第17話.獅子王


「はぁ……はぁ……フレイ……! 大丈夫……!?」

「な、なんとかね……!」


 クロマを逃がしたアーサーとフレイは、目の前に佇む魔物と対峙していた。

 その魔物は獰猛な獅子を連想させる金のたてがみを風になびかせ、筋骨隆々な胴体は、何者の攻撃も通さないと思わせるほどだった。


 まさに獅子王と呼べる存在感。その圧倒的なオーラは、周りの空間が歪んでいると錯覚――いや、実際に空間が歪むほどであった。


 アーサーはそのシンプルな白銀の剣を構えると、音速を超えたスピードで間合いを詰め、剣を左から右に一閃する。だがそれも強靭な身体の前では無力で、刀身は切り裂くことなく獅子王の皮膚表面で止まっていた。

 直後に起きる衝撃波。音すらも置き去りにした一撃によって空気が押し出され、それが獅子王の皮膚表面と衝突することによって周囲に爆発するかのように拡散したのだ。


(やっぱり硬い……ッ……!)


 獅子王の眼光がアーサーに向けられる。

 直後にアーサーの直感が身体を動かし、大きくその場から飛び退いた。


「う……っ……!?」


 鼓膜が破れると思わせるほどの破裂音。砂埃が舞い、視界がさらに悪くなる。

 それが晴れたとき、見れば、さっきまでアーサーが立っていた場所が大きく深く抉られていた。それはまるで巨大な隕石でも降ったかのようなクレーターのようだった。


「アーサー避けてッ!」


 フレイの言葉に反応したアーサーはまた大きく飛び退く。

 次はその場所が、巨大な蒼炎に包まれた。その大きさは半径50メートルを包むほどの規模で、炎が消えた頃には当たりの地面が真っ赤に光り、溶岩のようにドロドロとした状態になっていた。


「――私の能力がダメなんて……ほんとバケモンねコイツ……!!」


 爆発の中心。そこには傷1つない獅子王が凛々しく佇んでいた。黄金色の鬣の毛先は若干燃えたのか赤く光っているが、それ以外はなんの変化も見受けられなかった。

 フレイの固有スキル、【蒼炎】。通常の炎魔法よりも燃費が良く、火力が高い青色の炎を生み出す。それは何物も溶かし尽くすほどの威力で、更に通常の魔法と違って自在に操ることが出来るもの――だった。

 フレイと合流したアーサーは隣に並ぶ。


「……フレイ。能力を使うよ」

「……無理しないでよね」


 アーサーは剣を鞘に納めると、柄を持ちながら鞘を前に突き出した。


「抜刀――【空間切断】」


 ピシッ、と、ガラスにヒビが入った時の音が鳴る。獅子王はその異変に気付いたのか、今まで一切動かなかった場所を飛び退いた。

 直後、その獅子王の居た空間にヒビが入っていた。


「ぐ……っ……」


 アーサーの固有スキル、【空間切断】。

 距離、対象の防御力、全て関係なく無に帰す必殺の一撃。指定した座標を一切のラグなくノータイムで切り裂くまさに最強とも呼べる能力。

 だが、使用には膨大な体力を必要とする。現在のアーサーの体力では、そう連発できる能力ではなかった。


「はぁ……はぁ……ここまでやってまだダメージを負わせられないなんて……凄いな……!」


 単純な防御力だけじゃなく、その攻撃の威力の高さ、そしてアーサーのスキルを事前に察知し避ける異常なほどの危険察知能力。

 このまま戦い続ければ、間違いなくアーサー達が負けることだろう。それは本人たちも理解していた。

 だが、逃げることは許されない。このまま逃げれば街に被害が及ぶ。それにせっかく逃がしたクロマも巻き込んでしまう事になってしまう。


「でも……時間稼ぎくらいなら――」


 その考えは、全くと言っていいほどに的外れであった。

 アーサーは連続で空間切断を発動し、獅子王を攻撃する。その度に獅子王が避け、その先をまた空間切断で空間を破壊する。

 そんな攻防が3分程度続けられたが、ついにスタミナの限界が来たアーサーが一瞬だけ隙を見せた。 

 それを見過ごす事無く、音もなく、いつの間にかアーサーの目の前に接近していた獅子王が、はち切れんばかりの腕でアーサーを吹き飛ばした。


「アーサーっ!? くっ……蒼え――!?」


 フレイが能力を発動する前に、鞭のようにしなる尻尾がフレイの腹を深く深く食い込ませ、吹き飛ばす事無く地面に叩きつけた。

 あまりの衝撃に弾む身体。地面は深く抉れ、それでも獅子王は攻撃を止めることなく何度も何度もフレイの腹に巨大な鞭を叩きつけた。

 それは防御に乏しい魔法使いにとっては致命的な攻撃。とっくに意識を持っていかれていたフレイは力なく地を転がる。


 まさに一瞬の出来事だった。今までのは小手調べだと、そう反撃してきた獅子王には手も足も出なかった。

 獅子王は低く唸る。それはまるで、まだ戦い足りないと言わんばかりの態度であった。


 直後、獅子王の後ろ足が切断された。同時に鳴り響くガラスが割れる音。それが、アーサーによる攻撃だということを示していた。


 響く獅子王の叫び。いや、怒りによる咆哮のほうが正しいのかもしれない。

 獅子王の血塗られた眼光が、 剣を杖代わりにして立つアーサーを捉えた。


「はぁ…………はぁ……!! まだ……終わって……ないぞ……っ……!」


 アーサーは剣を構える。

 だが、眼光が強く光ったその瞬間――アーサーの左腕が跡形もなく消し飛んだ。

 溢れ出る血が地面を濡らす。立つことすらままならなくなったアーサーはついに地面に倒れこんだ。


 まだ息はある。それにとどめをさすべく、獅子王は3つの足でその巨体をゆっくりと動かし、アーサーに近づいていく。


「――?」


 獅子王の動きが止まる。

 それは僅かな異変だった。

 何かがおかしい。

 獅子王は動きを止めて周囲を見渡した。


 そして、ある方向で首を止める。その視線の先には、1つの人型のシルエット。

 瀕死のアーサーもその気配に気づいたようで、目を見開き、その名前を呟いた。


「クロマ……さん……!? なんでここに……!!」

「――俺のせいだ。俺が巻き込んだからこんなことになったんだ」


 その声は、この状況にしては何とも冷静で、妙に落ち着いた声だった。

 女性にしては男勝りな口調をするクロマは、静かに、ただ静かに歩いて獅子王との距離を縮めていく。

 やがてその姿が露わになると、獅子王の眼光が刃の如く鋭くなる。


「なんで……なんで戻ってきたんだッ……!!」

「アーサーさん。俺には助ける力なんてない。あいつはきっとスライムの何百倍も強くて、俺はスライムにすら勝てない最弱だ」


 クロマはアーサーが倒れている横で立ち止まると、地面に倒れているアーサーの剣の柄を掴み、重そうに持ち上げる。


「君じゃ何もできないだろう……!!」

「知ってるさ。アーサーさんとフレイさんが負けるくらいだから、俺じゃ時間稼ぎにもならない。でもだからといって『友達』を、『仲間』を見捨てる理由にはならないよ」


 魔力の耐性が無いクロマにとってこの空間は毒霧の中に居るも同然だ。そんな状態でさえクロマはこの場に立ち、怯むことなく獅子王と睨みあっていた。


「ひひっ、安心しろアーサーさん。死ぬときは一緒だ」


 顔だけを動かし、アーサーに対して笑って見せるクロマ。言葉では落ち着いた雰囲気を感じさせていたクロマであったが、その表情は恐怖を押し殺しているのか細かに震えていた。


「それとごめんな神様。無理をするなっていう約束は守れそうにないや」


 クロマはそれと同時に地を蹴り、アーサーの剣を大剣の如く重々しく振って獅子王に斬りかかった。構えもなっていない。剣に振り回されている所も感じられるそれは、クロマの戦闘経験が皆無だということの何よりもの証明だった。


 もちろん攻撃が通るはずもない。獅子王にとってそれは、蚊に刺されるような感覚に近いだろう。故に何もせず、ただ必死に攻撃するクロマを睨みつけている。


「なんだよかてぇなおい……! どんな皮膚してん……だよッ!!」


 剣を振り下ろす。だがそれもダメージにはならず、獅子王も何の反応も示さなかった。

 次は獅子王の番だった。獅子王が軽く鼻を鳴らすと、その風圧にクロマは耐えられず、吹き飛ばされてしまう。

 それでも諦めずすぐに立ち上がると、剣を持ち上げて引きずりながら獅子王に接近、振り上げる形で獅子王の顔面に剣を当てる。


 わかっていた。意味がない。攻撃など通るはずもない。

 アーサーですら無理だったのだ。フレイですら無理だったのだ。何の力もない、ステータスも赤ちゃんと同等レベルでどう勝つというのか。

 獅子王はそんな状態を楽しんでいるのか、何度も何度も立ち向かってくるクロマを何度も何度も吹き飛ばし、また立ち向かってくるクロマを吹き飛ばす。

 それからというもの、それが何十回、何百回と繰り返された。吹き飛ばされ、服だけでなく体を擦り傷だらけにしながらも、勇敢に、諦めずに立ち向かうクロマ。毒に侵されながらも身体を酷使して立ち向かうその姿は、アーサーがかつて夢見た英雄の姿を連想させるものであった。

 その光景を見ていたアーサーは唇を強く噛み、何かを決心したのかバッと顔を上げ、また吹き飛ばされてきたクロマに焦点を合わせた。


「――クロマさん」

「はぁ……はぁ……なん……ですか……」

「この状況を打開出来る方法が……1つ……あるかもしれません……」


 その声はいつにもまして真剣だったが、その表情にはいつもの笑みが浮かんでいた。






「僕を、殺してくれ」

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