~歓送~

闇の中では、小さな灯火が螺旋となり二人を導いた。重苦しい空気が常に己を威嚇しながら、迫ってくる。


(確かに【戦】とは、違う。)


成実に麓を任せた政宗は思った。


(扉の外はまだ奥州だったが…此処は……)


「違うな。」

「は。」


伴の小十郎が相槌を入れる。


「何故、こんなものがてられている?」

「それは誰にも、解りませぬ。」

「誰が建てた、秀吉か。」

「いえ。この摩天楼は一切が不明。我々の…記憶の隙間に入り込むように、突如、現れるのです。」


「記憶の、隙間……。」


(また難しい事を。)


小十郎は続けて、摩天楼が現れたのは此れが最初ではない事、噂では此の場所は、先に崩された九州という日ノ本の西側の地に現れたものに酷似しているらしい事も教えてくれた。


(九州…黒田や細川が抑える彼の地にまで蔓延るとは、何か関連があるのか?)


考えて答の出る事ではないが、理解は出来た。

政宗は既にそれを経験している。【死】という夢。

そこで聴いたひとつの【誘い】。知らぬ韻を持ったその声が、自分をへ招いた。


第二の人生として、数奇とも言い難い。


(人に会わねば。沢山の人に。俺はこの世界の広さをまず、知らねばならぬ。)

(まぁ、この空間に…我ら以外の【人】が…居ればの話だが。)


迷う暇は無い。

思いに釣られる様に、背中で錆びた鉄が鳴きながら口を閉じた。


───────


振り向いても其処にはもう何も無い。

ただ一切の、闇を除いては。


「進むぞ、小十郎。」

「は。」


政宗は世界に切り離されたこの空間を、ゆるりと進み始めた。

上へ上へと続いているが、足場は坂とも階段ともつかぬでこぼこ道である。一歩を踏み締める度、みちっと嫌な音を立てた。


「……。」


一抹の予感が、胸騒ぎを起こす。


(…まさか、な…。)


先導の小十郎を見ると、慣れた風に灯りと灯りの真ん中を進んで行く。


「足場は、大丈夫でございますか。政宗さま。」

「ああ、しかし…。」

「如何なさいました。」

「【藤次郎】は何故、単独で此処に来たのか…」


「気になってな。」

心無しか足取りが安定して来ると、政宗はそう、小十郎に訊ねた。


「其れは…。」


すぐ近くに居るのに、深い闇の中では先導者の背中すら仄暗い。

一度なら、まぁ解る。しかし此の身は、既に四度も此処に入っていると云う。


「何の覚悟も無く此れを踏破するは…大の大人でも、難しかろう。」

「…。」

には、言えぬか。」

「いいえ、」


───────


「滅相もございません。」

振り向いたらしい小十郎の声。


「同じ…なのです。」

「同じ?」

「殿下は違うと仰せになりましたが、某には、解りました。」

「何がだ。」


「殿が……政宗さまが、御心みこころです。」

「……心?」

「はい。」


向かいの頷きを、揺れる灯が報せた。


「摩天楼に入る事を決意なされた時。も、殿と同じように仰せでした。」

「ほぅ?」

「“奥州の民は、奥州の領主こそが護るべきだ。誰も動かぬのなら、おれが奥州の王となる”…と。」

「……。」


小十郎の言葉を受け、政宗は今一度摩天楼を、辺りの闇をぐるりと見据えた。


「なるほど…大義名分は得ている、と。」

「先日の某はその御言葉にこそ胸を打たれ、藤次郎さまに着いて行ったのでございます。」

「止め切れぬ理由はそれか。」

「仰せの通り。殿の栄華は我らの栄華。殿のゆく道こそが、我らの道でございます。」


「…焚き付けるな。」


そう呟く政宗の口の端はまた、綻んでいた。


「そうまで言われては、ゆるりとしてもおれんな。」

「は。」


───────


(とは言ったものの、ただ進むにも暗過ぎる道だな…此処は。)

(成実を麓に置いて来たは些か、早まったやも知れぬ。)


と、考えた、ほんの矢先。


  ―――がつっ。


「っ!」


政宗は何かに躓き、前傾りになった。


「政宗さま!!」


小十郎が慌ててそれを支える。


「大事ござりませぬか!」

「ああ、済まぬ。考え事を―――…」


直ぐに体勢を整え、政宗は進もうとしたが


   みし…っ。


「……?」


(蔦にでも足を取られたか。)


右足が何故か、其処に留まろうと足掻いた。


「小十郎。」

「はっ。」

「右の足が動かぬ。」

「まさか、お怪我を?!」


「いいや……何かに、引っ掛かけてしまったようだ。」

「左様でしたか。ならば足許を。」


主君から一旦離れる小十郎。

静寂の中に揺れる灯火を借りるなり、そっと政宗の右足を照らし出す。


「……っ!」


その瞬間、二人の肩は大きく揺れた。

不自然に床から伸び、政宗の右足を取っているそれは、人の手の形をしている。


───────


「こ…れは…!」

「も、申し訳ございませぬ!!」


大変なものを見せてしまったと思ったのか

小十郎が慌てて、灯火を逸らした。


「構わん。小十郎、照らせ。」

「……はっ。」


小十郎が改めて政宗の足許を照らす。

政宗自らも灯火を手にし、改めて辺りを照らしてみた。


「何と、まぁ……。」


(罰当たりな。)


そんな台詞を呑み込みつつ、暫く【それ】を見つめる。

夢中に駆け上がって来た道。…いや、その壁、そして――灯火こそ届かないが――おそらくその天井まで。

何処を見ても、そこには視線があった。何十、何百。登り詰めるならば、それは万と云う数にもなるだろう。


「…悍ましいな。」

「はい。」

「確かに、人を以てしてこれは―――」


「無理だ。」

政宗はきっぱりと言い放つと、灯火を燭台へ戻した。


「お前も初めて見るのか。」


続けて訊ねる。

小十郎は浅く頷いた。


「面目ありませぬ。前回も、その前も、藤次郎さまはとかく、突き進むお方であらせられましたゆえ。」

「ふむ。」

「…ただ……」

「ん?」


───────


「大殿――輝宗さまより、言い付けがございました。」

「言い付け?…何だ。」

「はい。……“此処には日常つねにも戦にも無い事が多々ある。もし梵天丸と共に登る事あらば、【各々の間おおのま】に出るまで何も見せず、そなたらもまた、見ぬように”と。」


小十郎が精一杯、答える。

目の当たりにした【異形】に、まだ若気が残るその身は小さく震え始めていた。

言葉を受ける政宗は対照的に、平然と思考を続ける。


(それであの剣幕か。相変わらず過保護な事だ、父上は。―――しかし)


「各々の間とは?」

「辿り着く場所に、堂の様な板張りの広間があるのです。」

「此の先にか?」

「はい。」


「とてもそうは思えぬが…」

「輝宗さまの仰せに因れば、其処に辿り着く距離、また踏み入れた堂の様相が各々で異なるのだそうとの事。」

「成程。」

「……。」


「…まぁ、信じて進む他、あるまいな。」


仮に出口に戻るとしても、其の【障害】は排除しなければならない。

自分の右足を掴み続けている手が今度は、未練がましく具足に爪を立てて来ているのだ。


「女の手だな、此れは。」


───────


「は。」


震える小十郎の声が、小さく頷いた。


「震えているのか、小十郎。」


屈んだままの肩に触れると、政宗はまず落ち着いた声で参謀を励ます。


「まさか…この様な道を踏み締めていたとは、夢にも思わず…。」

「……斬れぬのか?」

「…は…?」

「この手が仮にそなたを頼ったならば、そなたは自らこの手を斬り捨て進まねばならぬ。其の覚悟が今、出来ているのかと訊いている。」


容赦無く、鋭く訊ねた。

勿論その眼は一瞬大きく見開かれ、一層の震えをあらわにする。


「人は恐怖に屈すると、其れまで見ていなかったものが途端に刃にも見えて来るものだ。」


今度は政宗が屈み、その場に片膝を着いた。


「……?」


まだまだ発展途上らしいこの身柄は、丁度、中背の小十郎を少し、見上げる位置に落ち着く。


「目先だけの感情に囚われるな、小十郎景綱。」


言うなり、政宗は其の柔肌に触れ無理やりに己の足首から引き剥がした。


「…政宗さま!」

「確かに感触は、人だ。」


言葉を引き金に紡がれる事実は記憶に流し、すぐさま過去へ、意識へと監査を任せる。


───────


「だが俺は、此れを人とは思わぬ。」


抵抗させまいと強く握り締めるなり、あっと云う間に短刀でその手首を裂いた。


「っ!」


小十郎は思わず目を瞑る。

当然、そんな刃の入れ方では血が飛ぶものと認識したからだ。だが其れはすぐに、生暖かく揺れるままの空気に遮られた。


「………?」

「臆するな、小十郎。」


既に身を整えている政宗は力強く笑み、小十郎の両肩を払う。


二度。


そして三度。


「そなたの感情は…俺にも簡単に、伝染うつってしまうのだ。」


政宗は長く生きた。

生きて、この小十郎の事だけは、生涯を通し信じ続けていた。だからこそ、自覚が無くとも小十郎の所作を事実として捉える癖がある。

摩天楼は其れを捉え、如実に此処に、映し出していたのだ。事実、小十郎の気が晴れた事を悟る様に、道が僅かに広く成っている。そして切り捨てた筈の手も、いつの間にか消え果てていた。


「これは…!?」

「この暗闇の正体は、我らの感情に応える仮初めの根城。恐らくは我らの……今は【負の意識】が、生みの親。」


不思議とそんな言葉が出た。

其れが己の意識が打ち出した、暫定的な事実なのだろう。


───────


「政宗さま…」

「俺は、此処で留まる心算は無いぞ。」

「…、無論でございます。」


目が馴れたのかは判らないが。

そう語り合う二人の居場所は次いで少しだけ、明るくなった。


「はっはっ。この政宗の守役だろう、そなたは。此れしきの事で…そんな情けない顔をするな!」


言うが早いか、政宗は笑い飛ばしながら小十郎の背を一叩いっこうする。

平気な訳ではなかったが、確固たる目標を前にしての障害ほど、この男の髄を滾らせるものも無い。

政宗は元来、そういう性分を持って戦国に生まれ落ちた人物だった。その気迫には流石の参謀もただひれ伏す他に無く、


「っ、……も、申し訳ございませぬ」


潔く、頭を下げる。

認めて政宗は話を続けた。


「これはただの壁。そしてこの先通るも、ただの道だ。俺は進まねばならん。進んで、まずは各々の間に…立つ。」

「はい。」

「着いて来てくれるな、小十郎。」

「今暫く足を引くやも知れませぬが……小十郎は、何処までも政宗さまのみに御伴いたします。」


「相、解った。」


政宗は力強く、頷く。


───────

(解説欄)後日更新

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