最終話 新たな舞台へ



 日中も肌寒くなり、龍の騎乗が骨身に染みるようになってきた。



 最後の直線下り、俺たちの位置は中段。龍の体力は十分に残り、手綱をぐいぐいと引っ張ってきて闘争心も申し分もない。しかし行く手は全て塞がれ、狭い道をこじ開けるしか勝つ道は残っていない。



「さあ、行くぞ」



 俺は、龍の行く気に任せた。抑えていた手綱を解き放ち、最善の通り道だけを教えてやる。それだけで十分だった。騎乗龍は弾丸のように狭い隙間を掻い潜り、あっという間に全ての龍を抜き去って先頭でゴールする。



 あの日、俺は引退を撤回した。



 騎手主導で龍を機械のように操るという騎乗スタイルも変え、龍主導でありながらも適宜指示を出し、飛翔を補佐するという形にした。当たり前といえば当たり前の騎乗スタイルにより勝率は下がり、反対に騎乗依頼は増えていった。



 本龍場から地上に戻り、龍から降りて鞍を外す。今のが今週の最終レースだ。慌ただしく次のレースに向かう必要はない。俺が鞍を片手に調教師や龍主と握手していると、横から手が伸びてきた。



「おめでとう、チカ」



 バレットの証である緑のゼッケンを着た葵が、握手を求めてきた。俺は直ぐに応え、笑顔で口を開いた。



「サンキュー葵。龍が強かったからな」



「そんな事ないよ。それでさ、この後予定ある?」



 葵の言いたい事が読めた。



 葵は最近、龍について勉強したいと俺より先に中東への留学を決めた。その為大学は休学し、準備の為の時間がぽっかり空くと、今度は騎手がレースで使う道具の準備や斤量の調整など、騎手を補佐するバレットという仕事を俺の専属でするようになった。



 葵はレースが終われば地元に帰り、留学の準備に戻る。今日も夜までには飛行機に乗らないといけない。だからその前に賞金で夕飯を奢れ、そう言いたいのだろう。



「暇だけど、どこで飯食いたいんだよ」



 途端、葵が俺をジトっとした眼で睨んできた。



「ちょっと、人を食いしん坊みたいに言わないでくれる? そうじゃなくて、チカに会いたいって人がいるから伝言頼まれたの」



 俺や好連さんではなく、葵に伝言を頼む。偶然その場に居合わせた龍主か調教師だろうか。俺は残った諸事を済ませると、伝言にあった競龍場近くの駐車場に向かった。



 黒のリムジンが近づいてきた。俺の目の前で停まり、後部座席のドアが自動で開く。



「車で悪いね。戸次騎手。直ぐにでも飛行機に乗らないと行けなくてね」



 そう言って顔を見せたのは、城井国綱だった。



 天皇賞以来、俺はこの人が分からなかった。純景からあの時のレースの裏で行われていた真相を聞かされ、因果応報だと覚悟を決めた。しかしそれ以降は特に何かされるでもなく、むしろ他の龍主に掛けていた圧力は弱まっていった。



 現状、俺と城井国綱に特別な関係はない。



「……失礼します」



 俺はリムジンに乗り込んだ。車内は広く、太った城井が隣にいてもゆったりくつろげる。運転手が車を走らせると、城井が備え付けのテレビの電源を入れた。



「まずはこれを見てくれるかな」



 流れたのはニュース映像だ。広々とした敷地にいくつもの工場が並び、それらは迷路のように複雑に繋がっている。瞬間、胸に痛みが走った。



「長かったよ。怪しいと分かりきっているのに、明確な証拠がない。その間に何騎の龍が虐殺されていったか。だが、それも今日で最後だ。奴が行ったという八百長を切っ掛けに、ついにここまで漕ぎつけた」



 朝倉氏幹、逮捕。



「……そうか」



 感慨は、遅れてやってきた。



 ようやくあいつが捕まったのか。一年半前、俺が競龍協会にいくら訴えても余裕綽々としていたあいつが、ついに捕まったのか。何故こんなに時間が掛かった、もう龍が虐殺されない、そんな怒りや嬉しさはない。



 ただ、長い吐息が漏れた。



 そうしてぼうっと眺めていると、あの競龍記者の蒲池さんも八百長に関わったとして捕まった事を知った。



「彼には朝倉を捕まえる為、協力してもらった。彼は朝倉に脅されていた被害者でもあってね、情状酌量の余地が認められて執行猶予が付くだろう。彼のその後の面倒は私が見るから心配しなくて良い」



 蒲池さんは大丈夫なのか。あの人には記事と言い、俺が立ち直る切っ掛けをくれた事と言い、かなり世話になった。無事なようで何よりだ。



「さて」



 言って、城井がテレビの電源を切った。



「私が君を殺そうとしていたのは知っているね?」



 思ったより直球で聞いてきた。



「純景から聞きました」



「謝るつもりはないよ。私は競龍界を守る為、君を排除する義務があった。ただ、君の友人を恨まないでくれ。あれらは全ては私が命じた事だ。責任は私にある」



 恨むわけがない。城井の方法だって今なら理解できる。



 あの時の俺を止めるには、レース中の事故に見せかけて龍に乗れなくするしかなかった。多少強引でも当時の俺の行いを考えれば、自業自得の事故として世間もすんなり受け入れるだろう。



 そうして競龍界をクリーンな世界に戻す。俺が城井の立場なら同じ事をしていた。



「悪いのは俺ですから」



「龍だけだ、悪くないのは」



 城井が自嘲じみた短い笑いを漏らす。



「……これを見てくれ」



 城井はテレビを点けた。今度は生放送ではなく、録画した動画のようだ。龍の牧場のPVといった感じの映像だけど、日本ではなさそうだ。龍房に閉じ込められているのは日本と同じだけど、一つ一つの龍房が厩舎並みに大きい。外国の牧場だろうか。



「うちの新しい牧場、中東だよ」



 それから城井が牧場の名前を言う。それを聞き、俺は笑ってしまった。その牧場は、中東に留学するという葵が世話になる牧場だ。だから葵が城井の伝言を持ってきたのか。



「厩舎も作った。名目としては本場の競龍に挑むという形だけどね、それだけじゃない。この国より遥かに進んだ競龍文化を持つ国の全てを学び取ろうと思っている」



 大きな話だ。何十億、何百億、想像もできない大金が動いている。



「日本の競龍は変わる。龍の待遇は変わる。いや、私が変える。いや」



 城井が、俺を見た。



「私たちが変えるんだよ」



 そして、俺の両手を掴んできた。



「戸次親次騎手に仕事をお願いしに来ました。私が中東に作る新たな厩舎の主戦騎手になってくれませんか?」



 理解するのに、少し時間が掛かった。



 俺たちは敵対していた。俺は城井を競龍界のガンだと思っていたし、城井も俺を潰そうとしていた。それなのに、異国の地に作った新しい厩舎の主戦を任せたいと頼んできた。



「待ってください。俺は一萬田厩舎の」



「一萬田先生に許可は取った。喜んで任せてくれたよ」



 好連さんなら、そう言うか。あの人は俺の背中を押してくれる人だ。俺が大舞台に行こうとしているのに、自分の厩舎に縛り付けようとはしない。



 しかし。



「やっぱり待ってください」



 俺は城井さんの手を払い、ドア際まで距離を取った。



「なんで俺なんですか。そのプロジェクトには相当な金が掛かってる筈です。現地のトップジョッキーに頼むなり、それこそ頼安に頼めば良い。なんで俺に頼むんですか」



 城井さんは微笑して、俺の眼をじっと見つめた。



「君は良い騎手だ。良い騎手になった。以前のように殺人未遂の自殺行為を繰り返す君はいない。危険騎乗をしない戸次親次という騎手に残るのはなんだ? 誰よりも龍思いなトップジョッキーだよ。だから頼むんだ。君しかいない」



 今までの対応と正反対で付いていけない。口から言葉が出てこない。それを見かねたのか、城井さんは顔を正面に戻して背もたれに躰を預けた。



「私は龍が好きだ。絶滅なんてさせたくはない」



 それは、城井さんの本心だと思った。



「しかし世の中は龍というモンスターの存在を許さない。だから競龍という龍と人、両方を守る檻が必要なんだよ。競龍はなんとしてでも存続させる必要がある。だから龍主にできるだけ損をさせないよう、漢方への加工を推進してきた。そのせいで朝倉という屑をのさばらせてしまったのは本当に申し訳ない。だが、勘違いしないでくれ。全ては龍の為、好きな龍を守りたいからこその行動だ」



 俺と同じ、そう言いたいのか。



「今の君なら分かる筈だ」



 また、城井さんが俺を見た。



「一人でできる事には限界がある。君には私のように大金は出せない。私は君のように龍に乗れない。だから誰かを頼るんだ。そこで問題は、誰を頼るかだ。君が私の立場なら、誰に頼みたい? 私は、私の次に龍が好きだという人物を頼りたい」



 この人は馬鹿だ。



 成功するかも分からないものに大金を出し、もっと適切な人物がいるかもしれないのに龍好きという一点だけで、今まで争っていた二十ちょいの若造に大事な役目を任せる。



 それだけじゃない。



 好連さんは自分の調教師人生をかけて育てた弟子を快く手放して、葵は通っている大学とは無関係な競龍という道に進もうとして、蒲池さんは自分が捕まるというのに朝倉逮捕に協力して、粋景や頼安、他にも色んな人たちは自分の立場が悪くなるのも構わず、競龍界の、龍の為に何かをしようとした。



 そして、俺もそうだ。



「その仕事、引き受けさせてください」



 俺たちは馬鹿だ。龍の為という言葉が付けばなんでもしてしまう。俺たちはどうしようもなく、競龍に憑りつかれている。

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競龍―ドラゴンジョッキー @heyheyhey

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