第28話 凱旋



 八月に入ると同時に、俺は飛騨トレーニングセンターに帰ってきた。



 日光が燦燦と注いでいる。昼休憩で気の抜けたトレセンの入り口に、定年退職間近のサラリーマンみたい人が立っていた。



 一萬田厩舎の調教師、好連さんだ。



「帰ってきたんだね……」



 どこか陰のある笑みだった。



「有言実行です。今日からでも調教つけますよ」



 気分を切り替えるように、好連さんは大きく息を吐く。



「なら一騎頼むよ。セヴェリンだ」



 セヴェリンか。俺が競龍学校時代に研修で一萬田厩舎に行った頃からいるベテランの雌龍だ。もうお婆ちゃんといった年齢だけど、とにかく頑丈でそれなりに飛ぶ良い競翔龍だ。



 俺は一萬田厩舎に行く道すがら、調教について尋ねた。



「どんな感じでしますか」



「強めに。どうせ飛ばないからタイムは気にせず全力でやって良いよ。映像では見たけど、親次の騎乗も見たいからね」



「分かりました」



 言って、俺はにやりと笑った。



 まずは俺の復活した実力を見せつける。それでまだ半信半疑だろう好連さんを納得させ、周りで調教してる奴らにも中央競龍に舞い戻った俺の存在を叩きつけてやる。



 一萬田厩舎が見えてくる。休憩に行っていた厩務員たちも帰ってきて、午後の仕事に向けてゆっくり準備をしていた。



「おうい、親次が帰ってきたぞ」



 好連さんが言うと、厩務員の視線が一斉に俺に集まった。



「お久しぶりです。戸次親次、一萬田厩舎に戻ってきました。またばんばん勝たせていくんでよろしくお願いします」



「ああ」「おお」「うん」「……お帰り」反応はどれも似たようなものだ。墜落する前と関係は同じ、あからさまに嫌われてはいないけど距離を置かれている。今更気にするような事でもない。



 俺は厩舎前に繋がれたセヴェリンに目を向けた。年のせいか激しい陽光でもくすんだ色の青龍。龍の中でも巨体で、小型の個体と比べると倍以上大きい。見た感じだと、半年前と変わらなさそうだ。



「これからセヴェリンの調教付けますけど、調子どうですか」



 セヴェリンの龍房を掃除している担当厩務員に声をかける。ソフトモヒカンの吉川さんは、手を止めずに眠そうな目を向けてきた。



「前と変わんねえよ。もうすぐ連れてくから先行ってろ」



 言われたとおりにした。間もなく吉川さんがセヴェリンを連れてトレセンの調教コースに現れ、吉連さんも姿を見せた。他の厩舎の龍たちも集まり始め、午後休憩の落ち付いた雰囲気が途端に活気づいてくる。



 視線がちらちらと俺に向いているのが分かった。龍はまだ一騎も飛んでいない。



「一周目は準備運動、二周目は少し強め、三週目で本番行きますよ」



「うん、それで頼むよ」



 好連さんが微笑む。俺が吉川さんから手綱を受け取ろうとすると、吉川さんが語気を強めて言った。



「セヴェリン壊すなよ」



「……大丈夫ですよ」



 俺はゴーグルを付けてセヴェリンの背に跨り、踵でセヴェリンを小突いた。どっこいしょ、そんな調子でセヴェリンは羽ばたき、緩やかに舞い上がる。



 一週目は指示通りゆっくり回った。山だらけな飛騨の光景を見ると、戻ってきたと言う感じがした。街は山地の合間にポツンとあるだけで、扇山競龍場の方がよっぽど都会だ。奥地にある長閑な飛騨トレセン、風は穏やかでセヴェリンも翼をあまり動かさずに悠然と飛び、しかし俺の胃は締め付けられたように収縮する。



 二週目に入った。軽く鞭を入れるが、予想通りセヴェリンは中々加速しない。ようやく少し速度が上がったと思えば、三周目が目前に迫っている。



「……行くぞ!」



 俺は鞍の取っ手から手を放し、手綱を口に咥え、右手の指を手綱に引っ掛ける。そして、左手で思いっきり鞭を振るった。



 セヴェリンの反応が鈍い。俺は鞭を振るい続ける。それで、少しずつ速度が上がってきた。巨体を生かして斜面を力強くガンガン上り、下りに入るや俺は鞍にへばりつく。



 一気に加速する。聴覚は風切り音に支配され、ゴーグルに猛烈な勢いで塵が衝突する。呼吸が難しくなってきた。息を止め、近づいてくるコーナーに集中する。狙うは最短距離、ロスのない完璧な旋回だ。



 そこだ。俺は鐙を踏んだ。セヴェリンが九十度に傾く。瞬間、全力で手綱を上に引いた。水平旋回。下りで着いた勢いが、過重となって全身に伸し掛かってくる。



 鞍に押し付けられる。骨が軋みを上げる。血が遠のき、意識があやふやになってくる。呼吸なんてできるわけがない。歯を食いしばり、失神だけは避けようと必死に耐え忍ぶ。



 セヴェリンが旋回を緩めようとする。躰が大きければその分外に膨れそうになるのを強引に押し留めている。辛くないわけがない。でも、それに耐えないと勝利はない。



 さらに、俺は手綱を引き絞った。強引にでも急旋回を維持させる。まだか、まだか。薄れゆく意識が時間を長く感じさせる。



 ふっ、と圧力が緩んだ。旋回が終わった。瞬間、俺は態勢を変えて鞭を振るった。斜面を登る。旋回時のストレスを爆発させるように、セヴェリンが猛烈に登っていく。残るは下り、鞍に張り付いて風の抵抗を可能な限り抑え、最後の直線下りを駆け抜けた。



 完璧だった。



 今まで何度となくセヴェリンに乗ってきたけど、ここまでセヴェリンが頑張っているのは初めて見た。それをさせたのは俺だ。間違いなく、俺の腕は墜落前より上がっている。



 調教を終えて地上に降りると、セヴェリンは案の定疲れを見せ、両翼を地面に着けてぐったりしていた。吉川さんに手綱を渡してセヴェリンを返すと、好連さんが満足そうに頷く。



「明日の高尾の一鞍、頼んだよ」



 騎乗依頼は一鞍か。中央競龍への復帰が決まったのは急とは言え、一鞍しか乗れないのは少なすぎる。墜落する前は一日十二レースある内、騎乗数が半分を下回る事はなかった。



「任せてください」



 まあ良い。そのレースでも実力を見せつければ良い。怪物と呼ばれた実力は健在だ。それどころかパワーアップして帰ってきた。自然と騎乗依頼も増えてくる。



 俺は東京の高尾山競龍場に行き、日が沈む前に調整ルームに入った。



 調整ルームは不正防止の為、レース前に外部との接触を断つための施設だ。スマホなどの電子機器を預けて中に入る。構造はホテルとそう変わらない。割り当てた部屋に缶詰めにされ、レース当日を迎える。



 廊下で騎手たちと鉢合わせた。



「本当に復帰するんだな」



「よろしくお願いします」



 その程度の会話をしてすれ違う。ややあって、その騎手たちの声が聞こえた。



「やべえ奴が帰ってきたな」



「墜落してそのまま引退してくれれば良かったのにな」



 前々から言われ続けていた事だ。墜落した時は、レースを前にした騎手たちが待機する騎手控室では喜びの声が上がったとか、そんな噂も聞いた。



 当然だ。勝手に墜落するならまだしも、危険騎乗に巻き込まれたら死にかねない。悪態の一つも本人に聞こえるように言っても罰は当たらない、俺ですらそう思う。



 でも、こっちだって危険騎乗を止めるつもりはない。俺は個室に入り、明日のレースに備えて早々にベッドに横になった。



 翌朝になって準備を済ませ、高尾山競龍場に向かう。騎乗するのは一萬田厩舎所属の龍だ。以前に乗った事のある龍だし、一鞍しかないとその分集中できる。万全の状態だ。



 ところが、着いて早々好連さんに頭を下げられた。



「ごめん、乗り替わりだ」



 訳が分からなかった。



「どういう事ですか」



 好連さんは眉尻を下げて眼を伏せた。



「龍主さんの意向だよ。昨日まで何も言わなかったのに、今日になって急に親次は嫌だと言い出して……本当にごめん」



 開いた口が塞がらなかった。



 当日になって怪我したわけでもないのに騎乗予定の龍に乗れなくなる。そんな事があるのか。あって良いのか。



「怪我、という事にしてくれないかな」



 ふざけるな。



 ただでさえ一鞍しか乗れないのに、それを取り消される。これだと復活を見せつける事もできない。それどころか大怪我をした騎手はやっぱり駄目だ、そんな印象を与えてこれからの騎手生活に悪影響が出るかもしれない。



 ふざけるな、そう怒鳴りたかった。でも、言えるわけがなかった。



 好連さんには散々迷惑をかけた。これからもかける。方々に何度も頭を下げているのも知っている。俺を兄の重連さんのいる扇山競龍場にやったのも、手に負えなくなった俺を厄介払いしようと、騎手を諦めさせる為にした事だ。



 それでも、好連さんは龍を助けたいという俺の思いを汲んで、戻ってくる場所を与えてくれた。そんな好連さんに、龍主に逆らえなんて言えるわけがない。



「……分かりました」



 結局、これが俺の置かれた状況だ。最初こそ勝ちまくって持て囃されたものの、危険騎乗を理由に大手の龍主は騎乗依頼を止め、中小の龍主からの騎乗依頼が全てになった。



 そして帰ってきた今、さらに状況は悪くなっている。

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