第二部・第二幕第一場:嵐は来たる

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「……い、……むいよ。ねむくて、あたしの命の灯も……ここまでよ」

「さぁさぁ、お嬢様も早くお食べになって。ご自分で洗い物をするには、もう水が冷たい季節になっていますよ」


 暗に水洗いをさせますよ、と婆やに急かされたっぽいので、致し方なく毎朝恒例のアンニュイ感を引っ込め、朝食をサッさとすませた。

 ちなみに今朝の食事内容は、焼きたてのコルネットクロワッサンとアミアータ産の山羊乳チーズに温めた牛乳、デザートはザクロと干し葡萄を和えたヨーグルトだ。


 流石は婆や、とても美味しゅうございましたわよ。

 (いつも美味しいのよね、ウフッ)


 他にも王都エトルリア産の生ハムがあったけど、海に近いエトルリア産は海風の影響なのか、とても塩辛いので遠慮しておいた。やはり生ハムを食べるなら、ほんのり甘味がある内陸産が良いわね。



 それにしても前回の二日目は、こんなに朝は早かったのかしら?

 今朝は(日々の私の生活比で)早く起こされたので、お父様が屋敷を出るギリギリ直前にお見送りをする事ができた。

 それはとてもとても珍しい事なので、お父様も喜んでいたわ。(えっへん


 しかしながら、今のあたしは眠気の極みにある。

 昨夜は遅くまでお父様を待っていたので、今日はいつもと違って寝起き後の頭がスッキリしていないのだ。

 なんだか頭の中が霧に包まれているようで、昨日はあれほどハッキリと浮かんだ母の顔が、今はもうおぼろげになってしまっている。


 でも幸いにも、今日と明日の計画については、昨日の内にメモ書きを残しておいたので、それを見てやるべき事は、ちゃんと頭に入れ直した。


 しかし何故なのだろう? 

 ちょっと体調が悪いだけなのかしら? 


 頭の糖分補給のために、あとで栗の砂糖漬けでも摘まもうかしら? 

 なおあたしの食欲は、相変わらず旺盛な模様。


 あたしが食後のお茶を頂いている横で、婆やは全ての洗い物を終えた。

 それから婆やは必要な買い出しと用事があると告げ、急いで屋敷を後にするのであった。


 そして厨房に一人取り残された時、あたしはふと思った。


 うん、今日の自分の身の回りの世話は、という事よね?


 そのすぐ後に、ミランダが屋敷にやってきた。でも流石に家政婦として雇っている彼女に、家事以外の身の回りの世話を頼むわけにはいかなかったのである。

 よって今日は冷たい水で顔と髪を洗い、それから一人で髪の手入れをしたのだ。それもいつもの半分以下の時間でね。


 やはり冷たい水は無理! 

 だから今日はとても恋しかったわ、便利な婆やの火魔法が。

 ちなみにミランダは雷魔法しか使えないので、湯沸かしを魔法で頼れない。彼女の魔法は、バチバチって護身用で使うためらしい。つまり不用意に言い寄る不埒な男もそれでイチコロよね? 

 これには流石のあたしも、気をつけようかしら──。



 それから自室に籠って、あたしは旅の荷造りを真面目に始めた。ミランダが昼食の準備ができたと呼びに来るまで。



 その日は昼食後も、ひたすら真面目に荷造りをしたお陰か、なんとか夕食前までには自分の荷造りは終わった。


 もちろん午後のティータイムはしっかりと休憩したわ。

 丁度その頃に、婆やも戻ってきたしね。


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 そして婆やと二人きりの夕食が終わると、今度は婆やと相談しながらお父様の分の荷造りを始める。


 婆やの分は本人があっという間に終わらせたので、残りの荷造りが終われば今晩にでも出発できなくもない。

 でもお父様はまだ帰宅していないし、ミランダに頼んでおいたロバ三頭もまだ届かないのだ。彼女の話では本日の夕方には業者が届けに来るとの事だが、未だにその気配はなかった。


 その後、屋敷裏の納屋でランプの使い勝手の確認もかねて、あたしは一人で木槌と釘を探していた。


 ちなみに併せて探していたスコップの方は、納屋に入って直ぐに見つけた。何せ目の前の壁に立て掛けてあったから。

 暫く納屋の中を探しても、木槌と釘がなかなか見つからないので、まだ厨房にいるはずの婆やに尋ねる事にした。


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 おかしいわ、厨房に婆やの姿が無い。

 まさか……もうおネムの時間になったと先に自室へ?


 いいえ、それはないはず。

 何故ならば、キッチンテーブルの上には剥きかけのジャガイモが、まだ残されているからだ。


「婆やぁ? どこにいるのー?」


 あたしは手に持つランタンの灯りを頼りに、玄関広間にやって来た。


 あぁ、こういう時は蝋燭台の頼りない灯りよりも、ランタンの方が良いかもしれないわね。

 しかしながら婆やの返事は無い。屋敷内にも居ないのかしら?


「それにしても、寒いわね……」


 あたしが広間にある暖炉に、火を入れようと近づいたところ。


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 ん? 今の音? 声?

 ……は何だろうか?


 屋敷の外から、ブーブーと聴こえた気がする。


 あたしはその場に留まり、しばし耳をすませてみた。


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 今度は、ヒーホーという鳴き声が確かに聞こえた。


 あれ? ロバがいるの?


 確かロバの鳴き声は、ヒーホーだった気がするわ。

 それが気になったので、外を確認しようと玄関扉に近づこうとしたところで……。


 んー? なぜ扉のすぐそばにある台に置いてあるはずの蝋燭台が、床に落ちているのだろう?


 それを手にしようと、屈みこんだ瞬間。


 突然、物陰から飛び出してきた小柄な人影によって、あたしは背中をひどく打ち据えられ、床上に押し付けられたのだ。



「兄貴! 兄貴! 小娘を捕まえやしたぜ!! 

 ウヒヒヒ、こいつは上玉だぜぇ~」


 今あたしの背中の上に跨り、のしかかったままで叫んでいるのはひげ面小男だ。いつの間にかその手にはあたしが持っていたはずのランタンがあった。


 あぁ、いったい……わ。よくも……やってくれたわね。


 すると扉を開き、筋骨隆々の大柄な禿男が屋敷内に入ってきた。

 そして男の背後を見ると、玄関前すぐの地面では婆やが小太りの男に押し倒れていた。


 痛みをこらえて、婆やに声をかけるが返事はない。

 どうやら気絶をしているらしい。


 しかもあろうことか、小太りの男は婆やのうなじに鼻を埋める様にしてクンカクンカさせていた。


「あにぃ~、いいにおいだぜぇ。めちゃくちゃいいにおいだぜぇ。おらぁ、このばあさんでいいやぁ」


 グヌヌヌヌ。

 確かに婆やは六十路の割には肌はキレイだし、美人顔だし、白髪だけどよく手入れされているから、とてもいい匂いがするわ……でもね! 


 それを嗅いでいいのは、この世であたしだけなのよぉぉぉっ!!


「アッー!」


 珍妙な雄叫び声を上げつつ、あたしは這いつくばる床の上から自分の力の限りを振り絞り立ち上がる。のしかかっていた小男を振り払って。


 そして我が子を守る母獣のように、床を蹴って玄関を飛び出すのだ。その手に蝋燭台を掴んだまま……。


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 ――あれ? 頭がガンガンするわ……。


 それに左右の頬も腫れあがっているようでヒリヒリする。


 あたしは、どうしたのだろう? 

 冷たい地面に横たわる私の目の前には、綺麗な満天の星空が広がっていた。


「お? 気づいたようだな、お嬢ちゃん」


 禿げたおっさんの顔が、逆さまの状態で覗き込んできた。


「兄貴、ポルコの奴はもうダメだぜ。ここは慈悲深くやっちまおうぜ?」

「んー、今は無しだ。動かぬ死体デカブツをここに置いたままずらかる事は出来んからな。

 それともバッソ、オメーが担ぐか?」

「兄貴、そいつは勘弁だぜ。おい、アンチョビ。

 この血塗れ野郎を運ぶから、ここまで表の荷馬車を持ってきてくれや」

「ウンす。モテクルっす」


 三頭のロバ全ての手綱を持つノッポが片言の言葉で返事する。

 そして手綱を放しロバを開放してから、暗闇へと消えていった。


「しっかし、とんでもねぇ小娘だぜ。

 可愛い顔をした子猫かと思ったら、ポルコの顔面をこいつで滅多打ちだからなぁ。クヒヒヒヒ」


 血塗れの歪んだ蝋燭台を手に持ったひげ面の小男が、横たわるあたしの顔を覗き込みながら、臭い息をふきかけて話しかけてくる。勘弁してよ……。


 でもあたしはそんなものは無視して、顔を左に傾ける。あぁ、玄関前では相変わらず婆やが地に伏せっていた。まだ気を失っているのだろうか? 怪我はないのかな?


「俺の故郷にはな、『獅子の子と猫の子を見誤るな』という言葉があるぞ。

 このお嬢ちゃんを舐めていると、オメーも同じ目に遭うぞ」

「ひえっ、おっかねーぜ。仕事ついでに、久々の女を楽しめると思ってたのによ、ひでえ話だ」

「その結果があれだからな。大事な仕事を他所に、豚のように盛るとロクなことにならんいい例だ」


 禿げのおっさんは、虫の息状態の顔面血塗れブタ野郎を見ているようだ。


「まったくだ。俺も気を付けるぜ」

「ま、こうなっちまったもんはしょうがねえさ。その分は、旦那に弾んでもらえばいい」

「ちげぇねぇぜ。ウヒヒヒ」


 あぁ、私はこのまま暴漢たちに攫われてしまうの? 婆やはどうなるのだろ?



 婆や……ごめんね。

 (お父さん……ごめんなさい)

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