第二章 壊れていく日常、連鎖する悪意その三

 管理棟に引き返すべく走っていた時、ふいに雨粒が私の頬を叩く。降り止む気配はなく、このまま強まりそうだった。

 私と真奈美ちゃんは降り出した雨から逃げるように、管理棟の玄関に駆け込む。

 しかし、玄関入り口付近は、無数の机が積まれて通り道が塞がれていた。バリケードのつもりだろう。私達はその机の山をよじ登ると、向こう側に飛び降りる。


「よいしょっ、と!」


 だが、そんな私達を見つけるなり、管理棟廊下で顔を合わせた教師達が目に見えて慌てふためき出した。もしかしたら、私達を暴徒と勘違いしたのかもしれない。

 何しろ、こんな平和な日本での生徒達の暴動だ。想定外のこと過ぎてマニュアルもなく、対応しきれていないのだろう。

 事実、事務室や職員室では、教師達が事態を収拾できずに混乱している様子がここからでも窺える。

 一応、玄関にあんな感じで机を積み上げ、窓ガラスにはベニヤ板にドリルねじを打ち込み塞ぐことで、応急対策に奔走しているようだが、焼け石に水だ。

 こんな程度のバリケードは、いつ破られてもおかしくはない。


「ええと、誤解ですよ、先生。私達は暴徒ではないんです。ですから、保健室まで行かせてくれませんか? そこに友人を二人待たせているんです」


 私達を訝しむように見ている、数人の教師達。彼らに、自身の身の潔白を訴える。

 しばしの間、彼らは相談していたようだったが、やがてこちらに害意はないと判断してくれたのか道を開けてくれた。

 頭を下げ、お礼を言ってから私達は保健室に向かって廊下を走った。この様子では、幸い管理棟に暴徒が侵入された形跡はまだない。一先ずは、安心した。

 しかし、それでも二人の姿を確認するまで心配なのは、変わらない。私は保健室の扉を何度も強くノックをし、由奈ちゃんと亜希ちゃんの姿を求めて、名を叫んだ。


「無事だったかい。由奈ちゃん、亜希ちゃんっ!」


 私が二人の名を大声で呼ぶと、ややあって保健室の扉の鍵が中から外れた。すぐさま扉を開け放って、私達は中に駆け込む。


「め、恵さんっ。そ、それに……秋山、真奈美っ!」


 保健室内では、ベッドの上で上半身だけを起こしている、亜希ちゃん。そしてたった今、扉の鍵を開けてくれた由奈ちゃんが、すぐ目の前にいた。

 しかし、由奈ちゃんの真奈美ちゃんを見る目が、険しい。初めて会った時と同様、鬼女のような形相で睨み付けている。いや、彼女だけじゃない。亜希ちゃんも怒りのためか、目を憎しみで滾らせ、身体を小刻みに震わせている。

 そんな彼女達の憎悪の視線を、真奈美ちゃんは笑って軽く受け流した。


「あんた達さぁ、私に何か恨みでもある訳? 私達、話したこともほとんどなかったと思うんだけど」


「亜希の彼氏を、退学に追い込んだのはあんたでしょっ? ……本当は私だって分かってるわよ、非がこちらにあるってことは。でも、亜希がそのことでどんなに苦しんだか……っ」


「ああ、あいつらの誰かが彼氏だったってこと? けど、知ってるでしょ。あの連中は夜の学校で麻薬の売買をしてたんだよ。逮捕されて当然のことをさぁ」


 湘南高校の校舎内で、生徒達が麻薬の売買をしていた。念のため、頭の片隅に入れておいたあの事件が、ここにきて繋がりを持ち始めたということらしい。

 歴史ある進学校の生徒。それも十数人が犯した犯罪ということもあり、地元では多少の話題にはなっていた。が、全国ニュースでは一回扱われただけ。ここ地元でも日々の新しいニュースの影に埋もれて、やがて忘れられていった事件だ。

 どういう経緯か知らないが、あの事件を暴いて犯人達を警察に突き出したのは、真奈美ちゃんだったということなのだろうか。

 それを根に持ち、由奈ちゃんは呪いの儀式を。いや、違うな。あの様子を見れば主導してコックリさんを行ったのは、亜希ちゃんの方かもしれない。


「真奈美、真奈美っ……殺して、やる」


 事実、亜希ちゃんは呪詛のように、真奈美ちゃんの名前を呟いている。間違いない。親友思いの由奈ちゃんは、彼女の溜飲を下げる儀式に付き合ってあげたのだ。

 亜希ちゃんの目は憎悪で濁り、由奈ちゃんのそれとは比べ物にならない。今にも真奈美ちゃんに襲い掛かりかねない剣幕だ。

 ただし、真奈美ちゃんの強さを私は身を以って知っている。逆に返り討ちにされるのは、亜希ちゃんの方だろうが。


「ともかく、だ。無事で何よりだよ、二人共。双方、拳を下ろしなよ。今はここから一緒に逃げのびることを最優先に考えようじゃないか」


「無理ですっ、恵さん! 亜希を苦しめたこんな凶暴女とは一秒でも一緒にはいられません! 私達、今日はこれで失礼させて頂きますっ! さ、亜希。家に帰るよっ」


 由奈ちゃんは亜希ちゃんの方に駆け寄り、その手を取った。


「……けど、由奈! あの女が目の前にいるのに……っ。殺せる距離にいるのに」


「駄目っ! あんな女のために、亜希が殺人犯になることなんてない!」


 由奈ちゃんは、亜希ちゃんの懇願を聞かなかった。亜希ちゃんも憎しみで錯乱しているが、由奈ちゃんも冷静ではないのは明らかな様子だ。

 怯えよりも、怒りの方が優って、正常な思考が出来ていない。半ば強引に亜希ちゃんをベッドから降りさせると、彼女の学生カバンを手に取った。


「待て、由奈ちゃん。分かってるのかい! 外は今、暴徒達が暴れているんだぞ!」


「そんなの……学校の敷地を出れば、予告から逃げられるじゃないですか! 後は私達だけで出来ますから!」


 そう叫ぶと、由奈ちゃんは亜希ちゃんの手を引っ張り、私からの忠告を無視して、保健室から飛び出していった。

 木製の扉が、がしゃんと激しく閉じられた音が室内に響き渡る。有無を言わせない、あっという間の出来事だった。

 やはりこうなったかと、私は頭を抱えたい思いに襲われる。しかし、反省するのは後回しだ。私もすぐに彼女達の後を追わなくてはならない。

 今の湘南高校で独断行動し、暴徒達に囲まれれば命に関わる。しかも、あの二人は今朝のチェーンメールで死を予告されている身なのだ。見殺しにはできない。


「ったく、私の指示には従ってくれと言っておいたんだけどなっ」


 私が廊下に出ると、二人の後ろ姿はすでに遠ざかっていた。意外と脚力があるようだが、私が本気を出せばすぐに追いつける距離だ。

 しかし、そんな時……最悪のタイミングで恐れていた事態が起きてしまう。窓ガラスに張られたベニヤ板のバリケードを破って、管理棟に暴徒達が侵入してきたのだ。

 ダムが決壊したかのように、窓という窓から次々と姿を現す。廊下では教師達が大声で叫んでいる、狼狽えて逃げまどっている。もはや、パニック状態だ。

 そして奴らは私と由奈ちゃん達の間に割り込み、物量の壁で行く手を遮った。


「今はお前らを相手にしてる暇はなくてね! 邪魔するなら容赦はしないっ!!」


 奴らの肉壁に飛び込み、私は力ずくで突っ切ろうと試みる。しかし、暴徒達の身体の隙間から見える向こうの光景が、私の背筋を凍りつかせた。

 由奈ちゃんと亜希ちゃんが仰向けに押し倒され、服を脱がされているのだ。二人は手足をばたつかせて抵抗しながら、あらん限りの悲鳴を上げている。

 だが、数が数だけにその抵抗は、ほとんど意味をなしていない。私は希望に縋って彼女達に向かって手を伸ばすが、届くことはなく。

 視線の先で彼女達が女子制服や下着を引き裂かれ、美しい長髪を、張りのある肌を、肉を、力任せにむしり取られていく、その惨劇を――。

 私は唇を噛み締めながら、悔しい思いでただ見ているしかできなかった。

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