第30話 必死の騎乗願い



 騎乗停止が明けても、俺への騎乗依頼は増えなかった。調教依頼も同様で、所属している一萬田厩舎の龍しか乗れない。実力は十分に見せた。それでも依頼が来ないというのは、城井国綱の圧倒的な影響力しか考えられなかった。



 でも、腐ってはいられない。



 昼休憩を終えて午後の調教をしようと厩舎に戻る。すると、一萬田厩舎に龍を預けている龍主の男が厩舎横の事務所から出てきた。



 三十代半ばの芸能関係者の男だ。距離もあって挨拶をするだけで済まし、俺は調教について聞こうと事務所に入った。



「二騎ですよね? 調教どうします?」



 一瞬、好連さんが物憂げな表情をしていたように見えた。しかし錯覚だったのか、いつもの穏やかな表情を浮かべた。



「ダイクホウシュウは一昨日強くしたから今日は軽めで。カラマンは……調教はもうしなくて良い」



 怪我したのか。思ったが、事務所に入る前にちらっと見えたカラマンは、特に異常があるようには見えなかった。



「何でですか」



「カラマンの龍主さん、外で会ったろう? カラマンについての話で訪ねてらっしゃったんだけど、全く勝てないから処分したいそうだ」



 処分、安楽死。かっ、と頭が熱くなった。エアコンががんがんに効いているのに汗が噴き出してくる。



「勝てますよ!」



 好連さんは微かに笑い、首を振る。



「十戦して一度も掲示板に乗った事がないんだ。能力も足りないし、今までも無理をさせてきたけど躰も精神的にも弱い。地方に行っても多分……」



 好連さんと話しても時間の無駄だ。競翔龍の処遇を決めるのは調教師じゃない。俺は事務所を飛び出した。直ぐにさっきの龍主の背中が見えてくる。



「待ってください! カラマンは勝てます!」



 龍主が振り返る。俺は目の前で足を止め、碌に息を整えずに言った。



「俺が勝たせて見せます。俺ならカラマンに賞金を咥えさせてきます。だから俺に、カラマンに騎乗させてください」



 深々と頭を下げる。即座に龍主に肩を掴まれた。



「待って待って頭上げて。周りの目ちょっとは考えてよ」



 顔を上げる。ここは厩舎区画のど真ん中だ。休憩から帰ってきた厩務員たちが俺たちに訝し気な視線を送っている。そんなの知った事か。



「カラマンに乗せてください!」



 龍主は溜息をついた。



「戸次君、君に言うまでもないけど、競翔龍を持つには金が掛かるんだよ。俺は同年代の奴と比べたら金持ちだ、間違いなくね。でも、龍主の中じゃ零細も良いとこなんだよ。あんな駄龍に無駄金垂れ流せるほどの余裕はない」



 ふざけるな。それなら最初から競翔龍を持とうとするな。思わず出掛かった文句を、寸前で堪える。



「……俺は……勝たせますよ」



 龍主を睨むように見据える。



「それとも、カラマンを勝たせられる俺に、騎乗依頼できない理由があるんですか」



「ああ、あれね。城井さんの圧力か。別にないよ。どうせ城井さんのところが生産する龍なんて高くて買えないし、無視したって何の影響もない」



「……なら!」



「無理だって。今週出翔するったって、それまでの金はどうする? こっちはあんな駄龍に一銭も払いたくないんだ」



「俺が出します!」



 龍主の顔色が、微かに変わった。



 押せる。そう思った瞬間、俺の躰は動いていた。膝が地面に付く。掌に熱された砂が食い込む。額に微痛が刺さってくる。



「お願いします、俺を乗せてください」



「おい……だから人目を」



 龍主の狼狽した声、続いて溜息が聞こえた。



「分かった分かった。カラマンに君を乗せる。だから頭を上げてくれ」



 言われたとおりにした。龍主は俺より、周囲の厩務員たちの視線を気にしていた。



「出るのは今週のレースだ。どれに出るかは一萬田さんに任せるから」



 そう言って、龍主は逃げるように去っていった。俺は汗と一緒に張り付いた砂を払いながら、辺りに視線を向けた。厩務員たちが慌てて目を反らす。数人いた騎手が鼻で笑う。動じていないのは、事情を理解していた龍たちだけだ。



 俺は一萬田厩舎に戻り、好連さんにカラマンの事を伝えた。それから調教コースに行こうと事務所を出る。



「情けねえな、親次」



 頼安が立っていた。テレビに映る人懐っこい表情は面影もなく、薄笑いが顔にへばりついている。



「騎乗依頼がないからって、龍主の靴まで舐めるようになったのかよ」



 俺は周囲に目を向けた。一萬田厩舎の厩務員はほとんどが出払い、残っている数少ない厩務員は龍房の掃除に滝のような汗を流している。



「……人の目がないと本性も出せない奴に言われたくない」



 鼻で笑い、頼安は胸を張った。



「俺はスターなんだよ。目先しか見えないお前と違って、ずっと先まで見てる。だから親次よお、お前目障りなんだわ」



 それは、大体の騎手が思っているだろう。今更怒る気にもなれない。



「俺も、城井の靴舐めてるお前が目障りだよ」



「一緒にするな。俺と城井さんはビジネスパートナーだ。お互いの考えに同調して、お互いに敬意を払って付き合ってる」



 城井国綱に敬意を払う。龍を屠殺して漢方薬に加工するよう推奨してる奴にか。



「見損なったよ」



「俺はお前を屑だと思ってる。なあ親次、お前なんで墜落した時死ななかったんだ?」



 言うなあ。よく思われていないのは分かっていたけど、ここまで嫌われているとは思わなかった。これが、騎手たちの総意でもあるんだろう。



「龍を救わなくちゃならないからだよ」



 不意に、頼安は呆気に取られたような顔をした。それから俯き、笑った。笑い声は少しずつ大きくなり、終いには腹を抱えて大笑いした。



「お前……馬鹿だな」



 頼安は笑い涙を拭い、また思い出したように噴き出した。



「だからお前は目先の見えない屑なんだよ。自分のした事が何を招いてるか考えろよ。いつまでガキみたいに喚いている」



 下らない挑発だ。大人ぶりたい奴が粋がっているだけだ。子供が駄々をこねている、結構じゃないか。土下座だっていくらでもしてやる。現状に不満を漏らし、変えようと足掻く。そうしなければ龍たちが苦しんでいる現実は一向に変わらない。



「競龍界を背負うスターとして、俺は宣言するぜ」



 頼安が、俺を指差した。



「お前が危険騎乗を繰り返すほど、競龍のイメージは悪くなる。大勢の死人が出てみろ、最悪競龍そのものが無くなりかねない。その結果、何人が路頭に迷うと思ってる?」



 その親指が、地面に向けられる。



「俺はお前を潰す」

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