第19話.目覚め

「──っ」


 ──目を覚ます。

 バクバクと音が聞こえる程早く鼓動する心臓に安心感を覚えると、俺はベッドから起き上がった。

 汗が頬を伝い純白のシーツに垂れる。俺はそれを雑に服の裾で拭うと、荒れる呼吸を落ち着かせる為に深呼吸を何度か繰り返す。


 長すぎる夢を見た感覚に陥っていた。体が妙にだるくて、頭もあまり働かない。何処までが夢で、何処までが現実かも分からないでいた。

 恐る恐る顔を下げ、自身の身体に目を向けた。

 いつもの服ではなく、半袖の白色無地のシャツを着せられていた。ズボンも白一色の長ズボンである。これは腰部分にゴムが入っているのか動かしても特に苦しい印象は感じなかった。

 もう分かり切っていたことだが、一応右腕があることを確認し、お腹はももちろん、擦り傷すらも見当たらないことも確認する。 


 ならば夢なのか? そう思ったが、あの化物の姿、鮮明すぎる記憶に加え、徐々に鮮明となってくる右半身の違和感からそうでないと分からせてくる。


 誰かが助けに来てくれたのだろうか。それともまた俺は死んだか──そんな事を考えながら、俺は状況を把握する為に辺りを見渡した。

 ……が、残念ながら周りは白のカーテンで囲まれていて確認出来なかった。代わりに光に照らされた事による影がカーテンに浮かび上がっており、俺以外の誰かが隣にいる事を察知する事が出来る。


 話し掛けるか無視するか。その2択で迷っていると、向こうから声が掛かってきた。


「……クロマさんかい?」


 それは紛れも無くアーサーさんの声だった。何処か懐かしい気分になりながらも、その声色はアーサーさんのイメージに似合わず暗く重い事に気が付く。

 だがそれよりも、何故アーサーさんが生きているのか、、、、、、、、、、、、、、、、という疑問が真っ先に思い浮かんだ自分に驚きを隠せなかった。今もこうして生きている。なのになんでこんな感情を抱いてしまうのか純粋な疑問であった。

 死んだ筈だとなぜか決めつけていた自分に嫌悪感を感じながら、俺は「うん」と頷いて答える。


「……ごめんね。こんな事になるなんて……僕の判断ミスだ……」


 俺を守ると言った手前、自身に責任でも感じているんだろうか。元はといえば俺が巻き込んでしまった事なので俺を責めても良い筈なのに、正義感の強いアーサーさんだからこそ自身を責め、こうして落ち込んでいるのかも知れない。


『目が覚めたかブラザー』


 どう返すか迷っていると聞き慣れた声が脳に響いてくる。

 だが何処か声に陰が掛かっているというか……何かいつもとテンションが違う気がするのは気のせいだろか。


『ひひっ、そんなことないさ。それよりも、オレ様がちょっと席を外してる内に色々あったみたいじゃないか』


 席を外していた……? だから暫く神様の声が聞こえてこなかったのか。

 いや、それはいいとして、俺は死んでないのか……?


『当たり前だろ? ここは冒険者ギルドの医務室だ。多分誰かが助けに来てくれたんだろうな。ひひっ、運がいいのやら悪いのやら』


 そう言って笑う神様は、いつの間にかいつもの調子に戻っていた。

 ……でも、あれが現実なら俺はなんで生きているんだ? 右手は吹き飛ばされて、お腹にも大きな穴をあけられたはずだ。普通なら死んでるハズなのに俺は今もこうして生きている。というかそれ以前に傷が1つも見当たらない。


『夢と現実をごっちゃにするんじゃないぞブラザー。それが本当ならブラザーはとっくにオレ様のもとに来てるさ』


 そ、そうだけどさ。だから俺は驚いてるわけで……。


「……クロマさん?」


 神様とそんなやり取りをしていたら、何も返事を返さなかった俺を心配してかアーサーさんから再び声が掛かってきた。


「す、すいません!」


 俺は慌ててベッドから飛び降りると、白いカーテンを勢いよく開ける。


「──やぁ、クロマさん。元気そうでよかったよ」


 そこには俺と全く同じ服を着たアーサーさんが下半身を布団に入れながら座っていた。口元には笑みはなく、目元付近はクマで黒くなっており、少し腫れている気がするところから泣いていたのだろうか。

 だが目に留まるのはそこだけではない。

 アーサーさんの左腕が肩の根元から無くなっているのだ。しかしそんな光景を見てもなおあまり動じることが無かったのは、実際に自身が体験した出来事だからだろうか。もしかしたら脳のフィルターのようなものが機能して、そういった感情を殺しているだけかもしれない。

 とにかく今の俺は、アーサーさんが生きている、という事実に安堵し、それ以外の感情を受け付けていなかったのだ。


「ははっ……こんな姿を見せるなんて……ホント頼りないな僕は……」

「……――っ」


 長く声を出していなかったからだろう。そんなことはない、そう否定しようにも上手く声が出せなかった。

 そんな俺を気遣ってか、アーサーさんは力なく笑い、


「無理しなくていいよ。もう3日は経っている筈だからね」


 アーサーさんはまた暗い表情に戻ってしまった。

 3日……3日も俺は寝ていたのか。アーサーさんのあの酷いクマ……3日間も寝れなかったから出来てしまったんだろう。

 ……全部俺のせいだ。俺のせいでアーサーさんはこんな重傷を負ってしまったのだ。俺があの時に言わなかったから。魔力濃度が高くなっていると伝えなかったから。

 たとえそれで俺が責められても仕方がないことだ。


「そっ――んんっ……アーサーさん」


 喉を鳴らし、発声が出来るようにしてから俺は心を引き締めてアーサーさんの瞳に目を向けた。


「実は……その……俺……あの……」

「――魔霞まがすみが出来るのを知っていた、かい?」

「えっ……」


 俺が言葉を発する前に答えを出すアーサーさん。

 俺の心を見透かしたかのようなその言葉に俺は驚きを隠せず、口をパクパクさせることしかできなかった。


「……実は、謝るのは僕の方なんだ。僕は先にギルドに来ていたから注意されていた。それなのに大丈夫だと、滅多に出てくることはないからいいんだって、いざとなれば自分が倒せばいいんだって、力を過信してしまったんだ。僕が慢心していたばかりに……巻き込んだんだよ……」


 アーサーさんは右手をぎゅっと力強く握りしめ、口を固く結ぶ。

 ……違う。俺があの時言っていれば確実にフレイさんが止めていた。いや、確実なんて言葉を使ったが、そんな気がするだけだ。


 確かにアーサーさんにも非がある。俺もそうだ。

 ――そうだ。だからこそ謝らなければならない人物がもう1人いるではないか。


「……そういえば、フレイさんはどこにいるんですか?」

「え……っ……あっ……そうだね……フレイは……」


 妙に言葉に詰まるアーサーさん。目の泳ぎ方が尋常ではなく、小さい雫が額から頬に垂れるのが見えた。

 まさか……なんて最悪な結末を考えてしまう。

 嘘だろ。嘘だと言ってくれ。なんだよその反応。何でそんなに言いづらそうに口を閉じるんだよ……! 


「……フレイさん……ッ……!!」

「──勝手に人を殺さないでくれるっ!?」


 シャッ、と背後からカーテンが勢いよく開けられた音がして、続いてフレイさんの怒声か室内に響いた。

 その声がなぜか懐かしく感じてしまい、涙が零れてしまいそうになりながらそちらに身体ごと振り返ると、俺やアーサーさんと同じ白無地の服ではなく、俺のフレイさんのイメージであるローブを着用していた。赤のベースに黒縁のフードが付いているローブ。室内だからか流石に帽子は被っていなかったが、背中にはフレイさんの背丈以上ある杖が見えていた。


「フレイさん……!」

「ふん、死んでて欲しかったわけ?」


 そんな事あるわけ無い……なんて、フレイさんの表情から察するに言わなくても大丈夫そうだ。

 見たところフレイさんはアーサーさんとは違い目立った外傷は見られなかった。俺やアーサーさんと同じ白無地の服の下がどうなっているかは分からないが、見ている感じだと重症、と言う程では無さそうだ。


『ひひっ、安心したか? この2人は3日前から意識があったから心配しなくても大丈夫だぜ』


 あぁ……俺にできることはないと思ってた。地球にいたあの時のように、居てもいなくても変わらない……いや、逆に邪魔になってしまっていたあの時のようになってしまうかと思っていた。

 でも……思い上がる訳じゃないけど……俺が居たからこそ2人ともが殺されずにすんだんだ。俺が自分の罪から逃げずに立ち向かったからこそこうして2人と話すことが出来てるんだ。そう考えると、俺も生きていて無駄じゃないのかなって、ちょっと思えてくるんだ。だからかな。こんなに嬉しくて、心が高鳴って、涙が出そうになるのは。


『……あぁ。アンタはよく頑張ったよ。ブラザー。本当に、本当に』

「ひひっ……神様にそう言われるとなんか照れるな」

「……急に変な笑い方してどうしたの?」


 っとと。声に出てたみたいだ。不思議そうにフレイさんが俺の方を見てきていた。

 ……というか、いつの間に笑い方が移ったんだ……? 今でも神様の笑い方を気味悪いと思うのに自分も使ってしまうなんて我ながら変な奴だな俺は。


『ひひっ、いいじゃないか。それにオレ様だって最初はこんな笑い方じゃなかったんだ。̩̩お互い様、、、、だろ?』

「は? いやいや、俺が移されたんだから神様が100悪いだろ」

「……アンタ本当に大丈夫? さっきから独り言多いけど……もしかしてまだ具合悪いんじゃ……」

「えっ!? あぁ、いやこれは……その……そう! ちょっと幻聴が聞こえてきてるだけなんで大丈夫です!!」

「大丈夫な要素皆無じゃないッ! 立ってないで早くベッドに横になって休みなさいよっ!!」


 し、しまった……焦ってつい変な事を言ってしまった……!

 ま、まぁ確かにまだ身体は本調子じゃない感じがするしフレイさんの言葉に甘えて俺はベッドに横になるとするか。

 俺は自分のベッドに入ると、上半身を起こしたままで、下半身だけを布団の中に入れて座った。なんだかこうしているだけでも落ち着くのは、3日もこのベッドと共にしていたからだろうか。それだけ実家のような安心感が俺を包み込んでくれる。


 ……あ、そういえば、2人が無事な事に気を取られていたけどあの化物ってどうなったんだろうか。こうして無事に生きているってことは倒されたんだろうけど……でも誰が?


「そういえばアーサーさん――アーサーさん?」


 反応が返ってこなかったので顔だけアーサーさんのベッドの方へ向けると、アーサーさんはその黒い瞼を閉じ、ベッドに横になって静かに眠っていた。するとフレイさんが俺の左にある小さな木製のテーブルにお茶を置き、まるで子供を見守る母の様な顔と声で俺に囁いてくれた。


「……もう気付いてると思うけど、アーサーはアンタの事をずっと心配してずっと睡眠を取っていなかったのよ。だから無事に目を覚ましたことに安心したんでしょうね。昨日まで『僕のせいで巻き込んだ』とか、『僕が弱いせいで』なんて調子で全く寝る気配を見せずに1日中看病していたのに、ほんと単純ね」


 フレイさんは小馬鹿にするような口調で、しかし薄く笑みを作りながらそう話してくれた。

 まぁ分かり切っていたことだったけど、やっぱりそうだったか。これに関しては2人が悪いってことでまたアーサーさんと話をすることにしよう。


「あ、あと……私も感謝してるから。あの時、アンタ、アーサーを殺そうとしたでしょ?」


 あの時、という言葉で、アーサーさんの剣でアーサーさんを突き刺そうとした光景を思い出す。アーサーさんの血だらけな姿。左腕からはドロドロと血が大量に流れていて、今にも死にそうなくらい青ざめた肌。

 そこで理解した。なぜアーサーさんの左腕が無くなっている事に驚くことが無かったのかを。知っていたのだ。その光景を目にしていたからだ。だからこそそれが『必然』なのだと、脳が決めつけていたからだ。

 思い出した瞬間強い吐き気が込みあがってくるがなんとか堪え、確かにあったと俺は頷く。その時フレイさんは俺の背中を優しく摩ってくれる。


「ご、ごめんなさい……思い出したく無かったわよね。でも……本当に感謝しているのよ。確かにアンタの……いや、クロマの能力だとアーサーの能力を使ってあいつを不意打ちで殺せたかもしれない。でも、もしそうなったら私は絶対クロマを憎んで、気がおかしくなってたと思う。もしかしたらそのあとクロマを焼き殺して自分も死んでたかもしれないわ。だから……その……ありがとう」


 フレイさんは腰を曲げ、俺なんかに頭を下げてくれる。

 これは素直に受け取っておくとしよう。

 確かにあの時の俺はアーサーさんを殺そうとした。だがそれは、まだ何処かに『ゲームみたいだ』という考えがあったからだった。でもそんなことはない。アーサーさんは生きていて、フレイさんももちろん生きている。確かにゲームみたいな世界で、全部が0と1で出来ているプログラムなんだとしても、確かに彼らは生きているんだ。

 だったら、そんな彼を殺すなんてことは俺に出来ない。出来るわけがない。なぜなら俺は平凡なただの高校生だから。人間を殺すなんて度胸が備わっているわけがないのだ。

 つまりあれは、俺の逃げる体質がいい方向に働いたおかげだったのだ。単なる偶然。俺が殺すことに恐怖を覚え、逃げたことによって生まれた偶然。

 だがこれを言ってしまえば怒られそうなので言わないでおく。だからこそ素直に感謝を受け取っておくのだ。


『ひひっ、最低だなブラザー』


 なっ、別にいいだろ! 俺だって女の子にいいところを見せたいんだよ!!


『あぁ、それでいいさブラザー。でも忘れんなよブラザー。今のアンタは女だからな?』


 ん、それがどうしたんだ? 関係あるか?


『いや、なんでもないさ。聞き流してくれ』


 変な奴だな。突然いなくなったり変な事を言ってきたり。

 ていうか、神様がいなかったせいでもあるんだからなこれは!!


『オレ様にも用事ってもんがあるんだ。ブラザーはトイレも飯も行かないのか?』


 うぐっ……。も、もうこの話はやめにしよう。争いは何も生まないのさ。


『ひひっ、賢明だな』


 今後神様には口論を仕掛けないでおこう……。俺自身がそういう事に慣れていないのもあって絶対に勝てない……!!


「あーあ、人が感謝してるのにまたそうやって固まる。アンタってほんと不思議な人よね」

「えっ……へへ……す……すいません……」


 うぐぐ……難しいなこのやり取り。俺としては神様と会話してるだけなんで何もおかしなところはないが、傍から見たらただ虚空を見つめたり急に睨みつけたり突然固まって動かなくなる変人だもんな。

 神様の存在をばらしたらダメなの? フレイさん達なら信じてくれる気がするんだけど。


『別にいいがあまり公言はするなよ? 他の神にバレると厄介だからな』


 そ、そっか……そういえば俺以外にも他の神様が話しかけてる可能性はあるわけだな。なら話さないでおこう。

 なんて事を考えながら、これ以上フレイさんに怪しまれないよう適当に何か話題を探す。と言ってもコミュ障気味な俺には難易度が高すぎるわけでまともなことは思い浮かぶことはなかった。

 そして気付ばフレイさんもテーブルに腕を枕に顔を伏せ、静かに寝息を立てていた。1人になった俺もベッドに背中を当てて寝転がる。布団を首元まで持ってきて、天井を見つめる。

 なんだかんだ言って、フレイさんも俺を心配してくれていたんだろう。アーサーさんほどではなかったが、目には確かな疲れが感じることが出来ていた。


「なぁ、神様」

「なんだ?」


 俺の言葉に反応して、光の玉となって神様は俺を見下ろしてきた。なのでそれを手の甲で跳ね除けて俺はただこう呟いた。


「……初めて人に感謝された。ありがとうなんて言葉初めて聞いた」

「だろうな。それで、どうだ? 感想は?」

「……控えめに言ってまじ最高。人に感謝されるだけで、こんなにも嬉しいもんなんだなって、心の底からそう思っているよ」


 神様がまた俺の顔を覗き込んできたので、俺はまたそれを跳ね除け、腕で目元を覆い隠した。


「ありがとう、神様」

「ひひっ、どういたしましてだブラザー」


 神様の存在を近くに感じながら、俺も意識を暗闇の奥底へと落としていく。


「――感謝するならオレもだ。アンタなら本当に――」


 夢か夢でないか分からない状態、最後にそんな言葉を聞いた気がした。


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異世界インフレーション なるるろ @narururo

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