第29話 過去と今の軋轢



 変わったのは騎乗数だけじゃなかった。



 墜落する前は能力は足りないけど操縦性の高い龍が多かった。でも今はそれすらなくなり、気性の悪さからどの騎手もさじを投げた龍が、ごく僅かに依頼されるだけになった。



「無事に帰ってきてくれればそれで良いですから」



 オルテニアという雄の黄龍の騎乗が決まり、担当厩務員に龍の情報を聞きに行った。それで開口一番、その言葉が畏まった様子で出てきた。



「能力はあるんですがとにかく気性が荒くて、騎手の指示は一切聞きません、それに龍群には絶対に入ろうとしませんし、何より騎手を様々な手で妨害してきます。……本当に気を付けてください」



 担当厩務員に嫌な顔をされないのは新鮮だったけど、だからこそ心身が引き締まった。この龍のように酷く気性の悪い龍の行き先は二つ、地方競龍か屠殺処分のどちらかだ。



 まさに、俺が乗るに相応しい。



 幸か不幸か、騎乗数が少ないおかげで時間はたっぷりある。俺はオルテニアの今までのレースを見返し、展開をじっくり予想して、なん通りもの作戦を用意して本番に臨んだ。



 ファンファーレが高らかに鳴り響く。



 オルテニアはレース前にウォーミングアップである返し龍でも大人しく、ゲートにもすんなり収まった。ここまではどのレースでも順調だ。



 ゲートが開く。一斉に龍たちが飛び出していく。



 オルテニアだけが、一向に動かなかった。



 悪癖が始まった。俺はオルテニアの首を押して鞭を振るう。他龍から遅れる事一秒近く、ようやくオルテニアが飛翔した。



 先頭まで約二十龍身、本来なら絶望的な差だ。しかし流石にオルテニアの能力は高かった。あっという間に加速してコーナーに突入し、最短距離での水平旋回を決めようとする。



 全身に過重が伸し掛かる。オルテニアが俺をちらと気にしたような気がした。でもこの程度、何の問題もない。俺は笑い、旋回が終わるや鞭を振るった。



 オルテニアは力の劣る雄龍でありながら、雌龍のような勢いで斜面を登っていく。間もなく最後列に追いついた。



 途端、オルテニアがぴたっと止まった。



 どれだけ鞭を叩いても言う事を聞かない。前の龍の後ろに張り付いて空気抵抗を抑えるわけでもなく、間を取って気持ち良さそうに飛んでいる。



 臆病とは違う、担当厩務員はそう言っていた。この龍は他の生物を嫌っている。だから誰とも交わらない。勝つには最高峰から大外をぶん回してほしい。



 上りが終わり、下りに差し掛かる。山の麓にゴール板が見えた。後は一直線に下って先頭でゴールでするだけ。勝利の道は見えている。



 俺は無茶苦茶に鞭を振るった。やたらと躰を動かし、オルテニアの手綱を引っ張ってこれでもかと滑空の邪魔をする。怒れ、怒れ。さぞ飛びにくいだろう。邪魔くさい俺を落としてみろ。



 瞬間、オルテニアが俺を睨んだ。



 大外にいたオルテニアが、一気に内側に切れ込んでいく。疾風迅雷、他龍が止まって見えるほどの速度で進出し、ある一騎を目掛けて突っ込んでいく。



 それは上空からの奇襲を決めかけていた青龍だ。オルテニアはその下に張り付き、徐々に互いの距離を縮めていく。俺の頭が、青竜の腹に近づいていく。



「そうだ! その調子だ!」



 頭上の青龍はどんどん他龍を抜いていく。着いていくオルテニアも同じように他龍を抜いていく。その間にも、着実に俺の頭は青龍に迫っていく。



 先頭を抜き、青龍が一位、オルテニアが二位になった。オルテニアは抜こうと思えばいつでも青龍を抜ける能力を持っている。これは我慢比べだ。オルテニアは俺だけを潰そうとしている。でも俺が日和れば勝利はない。



 ゴールが近い。強烈な風の抵抗で空気は吸えない。酸欠で視界は狭まり、青龍の影が濃くなっていく。分厚い布を引き裂くような風切り音が、迫力を増して近づいてくる。



 行け。俺は、手綱を上に引っ張った。



 オルテニアが迅速に反応し、真上の青龍との距離を一気に詰める。ぶつかる、その寸前、青龍がふっと高度を上げた。



 勝った。



 青龍の騎手が日和った。



 我慢比べは俺の勝利だ。急激に高度を上げた青龍は途端に速度を落とし、オルテニアが一着でゴール板を飛び去った。



 レースが終わり、電光掲示板には審議のランプが灯った。対象は一着のオルテニアと二着の青竜だ。二騎にそれぞれ騎乗する俺と青龍の騎手は裁決室に呼ばれた。



「最後の直線下りについてです」



 裁決委員の一人が言った。



「ゴール寸前でオルテニア号が高度を上げて接触しかけた為、秋月騎手が安全の為それを回避しようと手綱を引いた事が原因で、着順が入れ替わったように見えました。その件について、まずは戸次騎手から事情を説明してください」



真実を言えば失格か降着だ。それだと無理をして勝った意味がなくなる。



「俺がオルテニアの闘争心を煽ろうと龍体を併わせに行ったところ、秋月さんが勝手に手綱を引いたんです」



「ちょっと待てよ」



 青龍の騎手の秋月が、俺の肩を掴んだ。



「お前がぶつかってきたんだろうが!」



 突然、怒鳴ってきた。俺の顔に唾が吐きかかる。ここはどこだと思ってる。俺が冷静に秋月の腕を払い落とすと、裁決委員が低い声を出した。



「ここで揉め事は止めてください。……秋月騎手の意見をお願いします」



 秋月は俺を睨んでから溜息を吐く。



「どうもこうもありませんよ。また戸次の危険騎乗です。危ねえなあと思ってひやひやしてたら、案の定ぶつかってきた。俺が勝ちを諦めて避けなれば俺は勝ってた。……まあ、大事故になってたでしょうけどね」



「風評被害です」



 俺が言った途端、秋月の眼が吊り上がった。しかし裁決委員がわざとらしく咳払いをすると、歯噛みして口を噤んだ。



「俺たちは秋月騎手の真下にいました。大雑把な位置は分かっても、ぶつかるかどうかまでは分からない筈です。それに上下どちらかに龍体を併せるのは良くある事、秋月さんが勝手に怖がっただけです」



「おい!」



 秋月に胸ぐらを掴まれる。裁決委員たちが浮き足立った。俺は、秋月を正面から見据えて静かに言った。



「オルテニアの直線下りの勢いを見れば、秋月さんが手綱を引かなくても一着になっていたのは明白です」



「……黙れよ」



「明らかに他龍に迷惑は掛けていないし、順当な一着でした。どう考えても降着や失格には当たらないと思います」



 秋月の腕が震えている。瞳孔が大きく開いている。来るか、俺は浅く腰を落として身構えた。



「良い加減にしなさい!」



 裁決委員の一人が叫ぶ。秋月が数人がかりで引き剥がされる。



「事情は分かりました! 秋月騎手は下がってください」



 秋月がそう言った裁決委員を睨んだ。それから俺も睨み、舌打ちして裁決室を出ていく。俺を見る裁決委員の眼は一様に冷え切っていた。



「着順は発表通りにします」



 当然だ。



「ですが、戸次騎手は騎乗停止処分を覚悟してください」



「理由は何ですか」



「最後の直線下り、オルテニア号は大きく内側に斜行しました。着順には影響しない程度ですが、危険騎乗には違いありません。二日程度は乗れないと思ってください」



 競龍は一週間の内、土日の二日間行われる。今日は日曜だから、来週のレースは騎乗できない。でも、レースには勝った。



「以後、気を付けます」



 俺は頭を下げた。勿論、気を付けるつもりはない。退室しようとすると、年配の裁決委員に引き留められた。



「戸次君、そろそろ良い加減にしなさいよ」



「……何の事ですか」



「墜落して死にかけた君に言うのは烏滸がましいが、競龍は極めて危険だ。接触して玉突き事故でも起きれば、何人もの死傷者が出かねない。近頃裁決委員会では君の度重なる危険騎乗を受けて、君の騎手免許の剥奪を考え始めている」



 騎手免許剥奪か。



「今ならまだ間に合う。君は危険騎乗などしなくても、角隈騎手に匹敵する有望な若手だと私は思っている。これ以上一萬田先生に迷惑を掛けるのは止めて、初心を思い出してクリーンな騎乗を心掛けなさい」



 笑わせるな。



 危険騎乗をやめたら俺の勝率はぐっと下がる。確かに危険騎乗を止めれば騎乗数は増えるかもしれない。でも、それはいつだ。何騎の龍が死んだ後だ。危険騎乗だろうがなんだろうが、少ない騎乗数でも勝って勝ちまくる。そうすれば俺の騎乗がダーティだろうが、勝利が欲しい龍主は俺に騎乗依頼をしてくる。



 騎乗数が少ないのなんて今だけだ。今日も気性が悪いせいで勝ちきれなかった龍を勝たせた。騎乗停止が開ければ、似たような龍の騎乗依頼が舞い込んで来る。



「俺はずっと初心ですよ」



 そう言って、俺は裁決室を後にした。



 今日はもうする事がない。後始末を終えて調整ルームに帰ろうとすると、検量室前で純景と出会った。



「おめでとう、よくあの龍で勝てたね」



 純景の方から話しかけてくる。扇山競龍場を後にしたのは同時期だったけど、俺は勿論、純景も新たな担当龍が決まって忙しくなり、あれ以来会うどころか連絡もまともに取れていなかった。



 妙に懐かしい気分になり、裁決室での出来事がどうでも良くなってきた。



「指示聞かないから煽って誘導したんだよ。お前は?」



「今ゲートに入った龍が、俺の新しい担当龍」 



 濁った色の緑龍だ。躰の大きさからして雄か。やたらと周りを気にして落ち着きがない。そして、案の定出遅れた。



「あーあ、好奇心が強すぎるんだよねえ。それで親次、騎乗停止にでもなった?」



「ああ、多分二日だろうって。でも勝ったから良いよ。あんな気性の悪い龍に乗りたがる騎手なんてまずいないし、勝たせられる奴もいない。処分が明ければ似たような龍の騎乗依頼がどんどん来る」



「それはない」



 やけにはっきりとした口調。俺は思わず、純景の涼しげな顔を凝視した。



「……なんでだよ」



「龍主や調教師にさ、圧力が掛けられてるんだよ。親次を龍に乗せるなって」



 圧力、俺は龍に乗せるな。



「誰が?」



「城井国綱さん」



 溜息交じりの笑いが漏れた。



 城井国綱。日本競龍会を支配している日本一のオーナーブリーダーが、俺を騎乗させないように圧力を掛けている。



「……上等だよ」

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