第18話.決断

 

 流れる汗を袖で拭う。腕はパンパンで、もう剣を持ち上げる事すら困難となっていた。

 それでも俺は、倒れるフレイさんとアーサーさんを尻目に何度も何度も斬りかかり、その度に軽い鼻息だけで吹き飛ばされてしまう。

 分かっていた。勝てる事なんてない。この霧が段々と俺の身体を蝕んでいくのが感覚で分かる。それに女になった影響か、上手く力が出ない気もする。


 それでも俺は諦めなかった。

 勝ち負けは関係ない。これは俺がやらなければならないのだ。あそこで逃げていたら、きっと俺はこれからも逃げ続ける事になるだろう。


 それは地球での生活と何が違う?

 俺はそれが嫌でこの世界に来たんじゃないのか。それが嫌で神様に頼んだんじゃないのか。


 俺は気持ちを奮い立たせ、限界を超えた身体を酷使して重すぎる剣を両手で掴んだ。


 その時だった。


「――クロマさん」


 俺の隣で寝ていたアーサーさんが俺に声を掛けてきたのだ。


「……なん……ですか……」


 荒れる息をなるべく抑えながら、俺は反応を返す。するとアーサーさんが小さく笑ったのが耳に入ってくる。


「この状況を打開出来る方法が……1つ……あるかもしれません……」


 この状況を打開できる、果たして本当にそんな事が出来るのだろうか。尽きない疑問の答えを探しているほど時間の猶予はない。俺はアーサーさんの言葉を聞き逃さないように静かにして待った。


「──僕を、殺してくれ」

「……は?」


 一瞬、アーサーさんの言葉が理解できなかった。殺す? 何故?

 脳が理解する事を拒んだのか、何度も俺の頭でぐるぐると回り続けていた。


「どう……いう……?」

「僕を殺したら……僕の能力……が……君に……行くだろ……? それでフレイと一緒に逃げるんだ……!!」

「んなこと……出来るわけないだろうがッ!!」


 俺は思わず怒鳴ってしまった。理解できないながらも、その言葉が俺にとって最悪な選択肢であることは何となく察していたのだ。

 だがアーサーさんは、そんな俺に負けじと声を張る。


「それしか君が生き残る方法がないんだッ!! ここで皆死ぬのは最悪の結末だッ! だから早く――ゴホッ、ケホッ!!」

「お、おい……!」


 激しくせき込み、その口から赤黒い血が吐き出される。

 そりゃそうだろう。装備の上からでもわかる酷い打撲、そしておまけに左腕を失っている。今も意識を保てているのが不思議な程であった。


「……」


 ……わかっていた。俺がお荷物なのは誰よりも分かっていた。今のこの言葉も、アーサーさんの善意だということも分かる。誰よりも俺のことを気にかけてくれていて、自分よりも俺を優先させてくれる。


 その善意を無駄にするつもりか? 言葉を理解する事を拒み続ければこのまま全滅する。アーサーさんにとって最悪の結末を迎えてしまう。


「……僕はこの通りもう戦う事も出来ない……、でも……君なら……僕が目指した『英雄』に……君ならなれるかもしれない……」


 だから、と、アーサーさんの右腕が俺の顔に向けて伸ばした。


「僕の夢を託したよ……クロ……マ……」


 事切れたのか、右腕が力を無くして落ちる。

 俺は静かにアーサーさんの隣に落ちている剣の柄を掴んだ。それは無意識に近い行動で、俺自身もその行動に驚きを隠せなかった。

 その剣はとても重かった。俺がさっきまで持っていた時とは比べ物にならないくらいに。

 戦うわけじゃない。持ち上げるのがやっとのレベルで、振り回せるほど余裕は残っていない。

 霧のせいか身体のダメージも目に見える以上に深刻だ。意識も朦朧とし始めてきていた。


 俺は刀身を下向きにして持ち上げた。

 疲れからか、それとも恐怖からか、その手は小刻みに震えていて、刀身の位置を定める事が困難になっていた。


『──こ……てくれ……』


 アーサーさんの声が俺の脳内で反響する。まるで耳元で囁かれたかのような感覚に、もはや幻聴まで聞こえて来るようになったのかと自身の限界を感じ始める。

 アーサーの眠る顔はどこか安心した子どもを見守る母のような顔で、俺の心を深く抉るには十分すぎた。


「ダメっ──!」


 フレイさんの声が聞こえてきた気がした。それが幻聴か、それとも本当にフレイさんから発せられた声なのかは最早区別する事はできなかった。


 深く深呼吸をする。未だに動く気配を見せない化物は静かに俺の行動を注視していた。

 

『──ころ……し……くれ』


 何度も、何度も何度も何度も、アーサーさんの言葉が現れては消え、現れては消えを繰り返す。

 助けに来たつもりだった。死ぬ時は一緒に死ぬんだと覚悟を決めてここまで来たつもりだった。


 でも……結局何もできなかった。何かを変えられたらと思った。物語の主人公のように何か力が働いたりして倒せるかもしれないとも考えた。

 でも……でも……やはり俺には何も無かった。俺の思いつく内の最悪の選択肢が無情にも俺の目の前に突き付けられるのみであった。


『──殺してくれ』


 体重を掛け、全力で剣を突き刺す。それを途中で止める事なんて俺には出来る筈もなく、深く、深く──








「──出来るわけねぇだろうが……っ……!」


 アーサーの胸元の左。俺のすぐ側の地面に突き刺したそれは、まるで聖剣のごとく凛々しく、堂々とした刺さっていた。


「ここで殺したら……たしかに能力が手に入るかもしれない……」


 拳を硬く握る。


「もしかしたらこの状況を打破できるかも知れない……!」


 顔を上げ、霞む視界の中化物を視界の中心に捉える。


「でも……初めての友達を失うくらいなら……! 初めての仲間を逃げて犠牲にするくらいなら……ッ……!」


 ──不滅の焔が宿った様な感覚が拳から身体全体へと隅々まで行き渡った。それはまるで、運動後の水分補給をした身体に染み込んでいくような感覚であった。


 逃げるな。立ち向かえ。たとえどれだけ力の差があろうとも。


「俺は──!」 



 百獣の王の眼光が鋭くなり、俺に飛びかかって来たのがスローモーションになった世界で確認出来た。


「──死んでも抗ってやるッ!」


 硬い石のように握った拳を構え、真正面から来る『敵』を迎え討つ為に、顔面に向かって全力で拳を突き出す──ッ!


 それが敵の顔面にめり込む瞬間。

 ──俺の身体に衝撃が走る。そう知覚した時には俺は、既に仰向けになって倒れていた。


「はぁ……はぁ……うっ──!?」


 何が起きたか分からない状況で右腕に違和感を覚え、俺は左手で右腕の存在を探る。


 無い。どれだけ探そうと、どれだけ左手を動かそうと、俺の右腕の存在を確認する事が出来なかった。


「う……そだろ……っ……」


 目だけ動かし、何とか自分自身に起きた『異変』を把握しようとし──絶句した。


 半分が消えていた。

 話を盛ってなどいない。本当に俺の身体が半分消え去っていたのだ。見えてはいけないどこのものかも分からない『何か』や、未だに溢れ続けている赤い液体。


 直後、俺は想像を絶する吐き気が込み上げてくる。少しでも気を緩めたら吐いてしまう。そして吐いてしまえば息を詰まらせて死んでしまう。


 しかしもう身体を動かす事は出来ない。知覚してしまった。自分自身の惨状を見てしまった。


 ──俺はもうじき死ぬ。そんな事実だけが俺の脳に焼き付き、離れる事をしなかった。


「──ご……めん……かみ……さ……ま……」


 神様との約束。無理をするな、という極々簡単な約束はやはり果たせなかった。

 悪いとは思っている。でも後悔はしていない。むしろ、何処か清々しい気分ですらあった。 


 化物は俺を見下ろし、鼻を鳴らして嘲笑った


 頭がボーッとする。締め付けられるような感覚に陥りながら、俺はただただ空を見上げていた。


「ひひ……霞んでよく見えねぇや……」


 ──。



 ▽


 静寂。この場に立つものはただ1匹、ライネルと呼ばれる『魔獣』であった。

 魔物とは比べ物にならないほど強い種は魔獣と呼ばれ、人間同様に固有名を与えられる。


 その強さは精鋭を集めた1個中隊で相手にしてぎりぎり勝てるレベルである。それだけでどれほど強いかは分かるだろう。


 ライネルは失った後ろ足を不便に思いながらも、息絶え、動かなくなったクロマに近付いた。


 最早この場では最強とも呼べるライネル。何をされようが手も足も出ない事は明白である。


 そんなライネルであったが、まだ警戒を解く事はしなかった。それはこの女を見た時に感じた違和感が原因である。

 感じる違和感を明かそうとクロマの攻撃を受け続けていたが、一向にその違和感の正体を明かす事ができず、我慢の限界となったライネルはクロマの右半身を吹き飛ばした。


 ……だが手応えがない。殺した筈だ。間違い無く死んでいるはずだ。頭では分かっていても、数々の死線を潜り抜けてきた直感がそうではないと告げる。


 年には念を。前足を振り上げ、クロマを跡形も無く消し飛ばそうと本気で振り下ろした──瞬間、その腕は途中で止まる事となる。


 いや、止められる事となったのだ。


 その場に立つのは1人の『女』であった。力を抜いていたとはいえ難なく前足を片手で受け止めるその者に、警戒心を最大にまで上げるライネル。


「──よく頑張ったなクロマ。ひひっ、力が無いくせにここまで粘るのは上出来すぎる」


 その声に聞き覚えがあったライネルは眉をひそめた。衝撃波によって巻き上げられた砂が落ち着き、その女の正体が露わとなる。


 ──それは、間違いなくクロマであった。


 だが直感が告げる。これは別人だと。この女は只者ではないと。


 そして気付く。違和感の正体、それはさっきのクロマから発せられていたものでは無く、この女から発せられていたものであったのだと。


 間違いなく存在している。そう分かっているつもりなのに、まるでそこに存在して居ないかのように感じてしまう異様な存在。吹き飛ばした筈の右半身の傷も癒えており、力も増している。


 ライネルは警戒度を一気に最大まで引き上げ、初めて牙を剥き出しに強く唸った。


 そして放たれる光速を超えた一撃。それは動作などを最小限に抑えて放つ不可避の攻撃だった。尻尾を鞭のようにしならせ、必殺とも呼べる攻撃をライネルは放ったのだ。


 ──が、その攻撃が女に届く事は無かった。


 まさに一瞬。限り無く0に近いその一瞬のやり取りの中で、ライネルの尾は受け止められ、引き千切られてしまったのだ。


 自分自身でさえ捉えられない攻撃を受け止め、更には引き千切る荒業。そんな物を見せられてしまえば嫌でも理解してしまう。

 

 ──コイツは化物だ、と。


 女は誰に言うわけでもなく、ただ空間に向かって喋り始める。


「力を貸してやるよクロマ。アンタにプレゼントだ」


 そう言って女は手を開き、前に突き出した。


「上手く使えよブラザー。これは〈バグ〉であるアンタにしか使えない能力なんだから」


 何もない空間を思い切りに握り締める。たったそれだけでライネルの胴体がまるで全方位から押し潰されたかのように潰れ、血が爆発し、全方位にとんでもない量が撒き散らされた。


「……まだ立つか」


 だが、そんな攻撃を受けてもなおライネルは立ち続けていた。足が1本なく、尻尾が存在していた付け根からは常に血が流れ続け、身体は転落事故を起こした大型トラックのようにひしゃげている。

 

 ライネルは弱いながらも低く唸った。

 これが最後の攻撃だと、そう言わんばかりに。


 目が深紅に染まる。それは即座に女の立つ座標を計算し、空間を把握。指定した座標に不可視の爆発を起こすライネルのスキル。

 数多の死線を潜り抜け、運命を共にしてきたスキル。信頼度は絶対で、これで倒せなかった者はこれまでに居ない。


 だからこその油断。


「ひひっ、オレ様とは相性最悪だな」


 刹那、ライネルの身体が凄まじい音と共に弾け飛んだ。それはまるで、自身の攻撃で自爆をしたかのような光景であり、誰もが首を傾げる異様な出来事であっただろう。


 女は跡形も無くなったライネルに対し呟く。


「せっかくのチャンスなんだ……失ってたまるか……」


 女は勝負に勝ったにも関わらず喜びなどの感情は見せず、その表情は何処か寂しげなものであった。


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