第31話 勝利こそが至上



 カラマンの出翔するレースに、頼安が急遽騎乗する事になった。龍主は城井国綱、騎乗するバルバリアという龍も勝ち上がれずにいるけど、四戦して四回とも二着、このレースでは抜けた実力の龍だ。



 さらにバルバリアの調教は抜群で、対して俺の乗るカラマンは最期の一戦になるかもしれないからと目一杯の調教をつけたのに、平凡なタイムしか出なかった。



 それでも、勝つしかない。俺はできるだけの準備を整えて当日を迎えた。



「親次、お前の好きに乗って来いよ」



 カラマンに騎乗しようとした時、担当厩務員の吉川さんが言った。



「今のこいつの命を握ってるのはクソッタレの龍主じゃねえ、お前だ。勝つか負けるかは知らねえが、気の済むように乗って来い」



 どう返そうか悩んだ。カラマンという龍に一番思い入れが強いのは、毎日世話をしている吉川さんだ。負ければ即屠殺、その現状に一番憤りを覚えているのも吉川さんだろう。



「……勝って帰ってきますよ」



 結局、そうとしか言えず、俺はカラマンを本龍場に導いた。



 ウォーミングアップで軽く飛翔する。カラマンは俺が墜落する前によく乗っていた龍のタイプと同じだ。能力は足りないけど操縦性は高い。騎手の乗り方次第では十分に勝機がある。



 でも今回は、トップジョッキーの角隈頼安が、圧倒的一番人気に押されるバルバリアがいる。バルバリアは能力はあるけど、気性が荒く出遅れは当たり前、旋回は下手で斜行癖もあって勝ちきれなかった。しかし鞍上の頼安に掛かれば、それらのデメリットは帳消しになり、能力の高さと闘争心の強さが前面に出てくる。



 止めよう。



 考えれば考えるほど自信がなくなる。それに全てにおいてバルバリアが勝っているわけじゃない。バルバリアを大外の枠で、カラマンは最内の枠からスタートする。直線距離で優に百メートルを超えるこの距離の差は、かなり大きい。しかもカラマンは操縦性が高い分旋回も上手く、スピードを損なう事なく急速旋回が行える。



「……勝つぞ」



 言って、俺はカラマンの黄色い首筋を撫でた。カラマンが首だけを俺に向け、クィと静かに鳴く。そうして、俺たちはゲートに入った。



 いつもゲート入りの悪いバルバリアがすんなり収まる。俺はスターターに集中する。カシャンという音が鳴り、ゲートが開いた。



 カラマンは抜群のスタートを切った。



 最低最内の絶好位をキープして先頭に躍り出て、そのままコーナーに突入する。俺は鐙と手綱を操って指示を出す。カラマンはそれを機敏に感じ取り、間髪入れずに動き出す。一切減速せずに水平旋回を決め、後続を突き放して上りに掛かる。



 ここだ。



 俺は全力で鞭を振るい、カラマンをけしかけた。勝つにはそれしかない。最初に先頭に立ち、最後まで一位でゴールする。競龍では一番見かける勝ち方だ。だが、今回に限ってはそれしかない。



 龍には狩猟本能がある。ほかの龍を抜いてしまえば目的を失ってそこで満足し、全力で飛ぶのを止めてしまったりする。でもカラマンは従順な龍だ。元より闘争心には欠けるけど、騎手がけしかければ最後まで全力で飛んでくれる。それに今日の風だ。横薙ぎの微風では風の影響がいつもより少なく、今日ばかりは先頭にいるメリットの方が大きい。



 俺は次のコーナーから上りにかけてもカラマンを追い立てて、二着との距離を二十龍身程に広げた。コーナーはあと一回、俺はペースを落としてカラマンを休ませる。後続との距離が少しずつ詰まってきた。



 頼安とバルバリアの姿が見えた。位置は山頂の、大外上空。後続集団からは孤立している。嫌な予感がした。バルバリアも不気味なまでに大人しい。



 後続集団のペースが上がってきた。もはや後ろは気にしていられない。俺とカラマンはコーナーに突入した。一切の無駄がない水平旋回を決める。



 音が聞こえた。



 分厚い布を引き裂くような異音だ。誰が、何が来たかなんて見るまでもない。それなのに俺は、鞭を構えながら振り返っていた。



 大外上空にいたバルバリアが、凄まじい速度で斜面を降りていた。それは普通なら最後の直線下りでしか見れない滑空だ。しかし頼安は、その一つ前の下りでそれをした。大外からコーナーに入って入射角を緩くし、最高速を維持したまま旋回を決める。それで、後続集団は一瞬で抜き去った。前のいるのは俺たちだけ。俺は急いで鞭を構え、渾身の力でカラマンを叩きまくった。



 影が、視界に映った。



 バルバリアと頼安。来やがった、思ったときに遅かった。抜かれる。下りの最高速は上りに入っても生きている。最後に備えて休んでいた俺たちを嘲笑うように、バルバリアが俺たちを抜いていく。



 だが、そこでバルバリアが止まった。俺たちの前につけたところで、急に速度が落ちた。開いていた俺たちとの距離が一気に縮まる。



 いや、違う。



 頼安はわざと速度を落とした。バルバリアは俺たちの目の前、つまり最低最内の位置につけた。これを抜くには、無駄な距離を飛ばなくてはならない。



 余分な距離を飛ぶ。ただでさえ能力に劣るカラマンがそんな事をすれば、勝機は完全になくなる。それを見越した上で、頼安は力の差を見せつけるように俺たちを潰しに来た。



「クソッ……」



 判断ミスだ。頼安が山頂の大外上空にいた時点で見抜くべきだった。早めのスパートをかけてでも、バルバリアを前に行かせるべきじゃなかった。



 負けるのか。



 カラマンは屠殺されるのか。



「……させるかよ!」



 俺は歯を食いしばった。鞭を力強く握りしめる。全力で鞭をふるってカラマンを急き立てる。上りが終わり、俺たちは最後の直線下りに差し掛かる。俺はそのまま鞭を振るい続ける。



 バルバリアは最低最内をきっちり確保している。抜くのは上か外を回るしかない、頼安はそう思っているだろう。



 それは間違いだ。



 競龍は山肌に沿うように飛んで行われる。だから斜面の整備なんて行われない。場所によっては当たり前のように大岩が転がっている。そして、このコースの下りの最低最内には一つだけ岩がある。どれだけ最短距離を飛ぼうとも、それだけは避けるしかない。



 行くぞ、俺は心の中でカラマンに語り掛け、その岩に向かって突っ込んだ。



 バルバリアは動かない。頼安は俺の動きを読んでいたのだろう。しかし、最後には岩を避けるしかない。俺はほとんど動かなくなった右手に全神経を集中させる。その時を待って感覚を鋭敏に研ぎ澄ませる。



 頼安が、上手綱を引いた。瞬間、俺は鞭を叩きまくった。



 飛べよ。まだ死にたくないだろう。岩にぶつかる危険を冒さないと屠殺されるぞ。どうせ死ぬなら、生きる可能性がある方に行くしかないだろうが。



 道が開ける。その僅かな上昇でバルバリアが減速する。行ける、抜ける。カラマンは岩とバルバリアの間をすり抜ける。



 もうゴール板は見えている。堪えろ、もう少しだけ堪えろ。俺はとにかく鞭を振るった。カラマンの全てを発散させ、ゴール目指して突っ込ませる。



 雄叫びが、俺の口から洩れていた。



 カラマンは勝った。



 嘴差の辛勝。それでも、カラマンはバルバリアに勝った。



 最低人気の龍が、トップジョッキーを乗せた圧倒的一番人気の龍に勝った。これで屠殺は免れた。また一騎、俺の力で龍を救えた。



 心の底から嬉しいとは、とても思えなかった。



「こりゃ、ひでえな」



 戻ってきたカラマンを見て、吉川さんが言った。



 カラマンの左脇、俺が鞭を叩いたところは真っ赤に染まっていた。ヒヨコみたい鮮やかな黄色の鱗毛は禿げ上がり、あるいは折れ、どくどくと血を流している。傷より下の鱗毛は血に染まり、肢元にも血が溜まっていく。



 それが、勝利の代償だった。



「……ごめんな」



 カラマンを地面の両翼を着けてぐったりしている。俺が首筋を撫でると、痛めつけた張本人だというのに顔を摺り寄せてきた。



「……ごめん」



 屠殺は回避できた。間違いなく良い事だ。それなのに、素直には喜べない。



「顔を上げろ、親次」



 吉川さんが言った。好連さんが無言で俺の肩を叩く。



「お前に乗られるのが嫌なら、こっちだって反対する。龍主が何言おうが、厩務員束になって反対してやる。今日おまえがカラマンに乗ったって事は、そういう事だ」



 好連さんが微笑を浮かべて頷いている。吉川さんは何本か抜けた歯を見せて笑った。



「顔を上げろ、胸を張れ。お前は良くやった」



 そうだ。俺にはこの方法しかない。



 龍が傷つく、だからどうした。そもそもが龍を助けるために龍の自由を奪った業界だ。傷つく代わりに命だけは助ける、俺がしているのはその延長線上に過ぎない。



「……後検量行ってきます」



 感傷はいらない。欲しいのは勝利だ。

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