達は気を遣ってくれて私達を見ようとしていない。

 そんな黙々と机に向かって仕事に取り込む真面目な所員達を尻目に、私は事務所を出た。鷹羽探偵事務所は、五階建てビルの三階を使用している。

 オフィス街の一角に立つこの小奇麗なビル前の道を、絶えず人が行き交っているのを見て思う。辺鄙な倉庫街に汚い事務所を構えているうちとは大違いだ、と。

 勿論、響子が探偵として一流であることの賜物でもある訳だが、これでは繁盛する訳だと私は諦めの溜息を漏らす。対抗心を燃やすだけ、空しいだけかもしれない。

 ビルの出入り口で響子に見送られながら、私はすぐ隣にある駐車場のアクアに乗り込んだ。

 そして愛車のエンジンをかけ、走り出させる。その後もカーブを切るまでバックミラーでずっと彼女の姿を眺めていた。

 凛とした態度、背筋を伸ばして向こうも真っ直ぐにこちらを見ている。しかし、そんな彼女の気丈な姿を見ていると、どうしても思い出してしまう。

 彼女の父親が辿った末路を。あいつだって、苦労していないはずがないのだ。


「大手探偵事務所の所長として人前で弱さを見せられないんだとしても、せめて私の前では素を晒して欲しいな。恋人だろう、私達は……」


 私は一抹の寂しさを覚える。響子の父親、鷹羽真彦の話を彼女の前で出すのはタブーだ。私だけでなく、あそこの所員達だって誰も触れようとする者はいない。

 二人の親子仲は良好だったと聞いている。しかし、鷹羽真彦は娘も知らない犯罪者としての、裏の顔を持っていた。

 探偵業を隠れ蓑にして、某国政府の諜報員として暗躍していたのだ。日本国内の大企業数社の機密情報を某国に売り渡し、それを警察に告発され、指名手配された。

 しかも、現在も逃亡中で行方は掴めていない。すでに海外に高飛びしたと噂も流れているが、真相は分からないまま月日が流れている。


「やれやれ、駄目だな。こんな沈んだ気分じゃ。これから仕事だっていうのに」


 そこまで考えてから、私は努めて思考を中断した。今は古本捜索の最中なのだと自分自身に言い聞かせ、大きく深呼吸する。

 やはり真っ先に調べる場所は、由奈ちゃんの周辺だ。交友関係を洗ったと言っても、古本が盗まれたと仮定するなら、関係が深くない人物にも疑いがかかる。

 しかし、湘南高校は今日、休校だと聞く。事件が深刻だっただけに、もしかしたらもうしばらくそれが長引くかもしれない。

 だから、私はまずあそこの生徒に直接、接触することから始めようと決めた。

 由奈ちゃんと亜希ちゃんが亡くなった今、あの二人以外に面識がある、湘南高校の生徒と言えば……。そう、秋山真奈美ちゃんしかいない。

 呪いを恐れもしない彼女。チェーンメール事件の真相究明に興味を示していた彼女なら協力してくれるかもしれない。


「力を貸してくれ。今、頼みの綱なのは君だけなんだよ、真奈美ちゃん」


 私は縋るように、そう呟く。そして昨日のうちに予め調べておいた彼女の自宅へと、車を飛ばした。

 その途中、またも鳴り響くスマートフォンの着信音。私は耳障りなそれに苛立ちを隠すこともなく、軽く舌打ちした。

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